今日の新聞に政府の「教育再生実行会議」が26日に取りまとめた第1次提言の要旨が掲載されていた。その中で、道徳の教科化が「いじめと体罰対策」にからめ提言されている。
『現在の道徳教育は学校や教員によって充実度に差がある。思いやりや規範意識などを育むよう、道徳の教材を充実させ、新たな枠組みで教科化する。全ての教員が習得できる指導方法を開発し、教員の指導力向上に取り組む。学校では全ての教育活動を通じ道徳教育を行い、食育などの視点も取り入れる。学校は保護者も巻き込み、子どもたちが守らなければならない決まりや行動の仕方を身につけることができるよう、市民性を育む教育の観点を踏まえる』
とあった。「ウ~ン・・・ハァ~」とため息が出た。現場で、生きた生徒とかかわっている教師にとっては空疎な言葉としてしか伝わってこないのではないか。この問題は置き去りにされていたものではなく、戦後ずっと提言、議論されてきたことである。いつも言うが、そのことを全く踏まえていないことが一番の問題ではないかということである。
私自身、道徳教育についてはずっと悩んできた。その時に指針となってきたのが村井実さんの書かれた『道徳は教えられるか』(国土新書)である。1967年に初版発行であるから私が16歳の時、ずい分前のものであるが中身は色あせていない。表面的な論争ではなく、道徳教育といわれるものへの深い哲学的考察を加えているので難しく、何度も読みながら実践の場で試行しながら教師生活を送ってきた。
この本を書かれたきっかけは、昭和41年(1966年)に出された『後期中等教育の拡充整備についての答申』と別記の『期待される人間像』に関する論争への問題提起であると思っている。今回の提言も源流はここにある。長いがクリックして是非読んでもらいたい。50年近い歳月を基本的には自民党の安定政権を背景に着々とこの流れで教育界は進められてきたと考えている。あぶくのような論争はあったが大きな流れは変更していないと思う。
その流れの中の今の事態である。というとらえ方をして検証すべきだと思っている。単純に文部省が悪い、日教組が諸悪の根源だ、教育委員会がなっていない、教育現場がだめ、社会や家庭の教育力が低下しているなどと原因探しをして責任を押しつけるのではなく、もっと根本的な部分にメスをいれないと結局同じことを繰り返していくだけだと思う。
村井さんは、本の″はじめに”でこう書いている。
自分の子どもを善くしたいと思わない親はいない。自分の生徒を善くしたいと思わない教師もいない。
この「善く」するということが道徳教育の本来の意味である。したがって、親も教師も子どもを善くしたいと思い、そのために心をくだいて配慮するかぎり、道徳教育を行なっているのである。
それにもかかわらず、戦後のわが国においては「道徳教育」という言葉ほど不人気な言葉はない。とくに教師の間では、「道徳教育」という言葉は、口にすることすら長い間のタブーであった。
考えてみれば奇妙なことである。教師というものは、彼が教師であるかぎり、生徒を「善く」するための努力をさけることができない。つまり、道徳教育に本来的に参加しているのである。したがって、その参加していることの意味を慎重に把握し、参加の仕方を研究・工夫するということは、教師の当然の仕事でなければならない。それにもかかわらず、かえって、自分がそこに参加していないかの如き態度をとるということは、明らかな自己矛盾である。あるいは自己疎外であると言っていい。戦後の教育は一貫してこの自己疎外の上に成り立ってきたのである。
もっとも、この疎外が生じたのには、十分な弁護の余地があったと私は思う。一つには、戦前の修身教育によってゆがめられた道徳教育のイメージが、戦後の教師たちをして、道徳教育そのものを嫌悪させるに至ったのである。
もう一つは、戦後の特異な政治情勢であった。戦後のわが国の文教政策をリードしてきた保守的な思想が、いわば学校教育への勢力浸透の橋頭保として道徳教育というものを利用する危険が明らかに存在していた。この危険へのおそれが、教師たちの間で、「道徳教育」という言葉を一つのタブーと化してしまったのである。そしてこのタブーのために、教師たちの自己疎外がおこったのである。
しかし、どのような理由があったにせよ、自己疎外は自己疎外である。教師という仕事そのものが所詮道徳教育であるにもかかわらず、羹に懲りて膾を吹くたぐいの、過去のゆがみの記憶からの恐れや政治的配慮のために、問題そのものに正対することを逃避していては、教育という仕事は結局は停滞し、挫折する以外にはない。不幸なのは教師自身であり、生徒もまたその被害者たることをさけられないのである。
