最近、流行りの古民家を利用したcafeに飾られている時計。
今時のクォーツ時計が掛かっていたりすると残念に思ったりもしますが、古い機械式の時計が掛かっていても
それはあくまでもインテリアとしての役割であって、時計として機能していなくても、それなりの雰囲気はある。
しかし、古くても「時計は時計」。時を刻んでこそ与えられた役目を全う出来るというものです。
そんな、出先で入店した古民家を利用したcafeに掲げられていた八角柱時計。
例に漏れず、時を刻むのを止めただじっとしている・・・。
お店の方に許可を貰い、壁から下ろし珈琲を飲みながら暫し観察。
多分、戦前より前の一世紀ほどはあると思われるアメリカ製の時計で、アンソニアかニューヘブン辺りか・・・。
左右の発条は生きていることを確認。お店の方に、ここで「動かして良いのか」の許可を再び貰う。
許可を貰ったところで、珈琲を飲みながら工具も油も持ってない状態で出来るだけのことを施す。
注意することは、発条が生きているからと言って一気に巻いてはいけないこと。
長年、伸びきった発条は破断を起しやすい。少しづつ発条を巻いて行き、決して巻き切ってはいけない。
珈琲の飲むように、ユックリと時間を掛け手の届く範囲で調整を施し、可動を確認し元の居場所へ戻して上げる。
お店の方も喜んで頂いたようですが何せ、こちらは時計修理屋でもないただのお客。
出来ることなら、身分を明かし1週間ほど預かって手を加えたいところ、これ以上の御節介は止めておくことに。
微かに店内に響く「コチコチ」と時を刻む音を聴きながらの珈琲は格別ですが、時計が動き出した時には既に
珈琲を飲み切ってしまった・・・。
レジで代金を払いながら遠目で動き出した時計を眺め、「元気に何とか時を刻む」ことを願って店を出る。
折角の出会いも最近の風潮は口も手も出しにくいですよね。
大変良くできました!…◎
私自身の自己満足ですかねぃ・・・(笑)
「袖擦り合うも他生の縁」良い言葉です。
又、訪れることもあるかと思いますが、その時に
覚えていてくれると嬉しいのですが・・・。