素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

(せん)さんのコメントを読んで、「3月は別れの月だ!」を思い起こしました。

2013年03月13日 | 日記
 明日は、枚方市、交野市、寝屋川市など近隣の中学校で卒業式がある。学校現場で働いている時、3月は特別な月であった。「別れと出会いの交錯する月」という表現をしていた。中学校生活3年間いや義務教育9年間を終え巣立っていく若者をとどこおりなく送り出すために腐心すると同時に入学、進級する生徒のために居心地の良い環境を用意することに心をくだくのである。そこには特有の空気が流れる。

 また、対生徒だけではなく人事異動を含め新年度、自分はどこで、誰と、どんな立ち位置で働くことになるのかということも絡んでくるので思いは複雑になる。退職を控えた2009年の3月は一生に一回のこととはいえ特別な思いで過ごした。それから2年ばかりは3月を迎えると「別れ」ということに思いをはせることが続いたが♪3年目の浮気ぐらい大目に見ろよ♪ではないが去年あたりからその意識は薄れはじめ今年にはすっかり消えてしまった。

 転宅をするという(せん)さんのコメントに接して、2年前に読んだ竹内整一さんの『日本人はなぜ「さようなら」とわかれるのか』(ちくま新書)を思いだし手に取った。それを元に書いた2011年3月31日4月1日のブログをあらためて読み直した。

そこには今の自分とは違う自分がいた。でも阿久悠さんの言葉「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる」はもっと深くとらえている。さよならの数が多いほどまた、出会いの数も多くなるのである。

 (せん)さんのために、時節時節に交野の自然を拾いにいきたいと思った。
コメント (1)
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