道徳の特設時間というものが、小・中学校に設けられたのは、こうした事態のただ中においてであった。それがどのような文教政策上の配慮から設けられたかについては、ここでは議論を避けたい。しかし、この特設時間が設けられたことによって、教師の自己疎外の現実は少しも好転していないということができよう。大半の教師たちは依然として、道徳教育を恐れ、逃避する姿勢をつづけており、特設時間に協力の姿勢を示している教師たちも、この時間の扱いに不安を抱き、文教当局の指導にもかならずしも満足してはいない。教師の不孝も生徒の被害も、今なお依然としてつづいているのである。
この状態は本が執筆された頃からいまだに続いているのではないかと思う。それが現象として学校(学級・学年)崩壊、校内暴力(対教師暴力)やいじめ問題また体罰問題としてあらわれてきているように思えてならない。一時的に症状を抑えるような対処ではダメなのじゃないか?識者にはもっと過去の方針、試行への検証の上に立った熟議を望む。
最後に村井さんはこう締めくくっている。
したがって道徳教育というものは、私たち教師によって、もっと真剣に研究されなければならない。特設時間を利用するかしないかなどは、たんに技術的な問題にすぎない。本来の道徳教育というのは、教育自体にとってもっとも根本的であり、道徳教育を考えるということは、私たち教師が、自分自身の存在の意義を、自分自身で確かめながら生きることを意味するのである。
現在の政治情勢のなかでは、道徳教育という問題を取り上げること自体、明らかに危険をともなう。しかし、危険をおそれて、問題自体をあいまいに放置するということは、教師が自分の存在に欺瞞を許すことになるであろう。危険に臨む者にとってほんとうに大切なのは、危険からの逃避ではなくて、危険の克服である。欺瞞ではなくて、実力なのである。
道徳教育というものを率直にとりあげ、その構造を分析し、道徳教育につきまとう各種の危険をどう克服するか、真正の道徳教育をどの方向に展開していくか、そのための意欲と力への奮起を読者によびかけることが、私のこの書物の目的である。
村井さんは安直な答えは用意してくれていない。いろいろやってきたがいまだにわからないというのが正直なところ。わからないままに機会を見つけて書いていきたいと思っている。今日の新聞で眠っていたスイッチが入ってしまった。マラソンしながら考えることがまたできたという感じ。
『現在の道徳教育は学校や教員によって充実度に差がある。思いやりや規範意識などを育むよう、道徳の教材を充実させ、新たな枠組みで教科化する。全ての教員が習得できる指導方法を開発し、教員の指導力向上に取り組む。学校では全ての教育活動を通じ道徳教育を行い、食育などの視点も取り入れる。学校は保護者も巻き込み、子どもたちが守らなければならない決まりや行動の仕方を身につけることができるよう、市民性を育む教育の観点を踏まえる』
とあった。「ウ~ン・・・ハァ~」とため息が出た。現場で、生きた生徒とかかわっている教師にとっては空疎な言葉としてしか伝わってこないのではないか。この問題は置き去りにされていたものではなく、戦後ずっと提言、議論されてきたことである。いつも言うが、そのことを全く踏まえていないことが一番の問題ではないかということである。
私自身、道徳教育についてはずっと悩んできた。その時に指針となってきたのが村井実さんの書かれた『道徳は教えられるか』(国土新書)である。1967年に初版発行であるから私が16歳の時、ずい分前のものであるが中身は色あせていない。表面的な論争ではなく、道徳教育といわれるものへの深い哲学的考察を加えているので難しく、何度も読みながら実践の場で試行しながら教師生活を送ってきた。
この本を書かれたきっかけは、昭和41年(1966年)に出された『後期中等教育の拡充整備についての答申』と別記の『期待される人間像』に関する論争への問題提起であると思っている。今回の提言も源流はここにある。長いがクリックして是非読んでもらいたい。50年近い歳月を基本的には自民党の安定政権を背景に着々とこの流れで教育界は進められてきたと考えている。あぶくのような論争はあったが大きな流れは変更していないと思う。
その流れの中の今の事態である。というとらえ方をして検証すべきだと思っている。単純に文部省が悪い、日教組が諸悪の根源だ、教育委員会がなっていない、教育現場がだめ、社会や家庭の教育力が低下しているなどと原因探しをして責任を押しつけるのではなく、もっと根本的な部分にメスをいれないと結局同じことを繰り返していくだけだと思う。
村井さんは、本の″はじめに”でこう書いている。
