池袋支店で2年目のある朝、朝会が終了して8:40になっても佐藤さんは出勤してきません。
まあ、これはいつものこと。稼いでいる時はちょっと遅刻しようが支店長はあまり文句も言わないのですが、頻繁に酒臭い息で遅刻してくる佐藤さんは明らかに脇が甘すぎです。
8:50になって代表電話が鳴ります。電話を一番に取るのは新人の務めです。
「あ~朴ちゃん?オレオレ、佐藤です。支店長空いてる?ちょっと替わってくれる?あ、その前にさあ、夕べ俺さ朴ちゃんのマンションに泊まったことにしてくれる?まあ、確認の電話なんてないと思うけどさ、万一かみさんに聞かれたらそう云うからさぁ。」
遅れてくる上に外泊のアリバイ工作を手伝えという適当さに頭に来た私は
「師匠、いい加減にしてくださいよ。私、奥さんやお母様や娘さんに凄く良くして貰ってるんですよ。だから嘘は絶対嫌です!私が嘘つき呼ばわりされるのはごめんです!」
「またまたぁ朴ちゃん。堅いこと言うなよ。嫌われちゃうよ~、オレと朴ちゃんの仲じゃん。お願いするよ。」
「嫌ってくれても結構です!大体アンタ何処にいるの?もう前場が始まっちゃいますよ。いい加減にしてください!支店長に替わりますから!」
と冷たく突き放しました。支店長が
「佐藤は午前中休みだとさ。お~い朴!夕べ佐藤と一緒だったのか?」
「いいえ、私は一緒じゃありません!別の先輩といましたから。」
「あ、そう?全く佐藤はしょうがねえぁ」
そう、しょうがない人なんです。
優しいし、面倒見はいいし、仕事は出来るけど、ちゃらんぽらんなんです。
そして10:30くらいに別の電話を女性スタッフが取りました。
携帯もスマホもない時代、佐藤さんのお母様からでした。女性スタッフはしばし受話器を握ったままお母様の話を聞いているよう、そのうちに泣き出してしまいました。
電話を終えたスッタフは内容を支店長に報告します。それは
「佐藤さんの奥様が先程亡くなられた。新居の2階の階段から落ちた。落ちた時はもう即死の状態。それは打撲が原因でなく元々心臓が弱く、2人目の娘を産んで間もない時期だったので、貧血でくらっとして階段から落ちた。」
そして「階段下で倒れているお母さんを見つけたのは、当時3歳の娘さん。3歳なのにしっかりしていて、ご近所に助けを求めに行った・・・」
師匠!アンタ何処で何してるんですか?昨日アンタがきちんと帰っていたらもしかしてこんなことにならなかったかもしれないじゃないですか?少なくても昨日は大切な時間を一緒に過ごせたはずじゃないですか?それを私にアリバイを頼んだりするなんてどうかしてるんじゃないですか?
怒りと悲しみで言葉に詰まってしまいました。
そして当の先輩からは11時くらいに支店に電話がありました。何となく自宅に電話をしたんでしょうね。そして悲報を知ってしまったんですね。
私はそれから直ぐに自宅に駆けつけて葬儀・告別式のスタッフとしてお手伝いをさせて頂きました。告別式も終え火葬場にもご一緒させて頂きました。さすがにその後ご自宅へ出向くのは憚られましたが、骨を拾い、お浄めをしているところに先輩がやってきて
「朴さぁ。いろいろありがとうね。おまえ今度結婚するんだよな。結婚式行けなくて悪いなぁ。」
「・・・・・・・」
「お前さぁ、かみさん大切にしろよ・・・」
「・・・・・・・・・」
そして2人で抱き合って泣きました。
泣いても泣いても涙が止まりませんでした。
だって、まだ3歳の長女、産まれたばかりの次女を遺して逝くなんてさぞや無念だったでしょうに。
もう28年前の夏の日のことです。