素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

皇大神宮別宮・伊雑宮は今年が遷宮

2014年12月27日 | 日記
 皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)は平成25年秋に第62回神宮式年遷宮が執り行われたが別宮は翌年に式年遷宮が行われる。実家から歩いて5分の所にある伊雑宮もその1つである。

 10月に入ってから実家へ帰る回数が月に2~3度と増えた。先月はちょうど白石持の行事があったが、病院や展覧会、買い物などへの両親の送迎で余裕がなく見物できなかった。新たに建てられたお宮も見ることなく来てしまった。新旧の社殿が建ち並ぶ姿を次に見ることが出来るのは20年後なので15時から16時までの間はすることがなくなったのでお参りにいくことにした。

 そのことを母に告げると「磯部でえは三社参りをしないと意味がないから穂落としさんと磯部神社も一緒に参っておいで」と言われた。穂落としさんとは聞き慣れない言葉なので「それはどこ?」と尋ねると「磯部小学校の隣にある神社、あんたがよく椎の実を拾いに行ったやろ」という答え。合点した。今は佐美長神社となっている。その通称が穂落としさんらしい。そこからお参りを始めることにした。歩いて20分弱、運動不足解消にもなる。

  伊雑宮の所管社なので同じように真新しい鳥居になっていた。36段の石段を上がると真新しい社殿に迎えられた。
  佐美長神社から磯部神社までは200mほどである。民家の裏手の道を歩く。ちょっと違う山茶花の花を見つける。
   明治41年に創建以来、いくつかの神社を合祀して現在に至るもので、静かな境内の中にある社殿は風格がある。磯部神社から伊雑宮まではきれいに区画された田んぼの中の真っ直ぐにのびた小道を500m弱歩く。荒れた休耕田が目立つのも時代の趨勢か。突き当たった所に御田植式の行われる料田がある。
  伊雑宮の御田植式は志摩地方随一の大祭で「磯部の御神田(おみた)」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。毎年6月24日に行われていて、私の小学校時代は学校が午後から休みになった。小学校2年で鵜方に引っ越しをしたのでそれ以来ご無沙汰している。できれば来年は日程を合わせて帰ってきたいと思っている。
   伊雑宮の前の道は随分整備された。道沿いの家には奉祝の字が入ったちょうちんが吊り下げられていた。向かいに建つ旅館の中六からは、うなぎを焼く良い匂いが漂ってきた。昭和4年に建てられた建物は風情がある。うなぎ料理は絶品でけっこう人気があるという。
  真新しい鳥居をくぐって木立の中を歩くと正殿が見えてくる。旧殿はシートで囲まれていたが、新旧を見比べると20年の年月を感じる。
  

 次に新旧並ぶのは私が83歳の時、「さて、生きているだろうか?」「しっかり認知できてるだろうか?」「今の母とほぼ同じ年齢になっているのだな」などととりとめのない思いにかられながら帰宅した。 

 

 
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