素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

朝の計量で76.8kgが

2010年10月26日 | 日記
 予報通り、冷たい風が吹き、季節がグッと進んだ感じがする。ホトトギスの花も風にゆられて少し寒そうである。晩夏から秋にかけて健気に花を咲かせているが、日陰を好むのであまり目立たない。花言葉は「秘めた意志、永遠にあなたのもの」鳥海昭子さんの歌。

   尋ねても 言うてもならぬ 事がある 花ホトトギス 風にうなずく

 体重管理の話は時々書いている。公にすることで「やる気」を持続させるという魂胆もある。年内に76kg台になれば良いと9月30日に書いた。朝起きた時と寝る前に体重を測定してカレンダーに記録しているのだが、9月の頃は79~80kgの状態がずっと続き、ひょっとしたら適正体重がこのあたりで減量は無理かなという思いもあって、あえて、のんびり構えるようにと自分自身に言い聞かせる意味もあった。

 ボクシングの元世界チャンピョンの長谷川選手が減量の負担を軽減するために2階級上げて、再度世界チャンピョンを目指すという話もそのころあり、トレーニングに励み、ウェイトコントロールにかけてはプロ中のプロであるボクシング選手であっても減量はままならない。同じようにトレーニングしても体質とかさまざまな要因がからみ、個々によって体重減は異なるのではないかと考えた。それを「適正体重」と名づけたのである。

 1月から書き続けている朝と夜の体重を見ると、寝ている間にどれくらい減るのかがポイントになる。500~900gぐらい減るのだが、これがじっとしていても消費する量で、この部分が大きければ基本的にいいのではないかと考える。気楽に構えての10月3週目あたりから変化の兆しが見え始め77~78kgで推移するようになってきて、たまに79kg台になっても2日ぐらいで戻るようになった。昨夜は77.5kgだったのでひょっとしたらと思ったが、今朝は76.6kgであった。この体重計を買って2年近くになるが、76kg台は初めてである。これが維持できれば目標達成だが、それは無理。一進一退を繰り返すのである。ただ、76という数字を見たという事実は貴重である。 
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季節の変わり目を告げる雨

2010年10月25日 | 日記
朝からしとしとと、雨が降ったりやんだりを繰り返している。朝の天気予報によれば、この雨を境目に気温がぐっと下がり、本格的な秋になるとのこと。庭のピラカンサの実も真っ赤になり、たわわについている。

 ピラカンサはギリシャ語で【火】と【トゲ】

 花の咲かない長く伸びた枝(徒長枝)を切っておかなかったので、実のついていない長い枝が見苦しくなっている。実を落とさないように切っているが、トゲが曲者。油断をすると痛い目にあう。毒もあるので、化膿することもあるそうだ。実は甘くりんごのような味がするらしく、ヒヨドリをはじめ野鳥が好んで食べる。防衛のためにトゲができたのだろうか。

 美しいもの、おいしいものにはトゲがある。でもピラカンサの花言葉は「慈悲」  ウ~ン何か深いものを感じる。 
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芋掘って・飛行機眺め・落語聞く

2010年10月24日 | 日記
 8時30分から、毎年恒例の自治会主催の“芋ほり”があった。  猛暑の影響で、出来具合はどうかと心配もあったが、去年よりはましであった。300名ぐらいの参加者があったのだが、ほとんどの人は満足した顔をして、重そうなポリ袋をぶら下げて帰って行った。

 午後からは、池田市民文化会館 アゼリアホールである「第二回社会人落語日本一決定戦」のフィナーレを飾る“大落語会” を聞くため、池田に出かけた。地図で会館の場所をを調べると伊丹空港の近くだとわかった。その時、空港の滑走路の西沿いに“伊丹スカイパーク”とあるのが目に留まった。興味をそそられたので立ち寄ることにした。

 大阪国際空港(伊丹空港)の西側に位置する公園である。1993年から、国、兵庫県、伊丹市の3者により整備され、2006年7月9日に一部オープン、2008年7月12日に全面オープンした。

滑走路の間近にあり、飛行機の離着陸がダイナミックに見ることができる。これほど間近に飛行機を見られる公園は全国でも稀である。2008年の全体オープンで9ヘクタールもの巨大公園となった。

芝生エリアや展望台、航空関係の展示、遊具や川など数々のエリアに分かれている。朝や昼は親子や若者がにぎわい、夜になるとカップルが夜景を見ながら飛行機を見るというシャレたスポットになっている。
 (Wikipediaより)

   天気の方が下り気味であったが、日曜日とあって賑わっていた。のんびりと気分転換するにはいい場所やと思った。JR伊丹駅からも1km弱で、東西線1本で行けるので、今度はもっと天気の良い日に電車を使って歩いてみるのもいいかと地図をもう一度ながめながら思っている。

  昨年、市政施行70年の節目を迎えた池田市が、“落語のまち・池田”を全国にアピールするために、「社会人落語初代日本一決定戦」を開催した。150名の参加者があり大いに盛り上がったとのこと。第二回の今年は161名の参加者があり、23日の予選会は池田市内の施設6会場を舞台に決勝戦の舞台を目指し熱い戦いがくり広げられた。狭き門を突破した10名(近くにお住まいの 立の家猿之助さんも入っていた)での最終決戦の結果、二代目名人は愛媛県の精神科医・芸乃 虎や志さんに決まった。

