1月3日、正月を祖父母と過ごした2人の孫を送り届けるため、前橋市まで車で出かけた。
ついでと言っては何だが、山を歩きたくて、赤城山系の鍬柄山(くわがらやま)へ出かけた。

鍬柄山は標高1562m、赤城山の大沼の西に連なる山々の中では、鈴ヶ岳(標高1565m)に次いで高い山だ。
一般には鈴ヶ岳に登る途中の山と認められているが、西側・東側が開けていて、とても展望のよい山である。
登山口がある新坂峠の標高が1410mで標高差は152m、コースタイムは登りが50分、下りが40分なので、簡単に登れる山であり、年頭にのんびり歩くには相応しいと考えた。
さて、新坂峠手前の鈴ヶ岳登山口駐車場に車を置いて、13時13分に登山開始。気温はマイナス3℃だが、風がなくて暖かい。
こんな時間から登ることができるのは、旧知の山だからだ。といっても、ヘッドランプは予備を含めて2つ持って行った。

前日に1組の登山者が鈴ヶ岳へ登っているので、トレースはできている。アイゼンはザックにしまってツボ足で歩くことにした。
しかしいきなりの深雪、膝丈を越える積雪にトレースを辿ってゆっくり歩く。

ここで一眼レフをザックに入れて、ここからしばらくはスマホで撮影した。
登山道は混合樹林の中を登って行く。マツ、コナラ、ダケカンバ、ヤマザクラなどの高木と、ツツジなどの低木が入り混じり、ササも多く茂っていた。しばらく歩くと姥子峠に出た。

さらに進むと東側が開け、黒檜山や駒ヶ岳、地蔵岳が見渡せる展望のよい崖上に出る。崖上へ行くための10数メートルは踏み跡がなく、慎重に歩いた。
次の2葉が崖上から観た黒檜山、3枚目は地蔵岳(スマホで撮影)。


鍬柄峠ではイノシシの足跡が登山道を横切っていた。そこから大きなアップダウンを越えて、最後は急坂を登って鍬柄山の頂上に着いた。
5年ほど前に来た時はワカンを履いて、膝上の新雪をラッセルして登ったが、この日の登山道にほとんど雪がなく、ツボ足で簡単に登れた。


ザックから保温水筒を出し、熱いお茶を飲んでしばし休憩する。その後一眼レフで撮った写真はスマホと代わり映えしないのが残念。
赤城山の主峰、黒檜山と右が駒ヶ岳。手前の池は大沼。


赤城山系、地蔵岳。

赤城山系、荒山。

日本百名山、武尊山、


日本百名山、皇海山。

日本百名山、浅間山(完全逆光)。

日本百名山、富士山(完全逆光)。

ゆっくりと歩けるのは年寄りの特権かもしれない。年をとるのも悪いものではないと思った。

(完)
ついでと言っては何だが、山を歩きたくて、赤城山系の鍬柄山(くわがらやま)へ出かけた。

鍬柄山は標高1562m、赤城山の大沼の西に連なる山々の中では、鈴ヶ岳(標高1565m)に次いで高い山だ。
一般には鈴ヶ岳に登る途中の山と認められているが、西側・東側が開けていて、とても展望のよい山である。
登山口がある新坂峠の標高が1410mで標高差は152m、コースタイムは登りが50分、下りが40分なので、簡単に登れる山であり、年頭にのんびり歩くには相応しいと考えた。
さて、新坂峠手前の鈴ヶ岳登山口駐車場に車を置いて、13時13分に登山開始。気温はマイナス3℃だが、風がなくて暖かい。
こんな時間から登ることができるのは、旧知の山だからだ。といっても、ヘッドランプは予備を含めて2つ持って行った。


前日に1組の登山者が鈴ヶ岳へ登っているので、トレースはできている。アイゼンはザックにしまってツボ足で歩くことにした。
しかしいきなりの深雪、膝丈を越える積雪にトレースを辿ってゆっくり歩く。


ここで一眼レフをザックに入れて、ここからしばらくはスマホで撮影した。
登山道は混合樹林の中を登って行く。マツ、コナラ、ダケカンバ、ヤマザクラなどの高木と、ツツジなどの低木が入り混じり、ササも多く茂っていた。しばらく歩くと姥子峠に出た。


さらに進むと東側が開け、黒檜山や駒ヶ岳、地蔵岳が見渡せる展望のよい崖上に出る。崖上へ行くための10数メートルは踏み跡がなく、慎重に歩いた。
次の2葉が崖上から観た黒檜山、3枚目は地蔵岳(スマホで撮影)。



鍬柄峠ではイノシシの足跡が登山道を横切っていた。そこから大きなアップダウンを越えて、最後は急坂を登って鍬柄山の頂上に着いた。
5年ほど前に来た時はワカンを履いて、膝上の新雪をラッセルして登ったが、この日の登山道にほとんど雪がなく、ツボ足で簡単に登れた。




ザックから保温水筒を出し、熱いお茶を飲んでしばし休憩する。その後一眼レフで撮った写真はスマホと代わり映えしないのが残念。
赤城山の主峰、黒檜山と右が駒ヶ岳。手前の池は大沼。


赤城山系、地蔵岳。

赤城山系、荒山。

日本百名山、武尊山、


日本百名山、皇海山。

日本百名山、浅間山(完全逆光)。

日本百名山、富士山(完全逆光)。

ゆっくりと歩けるのは年寄りの特権かもしれない。年をとるのも悪いものではないと思った。

(完)