「心ゆたかな暮らしを」  ~Shu’s Page

小説のレビュー、家族の出来事、趣味の事、スポーツ全般など、日々の出来事をつづりながら、一日一日を心豊かに過ごせれば・・・

豆まきしましたよ

2006年02月03日 | 家族・友達
ウチは意外?と、しきたりとか慣習とかを大切にする方で、1月7日には「七草がゆ」を食べますし、「土用の丑の日」には、ウナギも食べます。

もちろん2月3日は、ご他聞にもれず、「豆まき&太巻き丸かぶり(今年は南南東!)」をやりました。

 そのおかげか、家族はみんな健康ですし、僕も風邪をひいて寝込んだりしません。

 慣習というか年中行事の一つ、ティーンエイジャーにとっては年に一度のビッグイベント「バレンタインデー」が近づいてまいりました! そりゃ僕も結構いただきましたよ! 毎年毎年2月14日はドキドキでしたよね。

 そのバレンタインデーの起源をWikipediaで調べますと・・

 >もともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス司教の記念日であったことに由来しているといわれるが定かではない。

 といきなり、定かではない記述から始まり・・

 >バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼる。当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。

 翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。

 祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。

 ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した。キリスト教司祭だった聖バレンタインは秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑された。

 処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。バレンタインはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたのである。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった。

 この逸話には若干つけたしが必要である。初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられる。

 ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけである。教会がとった方法は、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつけることだった。そこで兵士の結婚のために殉教したバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。

 こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いた。

 聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられている。


 ということで、どれも確証はないようです。

 日本では・・・

 >日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史は、神戸モロゾフ洋菓子店が1936年2月12日に、国内英字雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出し、1958年に伊勢丹で「チョコレートセール」というキャンペーンが行われた。

 ただどちらにしても、あまり売れなかったようである。伊勢丹でのセールでは、1年目は3日間で3枚、170円しか売れなかったとの記録がある。

 
 ということで、これまたなぜか2月12日にやっていたり、あまり売れなかったりと、イマイチですね。