 大会フィナーレの “大落語会” では上方と東京、創作と古典という現代落語の真髄を堪能できた。
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「てっぱん」もなかなかおもしろい

2010年10月23日 | 日記
 「げげげの女房」に続いてのNHK朝の連続小説「てっぱん」、予告編をみるかぎり今一かなと思い込み、二週間ほどは見向きもしなかった。「元気に明るくがんばります」タイプの若い主人は、基本的に苦手である。たまたま8時にいろいろな用事が全部終わり、新聞を読むついでに見てみた。

 思っていたよりバタバタと浮いた演出ではなく、興味をひかれた。ヒロインあかりを演じている瀧本美織も目の表情が気に入ったが、脇を固めている役者がしっかりしている。特に、久しぶりに見た富司純子は絶品。歳をとって味が出てくる女優は魅力がある。その日以来かかさず見るようになった。

 もともと、私は多数派に入ることがなかったように思える。女賭博師シリーズでは藤純子より江波杏子を見ていた。「巨人、大鵬、卵焼き」といわれていた時代は中日そして大洋、柏戸を応援していたし、中学時代、日活では圧倒的に吉永小百合が人気があったが、私は松原智恵子であった。5年間の名古屋時代はヤクルトを応援していた。流行に関しても、世の中の動きにはいつも遅れる。

 ドラマの厚みをつくるための布石もしっかり打たれているので、今後の展開を楽しんでいこうと思う。そのためには、あらすじを読まない、NHKの過剰な宣伝はシャットアウトする。という情報規制をしないといけない。

 
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生誕100年特別展・白洲正子「神と仏、自然への祈り」に滋賀県立近代美術館へ

2010年10月22日 | 日記
 私にとっての白洲正子さんとの初めての出会いは、去年の9月に放映されたNHKのドラマ「白洲次郎」での中谷美紀演ずる白洲正子であった。私には魅力的な女性ではなかった。したがって、忘却の川底に沈んでいた。今年の7月25日に“會津八一”の特集でNHK教育の日曜美術館を見てから、時々チャンネルを合わせるようになった。8月だったと思うが、最後の15分ぐらいに旧白洲邸・武相荘の紹介があった。そこでの白洲正子さんは、ドラマで持ったイメージとはずい分違うと感じ、興味を抱くようになった。

 今日買った「新潮45」11月号(幻の「白洲次郎」現存する唯一の秘蔵映像のDVDの付録につられたのだが)の中で娘の牧山桂子さんがこう書いている。

 私は、父のことを書いた本は読まない、父を描いたテレビドラマは見ません。なにか失敗するんじゃないかと思ってしまうんです。それに、そこで描かれている父は、私が知っている父とは、全然別の人格になっているような気がしてなりません。

 これも偶然だったのだが、枚方の山野草の方から不用になっていただいた数冊の本の中に、白洲正子さんの「花日記」があったのである。積読状態だったのだが、武相荘の紹介を見た後、手にとって読んでみた。すこぶるスキッとした文章で、最初に持っていたイメージは吹き飛んでしまい、心の中にどっしり居座るようになった。

 「街場のメディア論」「宇宙飛行士選抜試験」を読み終わり、たくさん刺激をもらった勢いで、白洲正子さんの「十一面観音巡礼」と「かくれ里」それに會津八一氏の「自註 鹿鳴集」を買って、読みはじめている。お二人の本は、私の60代の10年間の読書のベースになっていくのではないかという予感がする。

 「かくれ里」の最初に書かれている部分を読んだ時、なぜ私が漠然としつつも白洲さんに惹かれていったのかがわかったような気がした。

 秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも「かくれ里」にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。近頃のように道路が完備すると、旧街道ぞいの古い社やお寺は忘れられ、昔は賑やかだった宿場などもさびれて行く。どこもかしこも観光ブームで騒がしい今日、私に残されたのはそういう場所しかない。その意味では、たしかに「世を避けて隠れ忍ぶ村里」であり、現代の「かくれ里」といえよう。

 そのような所には、思いもかけず美しい美術品が、村人たちに守られてかくれていることがある。逆にどこかの展覧会で見て、ガラス越しの鑑賞にあきたらず、山奥の寺まで追いかけて行ったこともある。時には間違って別なお寺へ行ってしまい、意外なものに出会う時もある。そんな時私は、つくづく日本は広いと思うのである。さいわい私にはそちらの方面の仕事が多く、毎月のように取材に出るが、肝心のの目的よりわき道へそれる方がおもしろくて、いつも編集者さんに迷惑をかける。が、お能には橋掛かり、歌舞伎にも花道があるように、とかく人生は結果より、そこへ行きつくまでの道中の方に魅力があるようだ。これはそういう旅の途上で拾ったささやかな私の発見であり、手さぐりに摘んだ道草の記録である。


 前置きが長くなったが、その白洲正子さんの生誕100年を記念しての特別展が開催されている滋賀県立近代美術館に出かけた。美術館は、京滋バイパス瀬田東ICから車で5分ほどの“びわこ文化公園”の中にある。

 新しく作られた公園はとても整備されていて、駐車場から美術館までの道を秋色に染まってきた木々を楽しみながらのんびりとした気分で歩くことができた。

    

 開館したばかりの時間だったので、来館者も少なく、音声ガイドを借りて、彼女が感銘を受けた仏神像や宝物、旅した社寺に関わる文化財などを著書から抜粋された文とともに1時間余りかけてゆっくり見て周ることができた。

 
     
   





 
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