まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【モラトリウム脱出】本当にシラケていたのは私たち・・元祖新人類との対話を終えて*カラオケ最高歌唱付/私とは誰か~プレおたく世代の現在*特別編

2018-11-09 04:13:51 | エッセー・評論

20年来の知人K君との対話が終った。3ヶ月にわたって深夜コールを続けた結果、もはや彼らには先進世代【新人類】の《元祖》としてのエネルギーは残っていなかった。前にはあの【団塊の世代】が立ち塞がり、後ろには後門の狼よろしく【新新人類】がもの凄い形相で控えていたのだった。彼は現在58歳だが、2010年代に第一線を退くにあたって、団塊の世代の得体の知れない異人類パワーに押され、加速力を失ったところで、今度は油の乗り切った【新新人類】や【ポスト新人類】らに終った世代の烙印を押されてしまった。後に残ったのは真性シラケ世代(=第二次シラケ世代)ところで、その尽きることのない【団塊の世代】の野性的なエネルギーの出処について、彼らは理解出来なかったのだろう。かつて「無気力・無関心・無責任」の【三無主義】の担い手として、1980年代の主役となった彼ら【元祖新人類】は、前を行く《団塊》を乗り越えることなく老いさらばえてしまったようだ。80年代にコンピュータ言語の先駆けとなったベーシックやC言語で、先行世代をリードした彼らも、1990年代のWINDOWSシリーズの汎用システムの中で二度と浮かび上がることは出来なかった。それでは、この両者の中間に身を置いてハンパ者の地位に甘んじた私を含む【第一次シラケ世代】はどうだったのだろうか?私たちは【団塊の世代】と呼ばれた70年安保闘争・カウンターカルチャーの生き残りと直に接して来た世代だけに、現在まで彼らの再生力のない野蛮さの出自を骨の髄まで知り尽くしていた。本当にシラケていたのは、他でもない私たち【第一次シラケ世代】【モラトリウム世代】だった。・・・《続く》

 

 

竹野留里 カバー 『LOVE IS OVER』(原曲 オウ・ヤン・フィフィ)

https://youtu.be/v4o5QN8fdaM?t=20