草野心平さんとの出会いは高校時代であった。定期テストで昼過ぎに帰宅した時に偶然つけたテレビに対談のゲストとして出演されていた。その朴訥とした語り口と茫洋たる風貌に魅せられた。蛙にまつわる作品で有名だが、もっとスケールの大きい大陸的なものを強く感じたのである。『亀蔵』の冬眠で草野さんのことをふと思った。有名な「秋の夜の会話」などは今の感じにピッタリとくる。
さむいね。
ああさむいね。
虫がないてるね。
ああ虫がないてるね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずいぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだろうね。
腹だろうかね。
腹とったら死ぬだろうね。
死にたかあないね。
さむいね。
ああ虫がないてるね。
そして、独白のような「冬眠」という長い詩がある。全部は紹介しきれないので最初の一部分だけ
よるとひるとのけじめもない闇のなかですが。それでも夜はなおさら黒く。ひるまはぼんやり暗いのです。わたくしは大概は眠っていますが時には瞼をひらきます。それが夜なら黒い壁。ひるなら暗い壁が瞼にじかにふれてます。わたくしはまた眼をつぶります。眠ります。それでも呼吸はしています。していることを分かることは生そのものが分かるようで地上の時には感じなかったさざなみのようなよろこびです。霙や雪をわたくしは。沁みてきて背中を濡らすそのことで知り眠っているときは殖える重たさで分かります。飢えはもうからだのなかで靄になり靄のぬくみさえ感じます。殆んど同じような土の深さに地球何億の同胞たちがみんな同じく飢餓の同盟を結び。みんな同じく苦痛でなく。天然のぬくみのなかのよるひるをおくっていることを考えるとひとりでに微笑みが湧いたりもするのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・
という具合に不思議な韻律をともなって続いて行く。心平さんの詩の魅力は一匹の蛙から時空を超えて広がる世界を感じさせてくれることである。閉塞感のあった高校時代にはそのことで救われた思いを持った。冬眠中の蛙を自分に置き換えても読むことができた。
心平さんにはもう一つの「冬眠」という詩がある。先の長々とした独白よりも、もっとインパクトがあり。冬眠という単語を聞くといつも頭に浮かぶ。それは ●
「冬眠している亀蔵がうらやましい」と思いながら布団から出る朝となってきた。今週末あたりは大寒波もくるとのこと。
さむいね。
ああさむいね。
虫がないてるね。
ああ虫がないてるね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずいぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだろうね。
腹だろうかね。
腹とったら死ぬだろうね。
死にたかあないね。
さむいね。
ああ虫がないてるね。
そして、独白のような「冬眠」という長い詩がある。全部は紹介しきれないので最初の一部分だけ
よるとひるとのけじめもない闇のなかですが。それでも夜はなおさら黒く。ひるまはぼんやり暗いのです。わたくしは大概は眠っていますが時には瞼をひらきます。それが夜なら黒い壁。ひるなら暗い壁が瞼にじかにふれてます。わたくしはまた眼をつぶります。眠ります。それでも呼吸はしています。していることを分かることは生そのものが分かるようで地上の時には感じなかったさざなみのようなよろこびです。霙や雪をわたくしは。沁みてきて背中を濡らすそのことで知り眠っているときは殖える重たさで分かります。飢えはもうからだのなかで靄になり靄のぬくみさえ感じます。殆んど同じような土の深さに地球何億の同胞たちがみんな同じく飢餓の同盟を結び。みんな同じく苦痛でなく。天然のぬくみのなかのよるひるをおくっていることを考えるとひとりでに微笑みが湧いたりもするのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・
という具合に不思議な韻律をともなって続いて行く。心平さんの詩の魅力は一匹の蛙から時空を超えて広がる世界を感じさせてくれることである。閉塞感のあった高校時代にはそのことで救われた思いを持った。冬眠中の蛙を自分に置き換えても読むことができた。
心平さんにはもう一つの「冬眠」という詩がある。先の長々とした独白よりも、もっとインパクトがあり。冬眠という単語を聞くといつも頭に浮かぶ。それは ●
「冬眠している亀蔵がうらやましい」と思いながら布団から出る朝となってきた。今週末あたりは大寒波もくるとのこと。