素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

二十一世紀は「わからない」の時代

2012年07月13日 | 日記
 橋本治さんの本に『「わからない」という方法』というのがある。ずい分長い間本棚でねむっていたが、最近ちょくちょく読んでいる。そこに“二十世紀は「わかる」を当然とした時代”だったが“二十一世紀は「わからない」の時代”といういとも当たり前の状態にもどったという指摘がある。

 「わかる」を当然とした時代では、どこかに自分の知らない“正解”があると思い込み理論から理論へと走り、新しい理論を知らなければ恥じであるという思いが社会全体を支配してきた。

 しかし、「なんでもかんでも一挙に解決してくれる便利な“正解”」というものはそもそも幻想の中にしか存在しないものだから追い求めた結果、幻滅がやってくる。」という。

 今の世の中の状況はそういうところに陥っているのではなかろうか。私自身の中にもある。だからニュースや新聞を見るのが嫌になることが多い。しかし、橋本さんは二十世紀が終わると同時にやってきたのは「幻滅」ではなく、ただの「現実」であると言い切る。

 『人はこまめに挫折を繰り返す。一度手に入れただけの自信は、たやすく役立たずになり変わる。人はたんびたんびに「わからない」に直面して、その疑問を自分の頭で解いていくしかない・・・・これは、人類史を貫く不変の真理なのである。自分がぶち当った壁や疑問は、自分オリジナルの挫折であり疑問である。「万能の正解」という便利なものがなくなってしまった結果なのではない。それを「幻滅」と言うのなら、それは、「なんでも他人まかせですませておける」と思い込んでいた、無精者の幻滅なのである。』 

 そこから「わからない」を「方法」にする方法の核心へと話は入って行くが、読んでいるうちに高橋秀実さんを思い出し「からくり民主主義」も再読し始めた。




 
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