「荒れる春場所」と言われているが終わってみれば白鵬の9回目の全勝優勝というもっとも妥当な結果であった。双葉山、大鵬の8回を抜いて全勝優勝の回数で単独1位になった。時代、条件が異なるとはいえ全勝というのはなかなかできることではない。優勝32回の大鵬ですら8回であるからたいしたみおのである。
星田駅前には今回は交野市出身の勢の星取表が掲げられムードを盛り上げた。初めて横綱、大関と当たる番付になったが4勝11敗と壁にはねかえされた。195cmと恵まれている体を生かせていない。下半身に強さを感じないのと相撲が素直すぎる。また、星田会館を常宿としている春日野部屋ののぼりも今日まで。ここからが春本番といったところ。
ソメイヨシノ、枝垂れ桜もいいがヤマザクラの素朴さもまたいい。
先日、妻が初めて大相撲観戦に行った。友人の知人が入院してしまい、一緒に行くことになっていたチケットが無駄になるからと妻に声がかかったのである。八百長問題で揺れていた頃、テレビの特番で大阪の相撲案内所の奮闘ぶりが放映されていて、その独得のシステムに「ほー」と思ったことがある。いづみ・千鳥屋・二葉・本家・天野・勝恵美・やぐらの7つがあるみたいである。飲み物、弁当、お土産、お菓子などの入った大きな袋を「重い、重い」と言いながら持ち帰ってきた時、「これか!」と思った。福袋の元祖みたいなものである。その中に駄菓子を詰めた袋があり、さすがに食指がのびずそのままにしておいたが、息子が興味を示して袋をあけ中に入っている駄菓子を取り出した。とたん「これがあの『あたり前田のクラッカー』か」とつぶやいた。「えっまだあるのかいな」と私も思わず反応した。昭和37年(1962)から6年ほど放映されていた「てなもんや三度笠」のスポンサーで、藤田まことが「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー」というきめ台詞で一躍有名になった。昭和53年生まれの息子が知っていることにも驚いたが、いまだに商品として存在していることに驚いた。他の駄菓子を見ると私たちが10円玉を握りしめて通った店にあったものばかりで懐かしさを覚えた。
相撲案内所というシステムもそうだが、その袋に古き時代を感じた。
星田駅前には今回は交野市出身の勢の星取表が掲げられムードを盛り上げた。初めて横綱、大関と当たる番付になったが4勝11敗と壁にはねかえされた。195cmと恵まれている体を生かせていない。下半身に強さを感じないのと相撲が素直すぎる。また、星田会館を常宿としている春日野部屋ののぼりも今日まで。ここからが春本番といったところ。
ソメイヨシノ、枝垂れ桜もいいがヤマザクラの素朴さもまたいい。
先日、妻が初めて大相撲観戦に行った。友人の知人が入院してしまい、一緒に行くことになっていたチケットが無駄になるからと妻に声がかかったのである。八百長問題で揺れていた頃、テレビの特番で大阪の相撲案内所の奮闘ぶりが放映されていて、その独得のシステムに「ほー」と思ったことがある。いづみ・千鳥屋・二葉・本家・天野・勝恵美・やぐらの7つがあるみたいである。飲み物、弁当、お土産、お菓子などの入った大きな袋を「重い、重い」と言いながら持ち帰ってきた時、「これか!」と思った。福袋の元祖みたいなものである。その中に駄菓子を詰めた袋があり、さすがに食指がのびずそのままにしておいたが、息子が興味を示して袋をあけ中に入っている駄菓子を取り出した。とたん「これがあの『あたり前田のクラッカー』か」とつぶやいた。「えっまだあるのかいな」と私も思わず反応した。昭和37年(1962)から6年ほど放映されていた「てなもんや三度笠」のスポンサーで、藤田まことが「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー」というきめ台詞で一躍有名になった。昭和53年生まれの息子が知っていることにも驚いたが、いまだに商品として存在していることに驚いた。他の駄菓子を見ると私たちが10円玉を握りしめて通った店にあったものばかりで懐かしさを覚えた。
相撲案内所というシステムもそうだが、その袋に古き時代を感じた。