素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

立川談春落語会・森ノ宮ピロティホール

2013年12月14日 | 日記
芝浜。「古今亭志ん朝・大須演芸場CDブックス」の長井好弘さんの演目解説にはこうある。

 『確証はないが、あの三遊亭圓朝が‹酔っぱらい、芝浜、財布›という三つの題を即席でまとめた三大噺といわれている。戦後は、三代目桂三木助が、安藤鶴夫などの助言で、江戸情緒を濃厚に漂わせる名編に仕立て上げた。
 そんな歴史を持つ噺だけに、平成の現在も、腕に自慢の噺家たちが、次々と独自の解釈をぶつけてくる。「早く‟芝浜”をやれる体になりたい」と願う若手も多い。
 古典落語中の屈指の大ネタ・・・。だが、古今亭・金原亭の一門だけは、落語界の大勢とはひと味違った‟芝浜”を聴かせてくれる。(略)」


 寄席情報を見ていた時、談春が森ノ宮ピロティで‟芝浜”を演じるということを知り急いでチケットを手に入れた。有名な噺だが、これまで生で聴く機会がなかった。志ん朝のものと聴き比べてみたいとも思った。

 平 安寿子さんの「こっちへお入り」(祥伝社文庫)の最終章も『芝浜』の演者による解釈の違いを中心に話がすすめられている。芝浜のあらすじを紹介した後に続けて

《・・・悩んだあげく、女房が一計を案じる『芝浜』は、『文七元結』『子別れ』と肩を並べる人情噺の代表格だ。
「おかみさんが知恵を働かせるのはいいんだけど、わたしとしては、これで遊んで暮らせるとほざいた段階で、まっこうからこのバカ野郎に説教してほしいのよね」
 闘うフェミニストのおかねさんは、例によって耐える女に厳しい。 「さっさと大家さんに話して、説得してもらうとかさ」 
「でも、それじゃ、噺が成り立ちませんよね」 チェリーさんに言われて、おかねさんは首をすくめ、舌を出した。
「そうでした。つい、現実と混同しちゃうのよね」
「時代性を考えたら、女房が亭主に強く出られないのは仕方ないですよね。それだけに、頭を使って丸め込むこのおかみさんのやり方は拍手ものじゃないですか。わたしはこれ、ただの人情噺じゃなくて、結果的に女はエライと男が降参している噺だから、フェミニズム的にもオーケーだと思うな」
友美が言うと、おかねさんは腕を組み「なーるほど」と強く頷いた。
「それなんですけど、このおかみさんの演じ方が人によってすごく違うんですよね」江利はひと膝、乗り出した。
料理居酒屋の小上がりに座卓を三つくっつけて作った長い宴席で、近隣同士で固まって別々にしゃべっていた面々が一斉に江利のほうを見た。》
という風に、 ひょんなことから始めた素人落語にどんどんのめり込んでいく江利の『芝浜』の演じ方の違いに対する思いを中心に話が広がっていく。

 志ん朝、小三治、談志は強い女房を演じるが、江利は勝五郎にすがって生きている自分を意識している女房をきめ細かな描写で演じるさん喬版が好きだと言う。それぞれの演じ方の違いをからめながらの最終章は面白かった。そのことがベースにあったので、談春が『芝浜』をすると知って何はおいてもと思った次第。
 
  予定外の演目、話が入り終演予定を1時間近く超える熱演であった。他の演者との違いを論じる力はないが、しっかりと談春の『芝浜』は入った。ライブの醍醐味を存分に味わうことができた。終演は18時近くになるだろうという想定が当たったことも満足であった。  
コメント
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