大阪市立美術館で開催されている第44回日展と大阪天満宮大盆梅展の招待券をいただいた。大盆梅展は10日までだ。予定のぎっしり詰まった3月前半、今日しか行ける日はないと、午後から雨、場合によっては春の嵐という予報ではあったが午前に日展、午後は大盆梅展と最近増えたミナミからキタへの行脚と相成った。
天王寺駅前では外装工事を終えた阿倍野ハルカスに目が行く。天王寺公園に入ったところで前方の通天閣と後方のハルカスを見ると、毎度ながらシャッターを押してしまう。
日展会場の大阪市立美術館は存続の危機にあったが、橋下市長の訪問後好転の兆しが見えてきたようだ。喜ばしいことである。
全国を巡回する基本作品273点に大阪、奈良、和歌山、兵庫の地元入選作品331点も加わり計604点(日本画91点・洋画107点・彫刻54点・工芸美術71点・書281点)と美術界を一望する感があった。
地下鉄谷町線で梅田に出て大阪天満宮へ。雨の降り出しは予報より遅く、天満宮に着いた頃にポツリポツリときた。
今回は10周年記念特別展で「天神様と梅と松」ということで梅と松の盆栽が展示されていた。また、大阪天満宮所蔵の天神様・菅原道真公画像も披露されていた。樹齢100年~200年の見事な梅が満開でほのかな匂いがただよっていた。
今は天神様といえば「梅」となっているが、平安時代中期に「天神信仰」が成立した当初は、天神様のシンボルは「松」だったと解説されていた。「松」の生命力の強さや聖性を踏まえたもので、現在の「門松」に通じる習俗であるという。
それが「東風吹かば・・・」の歌や″飛梅伝承”の周知、各地のの天満宮の「梅鉢」の紋からの連想などから天神様のシンボルとしての「梅」は広く浸透していったと考えられている。江戸時代中期の臨済宗の白隠禅師は、『松に梅 奥の社は 問はずとも』の句に鳥居の絵だけで天満宮をあらわしている。江戸時代には「松と梅」といえば天神様であった。
東寝屋川駅から家までは本降りの雨となった。大阪市内を歩いている時は傘を使わずにいけたのでラッキーであった。
天王寺駅前では外装工事を終えた阿倍野ハルカスに目が行く。天王寺公園に入ったところで前方の通天閣と後方のハルカスを見ると、毎度ながらシャッターを押してしまう。



地下鉄谷町線で梅田に出て大阪天満宮へ。雨の降り出しは予報より遅く、天満宮に着いた頃にポツリポツリときた。







それが「東風吹かば・・・」の歌や″飛梅伝承”の周知、各地のの天満宮の「梅鉢」の紋からの連想などから天神様のシンボルとしての「梅」は広く浸透していったと考えられている。江戸時代中期の臨済宗の白隠禅師は、『松に梅 奥の社は 問はずとも』の句に鳥居の絵だけで天満宮をあらわしている。江戸時代には「松と梅」といえば天神様であった。