自分の子どもを善くしたいと思わない親はいない。自分の生徒を善くしたいと思わない教師もいない。
この「善く」するということが道徳教育の本来の意味である。したがって、親も教師も子どもを善くしたいと思い、そのために心をくだいて配慮するかぎり、道徳教育を行なっているのである。
それにもかかわらず、戦後のわが国においては「道徳教育」という言葉ほど不人気な言葉はない。とくに教師の間では、「道徳教育」という言葉は、口にすることすら長い間のタブーであった。
考えてみれば奇妙なことである。教師というものは、彼が教師であるかぎり、生徒を「善く」するための努力をさけることができない。つまり、道徳教育に本来的に参加しているのである。したがって、その参加していることの意味を慎重に把握し、参加の仕方を研究・工夫するということは、教師の当然の仕事でなければならない。それにもかかわらず、かえって、自分がそこに参加していないかの如き態度をとるということは、明らかな自己矛盾である。あるいは自己疎外であると言っていい。戦後の教育は一貫してこの自己疎外の上に成り立ってきたのである。
もっとも、この疎外が生じたのには、十分な弁護の余地があったと私は思う。一つには、戦前の修身教育によってゆがめられた道徳教育のイメージが、戦後の教師たちをして、道徳教育そのものを嫌悪させるに至ったのである。
もう一つは、戦後の特異な政治情勢であった。戦後のわが国の文教政策をリードしてきた保守的な思想が、いわば学校教育への勢力浸透の橋頭保として道徳教育というものを利用する危険が明らかに存在していた。この危険へのおそれが、教師たちの間で、「道徳教育」という言葉を一つのタブーと化してしまったのである。そしてこのタブーのために、教師たちの自己疎外がおこったのである。
しかし、どのような理由があったにせよ、自己疎外は自己疎外である。教師という仕事そのものが所詮道徳教育であるにもかかわらず、羹に懲りて膾を吹くたぐいの、過去のゆがみの記憶からの恐れや政治的配慮のために、問題そのものに正対することを逃避していては、教育という仕事は結局は停滞し、挫折する以外にはない。不幸なのは教師自身であり、生徒もまたその被害者たることをさけられないのである。
道徳の特設時間というものが、小・中学校に設けられたのは、こうした事態のただ中においてであった。それがどのような文教政策上の配慮から設けられたかについては、ここでは議論を避けたい。しかし、この特設時間が設けられたことによって、教師の自己疎外の現実は少しも好転していないということができよう。大半の教師たちは依然として、道徳教育を恐れ、逃避する姿勢をつづけており、特設時間に協力の姿勢を示している教師たちも、この時間の扱いに不安を抱き、文教当局の指導にもかならずしも満足してはいない。教師の不孝も生徒の被害も、今なお依然としてつづいているのである。
この状態は本が執筆された頃からいまだに続いているのではないかと思う。それが現象として学校(学級・学年)崩壊、校内暴力(対教師暴力)やいじめ問題また体罰問題としてあらわれてきているように思えてならない。一時的に症状を抑えるような対処ではダメなのじゃないか?識者にはもっと過去の方針、試行への検証の上に立った熟議を望む。
最後に村井さんはこう締めくくっている。
したがって道徳教育というものは、私たち教師によって、もっと真剣に研究されなければならない。特設時間を利用するかしないかなどは、たんに技術的な問題にすぎない。本来の道徳教育というのは、教育自体にとってもっとも根本的であり、道徳教育を考えるということは、私たち教師が、自分自身の存在の意義を、自分自身で確かめながら生きることを意味するのである。
現在の政治情勢のなかでは、道徳教育という問題を取り上げること自体、明らかに危険をともなう。しかし、危険をおそれて、問題自体をあいまいに放置するということは、教師が自分の存在に欺瞞を許すことになるであろう。危険に臨む者にとってほんとうに大切なのは、危険からの逃避ではなくて、危険の克服である。欺瞞ではなくて、実力なのである。
道徳教育というものを率直にとりあげ、その構造を分析し、道徳教育につきまとう各種の危険をどう克服するか、真正の道徳教育をどの方向に展開していくか、そのための意欲と力への奮起を読者によびかけることが、私のこの書物の目的である。
村井さんは安直な答えは用意してくれていない。いろいろやってきたがいまだにわからないというのが正直なところ。わからないままに機会を見つけて書いていきたいと思っている。今日の新聞で眠っていたスイッチが入ってしまった。マラソンしながら考えることがまたできたという感じ。