今朝初めてホトトギスを聞いた。「トッキョ・キョカキョク」と聞こえる。家の花も紫陽花から朝顔、ヒマワリへと主役交代となってきた。まだ梅雨明けとはいかないが確実に夏は近づいている。4日間ほど詰めてトレーニングしていたので今日は完全休養日。切り取っていた新聞などを整理する。
今、文化事業への補助金削減で論議を巻き起こしている大阪の動きに言及した立命館大文学部准教授宮本直美さんの指摘は参考になった。短絡的な数値目標や権力者の趣味によって決定される文化政策などは論外とした上で、公的資金による文化支援の正当性については常に検討されるべき課題であるという。世界的に見ても、オペラやクラシック音楽、そしてその国の伝統文化に対しては公的に支援するのが一般的となっているが、そうしたジャンルを鑑賞するのは一部の人である。一部の層の嗜好をなぜ税金で保護するのかという正当性は主として「外部便益」という考え方で説明されてきたという。あるジャンルの文化を支援することは、直接それを享受する人々以外にも何らかのメリットをもたらすという考え方である。
分野はことなるが、オリンピック選手に対する公的な支援も同じような考えに立つと思う。先日の歴史秘話ヒストリアの“人見絹枝”さんの秘話というより悲話はそのことをあらためて考えさせられた。
文化活動でもスポーツ活動でも多種多様に存在するわけで、その中でどのような根拠でどの分野をどのように支援するかについての議論は長期的視野に立ちながら常にしていく必要があるというのである。
「文化振興を考えるには、自分の好みや理解とは相いれない文化ジャンルの意義への想像力が欠かせない。あらかじめ正解があるわけでもなく、合意に至る過程が重要になる。最近は中身を問わない決定が決断力と誤解されているが、手っ取り早い解答を欲しがる社会において長期的視野で考えることができるかどうか、行政も住民も試される問題だろう。」 歴史的には1960年代に米国の経済学者ボウモルとボウエンが「公的支援なしには近い将来、芸術は滅ぶ」と警告したことに欧米諸国が危機意識を持ち、文化政策への意識が高まったということである。
芸術が市場原理のみでは維持できないことへの自覚が大切であるともいう。市場原理は万能ではない。夜、21時からのNHKであった“NHKスペシャル大英博③”も22時からのEテレ“日本人は何を考えてきたのか⑥”での吉野作造と石橋湛山の軌跡をたどりながらの話などにも相通じるものを感じた。
体は動かず脳がよく動いた一日であった。
今、文化事業への補助金削減で論議を巻き起こしている大阪の動きに言及した立命館大文学部准教授宮本直美さんの指摘は参考になった。短絡的な数値目標や権力者の趣味によって決定される文化政策などは論外とした上で、公的資金による文化支援の正当性については常に検討されるべき課題であるという。世界的に見ても、オペラやクラシック音楽、そしてその国の伝統文化に対しては公的に支援するのが一般的となっているが、そうしたジャンルを鑑賞するのは一部の人である。一部の層の嗜好をなぜ税金で保護するのかという正当性は主として「外部便益」という考え方で説明されてきたという。あるジャンルの文化を支援することは、直接それを享受する人々以外にも何らかのメリットをもたらすという考え方である。
分野はことなるが、オリンピック選手に対する公的な支援も同じような考えに立つと思う。先日の歴史秘話ヒストリアの“人見絹枝”さんの秘話というより悲話はそのことをあらためて考えさせられた。
文化活動でもスポーツ活動でも多種多様に存在するわけで、その中でどのような根拠でどの分野をどのように支援するかについての議論は長期的視野に立ちながら常にしていく必要があるというのである。
「文化振興を考えるには、自分の好みや理解とは相いれない文化ジャンルの意義への想像力が欠かせない。あらかじめ正解があるわけでもなく、合意に至る過程が重要になる。最近は中身を問わない決定が決断力と誤解されているが、手っ取り早い解答を欲しがる社会において長期的視野で考えることができるかどうか、行政も住民も試される問題だろう。」 歴史的には1960年代に米国の経済学者ボウモルとボウエンが「公的支援なしには近い将来、芸術は滅ぶ」と警告したことに欧米諸国が危機意識を持ち、文化政策への意識が高まったということである。
芸術が市場原理のみでは維持できないことへの自覚が大切であるともいう。市場原理は万能ではない。夜、21時からのNHKであった“NHKスペシャル大英博③”も22時からのEテレ“日本人は何を考えてきたのか⑥”での吉野作造と石橋湛山の軌跡をたどりながらの話などにも相通じるものを感じた。
体は動かず脳がよく動いた一日であった。