素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

“高野 良輔ピアノリサイタル”へ

2011年08月27日 | 日記
  高野良輔くんのお父さんは交野市で女声合唱団の指導者、指揮者として長年活躍されてきた。知人がその合唱団のメンバーという縁でリサイタルに出かけた。

 良輔くんは私の子ども達と同じ保育所に通っていたといううっすらとした記憶がある。舞台に登場した青年には当時の面影もなく、繊細なタッチから紡ぎだされる心地よいメロディーは心に沁み、力強いタッチには心が躍った。

 人間の記憶は不思議なものでプログラムが進むにつれ、頭の中に良輔くんの保育所時代の顔が映像となってうかんでくるのである。よく顔は思い出せるが、名前は出てこないという経験をする。それは、脳の記憶は先ず映像で、最後に文字という風になっているからだと聞いたことがある。映像である顔に比べて文字である名前はなかなか思い出せないのである。

 演奏を聞きながら、私の頭の中では保育所時代の彼の姿、顔、お母さんと一緒に登園するさまがどんどんクリアーになっていく。私にとっては不思議な体験であった。以前、島崎敏樹さんの本の中に、山から滑落して奇跡的に助かった人の話があった。滑落している時間はほんの数秒だが、その間に走馬灯のように自分の人生のいろんな場面が映し出されていくというのである。

 我々の脳には自分の経験してきたことが映像となって膨大な量記憶されているのだという。それらのほとんどは表に出てくることはないが、何かの拍子に鮮明にあらわれるという。高校時代に読んで本当かなと思ったが、死と隣り合わせの滑落や墜落を経験するわけにはいかない。

 しかし、今日たまたま音の世界に浸っている時に浮かんできた映像で、自分の脳の中には計り知れない膨大な量の映像が入っているということは実感できた。

 無粋であったのは雷。最後のいいところで、ゴロゴロと聞こえてきたのである。エナジーホールの防音にも問題があると思うが、「カミナリ?」「あめ?」「洗濯物が濡れる!」などと演奏に集中できなくなった。

 演奏後ホールを出たら外は土砂降り。余韻を楽しむ空気は吹っ飛び、いかに帰るか?ということで玄関付近は持ちきり。お茶をすることもかき氷を食べることもすべてとりやめ。即、家に帰った。

 明日から、大山の休暇村に連泊しての観光。もともと釧路、知床方面へのツアーを申し込んでいたが、人が集まらず携行中止となったため、急きょ代替えで考えたプラン。天候が心配。吉とでるか凶とでるか、夏の終わりの運試し。
コメント (1)
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