素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

外宮界隈

2012年07月12日 | 日記
 外宮の近くに高等女学校(現宇治山田高等学校)があったので母や叔母にとっては青春時代の思い出につながるなつかしの場所である。今回私が寄ってきたと言ったら「どうやった?」と興味深げに尋ねてきた。私もそうであったが近くにいても意外と行かないのが外宮である。昔のことはほとんどしゃべらない母や叔母であるが、今回は少し思い出話しをきかせてもらった。
     

 勾玉池もうっそうとした感じの池であったと記憶しているが、“せんぐう館”とのセットで印象がずい分変った。
休憩所から 館内から “せんぐう館”の展示の中では宮大工の匠の技がやはり目をひいた。薬師寺や唐招提寺などの再建、修理で登場する“木の癖を見抜く目”についても同じように強調されていた。木の癖を見ながら1本の木から無駄の出ないように部材を取り出す墨つけの展示にしばし釘付けとなった。

   
 伊勢市は大別すると山田と宇治の2つの地区になる。内宮は宇治にあり、おかげ横丁の企画があたったことも賑わっているが、外宮のある山田地区は反比例してさびれている。かつては伊勢方面にはJR参宮線が主な路線で伊勢市駅が拠点となっていた。近鉄も宇治山田駅が終点だったので1つ手前の伊勢市駅で降りる人が多かった。近鉄が宇治山田駅から鳥羽、賢島へと延伸したのは私が20歳の頃である。

 高校時代は志摩電鉄の志摩磯部駅(今は近鉄・上之郷駅)から鳥羽に出て、国鉄の参宮線に乗り換え伊勢市駅で降りて30分弱歩いて通学していた。したがって伊勢市駅付近は電車待ちの時にウロウロしたなつかしい場所である。ちょうど雨もやんでいたし、外宮から北東に400mぐらいなのでついでに見てこようと思いたった。コミュニティ道路としてきれいな道になっていた。山田館は昔のままの外観でなつかしく思えた。
  伊勢市駅は建て替えられきれいになっていたが周辺の商業施設はなくなり閑散としていた。駅前商店街は軒並みシャッターが下りていて、ういろうの柳屋だけがほそぼそと店をあけていた。聞いていた以上の衰退ぶりに驚いてしまった。

 最近、伊勢名物として“ぱんじゅう”という名前を聞くようになった。なつかしいものなので取り寄せて食べたことがあるが、私の知っている“ぱんじゅう”とはほど遠いものだった。高校の頃小腹を満たすためによく寄っていたのが駅前商店街の“七越ぱんじゅう”である。ういろうの柳屋さんの店番のおばあさんに尋ねたらとっくに店を閉めたとのこと。外宮に戻るために商店街の裏にまわってビックリ。伊勢うどんの山口屋の店が昔のままあったのである。小さい頃伊勢に出るのは旅行なみのイベントであった。必ず昼は山口屋の伊勢うどんときまっていた。主な店は全部“おかげ横丁”のほうへ移っているので残っているとは思わなかった。当時でもずい分古く感じていたのだがそのままである。本日一番の“まさか”であった。
 叔母との約束の時間が迫っていたので入らなかったが、次の機会には立ち寄ろうと思った。本腰を入れて外宮界隈の散策をしてみようと、また“引きだし”にものが増えた。

 今日は松阪の済生会病院での父の診療に付き添う。車で約1時間、待ち時間2時間強。診療に30分余り。朝9時に家を出て、帰ってきたのは16時過ぎであった。待合で座っているといろいろなことを考えさせられる。

 19時に家を出て、22時前に大阪に帰る。相変わらずの不安定な天気が続く。今度は九州北、中部で豪雨。旅行で行った所も多くありすさまじさに息を呑む。雨に対する構えを変えないといけない。 
コメント
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