つい先ほどやっとのことで帰宅出来た。近辺には3時間前には辿り着いてはいたが例の猫の餌遣り男のせいで球場のある公園などに足止めさせられた。それより今日の仕事は大波乱の連続であった。これもまあいい。初めて行った勤務地の周りは何度も行ったことの場所だらけであった。今日はとにかく歩いた。歩かされたのである。まあいいだろう。こうして無事とは言えないが結果帰宅出来たのだから。これだけは言える。周りは敵だらけだということ。俳句の世界も全く同じである。今夜もまだ少し11月分の投句準備が残っている。これで正真正銘終りである。あとは総合誌をどうするかであるが俳句界はやっぱりズルイ。ヤフーブログで編集長自ら将来の自結社の会員集めを行っている。オーナーが在日というのも引っかかる。わがまほろばに敵意を持っているかもしれないのだ。在特会あたりに押しかけて欲しいものだ。誌面からも総合誌というのは偽装だということが明らかである。ブログ友の一人がまんまと取り込まれてしまった。まあいいか、目障りなガキンチョが一人減ったくらいに思えばいい。どうでもいいことばかりが増えた一日だった。 紋次郎また一人増え冬が来た まほろば
昨日金曜は朝から新宿の病院で半日を送るハメになった。天気は薄曇りで風は無く、この時期としてはまあまあの空模様でえあった。気温は18度程度はあったようだ。院内は平日とあって高齢者ばかりで暖房が効いており、その高齢者も含めて暑くて仕方が無い風情であった。3時間以上院内にいたが2時間は待ち時間であった。満を持して受けた肝臓のエコ検査は予想通りの結果で、表面に白いマダラや端々にクモリがあり典型的な脂肪肝の様子であった。ここ数年メタボの進行がひどく内臓にも拡がっていたということであろう。念のため来月CTも撮ることになった。原因は食事の偏り、過度の飲酒(ビール中毒)・・所謂生活習慣病である。今後節酒と食事の根本的な改善が迫られる。 初冬や肝臓まだらと愛の不在 まほろば
今日は爽やかな晩秋の候に恵まれている。もう初冬というべきかもしれない。紅葉はいま最高潮に達している。残念ながらそれどころではなく通院日に当たり新宿まで行かねばならない。帰りに少しだけ新宿御苑に寄ることも考えているが明日からの3連休ならぬ3連勤に備えて余分な体力の消耗は避けておく必要がある。明日の勤務終了後の二の酉と共にどうするか迷うところである。11月の投句準備はほとんど終った。師走を前にそろそろ今年1年の句作を振り返ることも始めなければと思っている。とりあえず今日一日を手際よく乗り切ることである。 新宿のどこか木枯しの吹き溜まり まほろば
地獄だ地獄だ 健さんはもういない ニッポンの師走選挙いな戦争 時給870円に交通費無し 年金無し 消費税ゼロでも買える物が無い お母さんが貧乏だから私も貧乏 日本共産も自由民主もただの絵空事 みんなの党のみんなって年収いくら 総選挙期間中に何人餓死するのか 拝啓天皇陛下様早く神様に戻って下さい(もう人間にはまかせられません) 人間は不器用だから春に死す(追悼 高倉健)
今日は前日から続く見渡す限り晴れ間が広がる晩秋の肌寒い一日であった。安倍首相の週末の解散宣言と文字通り国民的大スターであった高倉健さんの訃報から一夜明けTVや新聞はどこを見てもこの二つに関連するものばかりであった。さて私事である。明日の肝臓のエコー検査から3連休のこれまでとは打って変わっての都心の住宅地での勤務が待っている。初見の地でもありノンビリとやりたいと思う。今夜から明日にかけて雑用が目白押しである。投句は半分以上は終った。よくもまあ結社4誌に会員誌、総合誌と1年近く続けられたものである。これも私の戦略であった。20年以上のブランクはそうそう埋められるものではない。相変わらず俳句の無残な崩壊の光景がそこには拡がっていた。まるで自分自身のそれと寸分違わず重なっていた。そのことの自虐的なまでの認識を得ることがその狙いであった。財政上の理由もあり結社2誌を捨て、総合誌も1誌のみに戻す。坪内稔典氏の【船団】は全く別次元の存在である。他は人間の残滓さえ留めない【廃句】という塵芥に等しい。少し前に出句(選は無い)の準備を終えたところである。 俳句とは廃句だ凍空に底は無い まほろば