まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句の此岸】俳句とは《ゼロからの出発》(坪内稔典)を意味した/私とは誰か~プレおたく世代の現在(20)

2017-04-02 21:32:10 | エッセー・評論

70年代の終った1980年にあっても、まだ私は20歳代であった。ところがその20歳代の前半において、すでに「終った世代」であった。世間からは【キリギリス世代】【モラトリアム世代】などと呼ばれ、どこにも居場所は無かった。後ろを見ても断崖絶壁、前を見ても無気力・無関心・無責任の【三無主義】の新世代から煙たがれ、おのずと自分だけの狭い空間に引き籠らざるを得なかった。1980年代の始まりは、空虚感を通り越した《空無》の真っ只中にあった。そんな中で角川春樹氏の俳句結社「河」の新人会からの誘いは嬉しいことだった。句会は月に一度、都心の広々とした会場で行われ、春樹氏を挟んで吉田鴻司・井桁白陶・松本旭・増成栗人・佐川広治・・とそうそうたるメンバーが前に並び、後に結社主宰になった者も含めて「河」の俊英候補たちが犇めき合っていた。それからしばらく経って、書店で「現代俳句」という瀟洒な雑誌を見かけた。大阪の坪内稔典氏(現船団代表・京都教育大名誉教授)の個人発行する俳句総合誌であった。坪内氏は元立命館大全共闘の活動家で、年齢からして(文学部)大学院生として参加したようだ。俳句は在学中から、伊丹三樹彦の「青玄」などで始め、東京の沢好摩氏らと全国学生俳句連盟を組織し、文化運動として全共闘でも発言したのだろう。この「現代俳句」誌に早速投稿してみると、最初から佳作に取り上げられ、次のような印象的な評価を得ることが出来た。【・・・これらの句群は既成の俳句の概念に上手く収まっている。しかし、俳句とはこの後どう書くかのことを指す】と。まさに至言であった。この時、私はまだ20歳代であったが、大きな挫折と時代の変化を目の当たりにして、内心【この後どう在るべきか】の問いの渦中にいた。坪内氏の【どう書くか】は、この【どう在るべきか】と一致した。・・・《続く》

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季感があれば季語がなくてもよい(角川春樹)/新俳句入門(3)

2017-04-02 13:25:18 | 新俳句入門

私の最初の俳句入門は1979年のニッポン放送オールナイトニッポン【角川春樹の俳句教室】であった。入選句は『春日向風紋のしみ散乱す』である。これをきっかけに2年間にわたって【河新人会】に参加した。当時、春樹氏は映画プロデューサーとして飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、俳句に関しては全くの初心者であった。その春樹氏の率直な言葉に『俳句は季感(を表す言葉)があれば季語はなくてもよい』というものがあった。これに対しては、「河」誌上で吉田鴻司氏の【季語の働きの重要性】という発言が記憶に残っている。春樹氏は、しばらくして『季語の重要性がわかった』とした。氏は義母照子主宰の死後、河主宰を継承したが、その出発に当たってのキャッチフレーズに『季語の無い俳句も俳句として認める』というものがあった。【魂の一行詩】の提起である。しかし、2014年の私の二度目の俳句入門にあっての約20句(選)以外は、「河」の誰一人【無季句】を投句する者はなかった。・・・《続く》

 クノッソスの迷宮獣身たるを忘れまじ     まほろば

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