素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

1週間ぶりのジム

2013年02月25日 | 日記
 1週間も顔を出さないと最近は病気、けがという具合に思われる。実際そのケースが多いのだが、私も受付に顔を出した途端、開口一番「どこか具合が悪かったのですか?」と尋ねられた。「まあ色々ありまして。でも元気でしたよ」と答える。

 30km走の後遺症があったことは事実。4日間は走ることができなかった。昨日、延べ2時間強歩いても足に違和感を感じなくなってきた。今日は30分間を時速8kmぐらいのペースで走ることができるかを一番試したかった。こういう時、ランニングマシーンは便利である。入念にストレッチをして軽めに筋力トレーニングをする。ピラティスのスタジオにも入り体幹にもしっかり刺激を与えてから最後にランニングマシーンに乗った。

 昨日までとは違い、足がスムーズに動く。もう少し速度を上げられるかなと思ったが、自重した。代表幹事さんの言葉がしっかり頭に入っている。ここで痛めてしまったら元も子もない。きっちり30分4kmで切り上げる。予定通りの回復であったのでホッとした。

 今週はバタバタしないで普通のリズムの生活を送りたいと思っている。そのことが寝屋川ハーフマラソンへの一番の調整だと考える。優先順位をまちがわない生活をするということである。私にとって″走る”ということは、現役時代のクラブ指導と同じ、4番目位に位置するものである。

夜に母からメールが届いた。「さて何事ぞ?」と見ると私の中学校時代の恩師であるN先生が亡くなったという知らせであった。両親とも同僚や友人との永遠の別れが続いていて「歳なんだから」と頭ではわかっていても儚さを感じてしまうと言っていた。

 N先生のことは先日帰った時に桜宮高校のことが話題になった折に話をしたのである。前にもふれたことがあるが小・中学校を通じて精神的にも肉体的にもいろいろな体罰を経験してきた。その中でも強烈だったのがN先生。ついていたあだ名が「左ハンマー」。技術の先生で左利き、怒らすと持っているもので殴るという伝説があった。釘打ちをしていた時怒らせた先輩が金槌で殴られそうになったという。逃げて難をのがれたのだが左手に金槌をふりかざして追いかける姿は鬼気迫るものがあったという。以来、金槌を持っている時は怒らしてはいけないということも含め「左ハンマー」と呼ばれていた。本当かな?と思っていたが、ある日、のこぎりを使っていたN先生を怒らせた同級生がいて、のこぎりをふりかざして怒る姿を見た時「やっぱり左ハンマーは本当だったんだ」と納得した。

 父は学生時代にも軍隊に行っても体罰を受けた経験がないと言ったので、「それは幸せやな。俺なんか・・」ということで昔受けた体罰の話になったのである。親にはいちいち報告していなかったので初めて聞く話に驚きもあったみたいだ。N先生もふだんは穏やかで両親もよく知っているので「そんな面もあったのか」と認識を新たにしたみたいだ。

 偶然話題に上がったN先生の死、先日の夜の思い出話は虫の知らせみたいなものだったのかと母は思ったそうだ。そうかもしれない。
コメント
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