素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

本日出会った2つの言葉

2011年08月21日 | 日記
「何でもやる必要はない。しかし、何でもやれないといけない。プロの役者なら・・・」

 NHK BS プレミアム“HV特集 帝国劇場の百年・夢と希望と感動の大舞台”の中での松本幸四郎さんの言葉である。本業の歌舞伎のほかに帝国劇場で演劇、ミュージカルなどで精力的に活動して来た松本さん、さまざまなジャンルに果敢に挑んできたように思われているが、実際はまわりから「やってみないか?」と声をかけられたとインタビューで話していた。「やれない」と断るのは簡単だが、それでは自分の可能性の芽を摘み取っていくことになる。そこで、機会を与えられた時は、果敢に挑んでいった。その結果が多方面での活躍という現象として他人の目には映る。プロの役者の自負というものを見た思いがした。

 仕事においても大切な心構えだと思う。私は学校現場しか知らないが、授業や担任業務以外にも学校運営のために様々な校務がある。学校によって多少の違いはあるが、教務、学習指導、生活指導、進路指導、生徒会、美化、視聴覚、図書などが主なものである。当然、得手不得手や好き嫌いはある。避けようと思えば避けられるかもしれないが、それでは給料をもらって仕事をしている者として情けないと思わなければいけない。

 「何でもやれないといけない」という意識を持って日常を送るのと送らないとでは年月を重ねるに連れて大きな差が出てくる。意識を持っていれば常に他の人の仕事を観察し、必要な情報はインプットし蓄積していく。また、自分だったらどうするか?というシュミレーションも行うだろう。目に見えない部分だが、いざ自分がやらなければならない立場になったとき生きてくる。

 私は小規模校での勤務が比較的多かったので、図書(一番やりたかった仕事だが)以外はすべておこなった。松本さんの意気と相通じる思いを常に持ってきた。50歳を過ぎてぐらいからそのことは自分の財産やなと思うようになった。

「作家にとって一番大事な作業は、膨大に調べて膨大に捨てる、ということだと思うんですよ。調べたことを全部書いたらいけないんです。調べたことを読者に必要な部分だけピックアップして使う、そうなると、私の場合は調べたことの9割は捨てています。逆に、捨てられるという能力は大事にしていかないといけないのかなって。」

 今日はめまぐるしく変わる天気であったので、外仕事もままならず、自然と“読書day”となった。しばらく途切れた文庫版“図書館戦争シリーズ”の④「図書館革命」を読み始めたら本編最終巻ということもあり♪やめられない とまらない♪状態に陥ったというべきか、とにかく朝から夜まで時間があれば読み耽り1日で読みきってしまった。

 その最後にある文庫版特別対談で有川さんが児玉清さんに話した言葉。「作家を教師に、読者を生徒に変えると」というように、教育の世界に置き換えてしまうのは30数年の習い性かと思う。

 新任の授業を見ていてよく感じることが2つある。1つは、膨大に調べていないなあ。もう1つは、欲張って全部しゃべろうとしているなあ。どちらがいいかといえば後者である。

 勉強して、調べなければ字面だけを追う薄っぺらい授業になってしまう。勉強して、調べると今度はあれもこれもと欲張って消化不良の授業になってしまう。しかし、これを何度か繰り返すうちにだんだんと不要な部分が削られていく。削られてシンプルになったものと最初から薄っぺらいものとでは見た目は大差ないかもしれないが、1年間の授業の濃さでは大きな違いとなる。

 図書館戦争シリーズの魅力は、“よく調べられた隠し味”にある。
コメント (1)
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