素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今日のような晴れ間が「五月晴れ」

2012年07月09日 | 日記
 こいのぼりの季節の晴天を“五月晴れ”と言っていたが、これは旧暦から新暦への転換が引き起こした誤用であるらしい。六月に降る長雨を“梅雨(つゆ)”と呼び、“五月雨(さみだれ)”とも呼ぶ。

 “さみだれ”は「田の神(サガミ)の水が下垂る(したたる)」という意味からきているそうだ。旧暦五月にあたるので“五月雨”という漢字を当てた。久しぶりに蒲団を干し、夕方には花に水をやった。ずいぶんやっていないような気がした。

 昨日、完全休養したので今日の午後、寝屋川公園のコースで20km走をおよそ3ヶ月ぶりにやってみようと思っていたが、太陽の強さと気温の上昇に無理だと判断してジムのランニングマシーンで90分14kmを走った。マシーンだとこれくらいが限界だと感じた。体力よりも飽きがくる。

 毎日新聞京都支局の榊原雅晴さんが発信箱に“モルグにこもる”という一文を寄せていた。モルグは警察署などの死体置き場だが、米国の新聞社では資料室もそう呼ぶそうである。

 昨今の新聞社はIT化がすすみ過去の記事も電子化され、キーボードをたたいて検索とスマートになった。かび臭い切抜きの束や変色した写真を手にしたときに感じる先輩記者の汗や涙とも無縁でモルグとはほど遠くなった。

 しかし、すべてが電子化されたわけではないので榊原さん、30年以上前の記事を探すためにモルグで格闘するはめになった。そこで自分自身の駆け出しの頃の記事を見つけたりして恥ずかしい思いをしたりする。

 これは私がふとした時に若いときにつくった学級通信や学年通信、授業プリントを本箱の奥で発見した時の思いに通じるものがあるかと思った。

 ほこりにかぶったいろいろな資料を眺めながら、自分が今、常識としていることが、30年後も常識であるるのだろうかという疑問が次から次と浮かんできたという。

 ついでに同じ頃の政治面を開けてみると
『大平内閣不信任案を可決 自民実態は分裂』
 『反主流「展望なく造反に走る」』

という見出しが飛び込んで来て、複雑な思いにとらわれたという。

 政治の世界はこれの繰り返しかとあらためて思ったしだい。

 榊原さんは「古い記事の森に分け入ると、いろんなことを考えさせられる。ときにはモルグにこもることも、意外に役立つ」と締めくくっている。

 教育に関することも政治の世界と同じく堂々巡りをしているかもしれない。教育関連のモルグの森も面白いかもしれない。
コメント
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