まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

結社主宰という名の精神の収奪者/新俳句入門(11)

2017-04-28 14:47:10 | 新俳句入門

私は結社を批判しながら、一応2誌に同人参加している。但し、そのうち1誌は3月号で終刊になった。主宰は86歳であった。もう1誌は隔月刊の上、主宰は78歳である。とてもあと10年は持たないだろう。結社無しで俳句を続けられるのかどうか不安になる。そんな時、同人誌への誘いが舞い込んだ。代表者は私の2歳下である。これで手を打とうと思う。俳句は《座》の文芸とされる。その出自が連歌の発句(俳諧)にあるからであろう。しかし、明治期に入って近代文学の萌芽の中で、正岡子規は五七五の17音が自立した一行の短詩すなわち【俳句】としての再生を提起した。しかし、その表現の内実は【俳句結社】という主宰者と入門者の徒弟制度に支配されたものでしかなかった。21世紀のいまになっても、子規の提示した自立した個の言語表現(自由詩)などとても望めない状況と言わなければならないだろう。実は、もう1誌入門するかどうか迷っているところがある。しかし、終刊した結社同人の継承は断られた。また一から主宰者の一方的な《選句》という名の精神の収奪を受ける忍耐力はもう底をついている。結社活動は最小限に止め、同人誌などの結社とは無縁の人々の【俳句】の自立への飽くなきチャレンジ精神に賭けてみるのもいい。・・・《続く》