幸福の黄色いハンカチ春が来た ぽっぽや逝く永遠の春来るといふ 行く末をつぶさに辿れば春ばかり まほろばは春のかたまり健さん逝く 悪さばかりしやがって健さん吼ゆ 日本はニッポン人のもの蚯蚓鳴く 「実弾だ!撃ち間違うな」健さん逝く(『動乱』より) ハンカチで汗拭く健さんビショ濡れに 健さん逝くニッポンの春健在なり アベノミクスと昭和残侠伝冬を待つ
今日は16度までで肌寒い一日であった。救いは風の無いことでこれなら10度までは我慢出来る。大ニュースが2つ飛び込んできた。安倍首相の週末金曜の解散の表明とあの高倉健の訃報であった。 ぽっぽや逝くたましいの在り処告げて行く 解散問題はともかく【健さん】の死は言い知れぬ衝撃を与えた。健さんは20世紀の人類の可能性を最も深く拡く指し示した1960年代の終わりという時代にある光芒を私たちに見せてくれた。それは人間の絶対正義と絶対自由の所在であった。今後しばらくTV各局やネットでは連日故人の遺作を放映し続けるだろう。代表作とされる【幸福の黄色いハンカチ】はもとより「昭和残侠伝」などの東映やくざ映画である。当時全世界に吹き荒れた新左翼運動の若者たちが各地の名画座に日参し、健さんの悪の権化に対する天誅に狂喜したものだ。世界は日本は人間の生きるために絶対必要な正義というものの至極当然の重さ、爽快さに酔い痴れていた。それだけ現実世界には非正義が溢れ返っていたのである。それに目を瞑り日々の安穏に身を閉ざすことだけに走る近未来の自我像への根底的な違和感を前に秘かに自らへの早すぎる挽歌を聴いてもいたに違いない。 早過ぎた春への挽歌健さん逝く まほろば