小1の孫が1週間、我が家で暮らすことになった。宿題について娘から説明してもらった。アサガオの観察、一行日記、国語は読書と音読。算数はたし算、ひき算である。我が子の小学校の頃の宿題の記憶はまったく無くなってしまったが、大きく変わってないように思えた。
定番の『サマースキル」(さんすう・こくご)を娘が取り出し、「全くわかっていないところがあって難儀している。」と言った。「さんすう」の最初のページを見た時「これは!・・・」と不吉な思いにとらわれた。
【めあて】のところに、●10までの かずを すうじで あらわす ことができる。●10までの かずの おおきさを くらべる ことができ、じゅんじょが わかる。とあったのだ。
私は、数字を最初に教える時は、0,1,2,3,4,5,6,7,8,9とすべきで10は入れるべきでないとずっと思ってきた。人類がものすごく長い年月をかけてたどりついた数の表し方は「10進位取り記数法」である。10ずつひとまとめにしていくという点では漢数字も同じだが、
決定的に違うのは「0」の存在。これによって0~9までの数字でどんな大きな数でも表現できるのに対して漢数字は、一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数と新たな字を作り続けないといけない。
それぞれに長所、短所はあるが、総合的に「インド数字」が原点の「10進位取り記数法」が世界に普及した。それでも12で1ダースとか60分で1時間のように取りまとめる単位の違うのも生活の場では残っているが、限られた範囲の話である。急速に発展しているコンピューターの世界は、2ずつまとめ「0」と「1」だけの2進法だが、これは別の話として、とりあえず現代社会を生きる人間は「10進位取り記数法」を獲得しなければいけない。
不吉な予感が当たり、その入口に立った孫は「10」がらみの問題でつまづいていた。娘は「何でできないのやろ?」と不思議がるが本格的に数を習い始める者にとっては、すでにその壁を乗り越えた人間にとって「当たり前」のことがものすごく高い壁となって立ちはだかっていることを理解してあげなければいけない。
入念な計画とドリルで基礎力をつけながら壁を乗り越えるルートを案内しなければいけないが、私には時間がない。1週間の滞在中に、矛盾は矛盾として置いておいて何とか「10」がらみのつまづきを解消してあげないといけない。その糸口を見つけるのに四苦八苦している。
偶然だが事前に「言葉の本質」を読んでいたことが幸いだった。孫は人類が営々と築いてきたエベレスト級の高い文化の山を登ろうとしているのだという目で見て、どうすればガイドできるかと考えることができるからだ。
定番の『サマースキル」(さんすう・こくご)を娘が取り出し、「全くわかっていないところがあって難儀している。」と言った。「さんすう」の最初のページを見た時「これは!・・・」と不吉な思いにとらわれた。
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私は、数字を最初に教える時は、0,1,2,3,4,5,6,7,8,9とすべきで10は入れるべきでないとずっと思ってきた。人類がものすごく長い年月をかけてたどりついた数の表し方は「10進位取り記数法」である。10ずつひとまとめにしていくという点では漢数字も同じだが、
決定的に違うのは「0」の存在。これによって0~9までの数字でどんな大きな数でも表現できるのに対して漢数字は、一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数と新たな字を作り続けないといけない。
それぞれに長所、短所はあるが、総合的に「インド数字」が原点の「10進位取り記数法」が世界に普及した。それでも12で1ダースとか60分で1時間のように取りまとめる単位の違うのも生活の場では残っているが、限られた範囲の話である。急速に発展しているコンピューターの世界は、2ずつまとめ「0」と「1」だけの2進法だが、これは別の話として、とりあえず現代社会を生きる人間は「10進位取り記数法」を獲得しなければいけない。
不吉な予感が当たり、その入口に立った孫は「10」がらみの問題でつまづいていた。娘は「何でできないのやろ?」と不思議がるが本格的に数を習い始める者にとっては、すでにその壁を乗り越えた人間にとって「当たり前」のことがものすごく高い壁となって立ちはだかっていることを理解してあげなければいけない。
入念な計画とドリルで基礎力をつけながら壁を乗り越えるルートを案内しなければいけないが、私には時間がない。1週間の滞在中に、矛盾は矛盾として置いておいて何とか「10」がらみのつまづきを解消してあげないといけない。その糸口を見つけるのに四苦八苦している。
偶然だが事前に「言葉の本質」を読んでいたことが幸いだった。孫は人類が営々と築いてきたエベレスト級の高い文化の山を登ろうとしているのだという目で見て、どうすればガイドできるかと考えることができるからだ。