先日交通事故で亡くなった会社の先輩・
和男さんを送る会が、2011年7月29日、
麹町のグリーンパレスで開催されました。
会社の同僚、昔の同僚、クライアント、
取引先など百数十人が集まり、和男さん
を送ったのでした。
すべての参加者にとって、その出来事は
あまりにも突然で、信じられないこと
だったのですが、一番信じられないと
思っているのは、鈴木さん御自身なの
でしょう。ご冥福をお祈りいたします。
以前、会社にいた坂田さんに、この会
の司会をしていただいたのですが、
坂田さんが、和男さんに今度紹介した
かった曲として紹介してくれたのが、
坂本九さんの遺作ともなった曲、
「心の瞳」でした。
実は、この曲、私も知らなかったので
すが、飛行機事故で亡くなった坂本九
さんの最後の曲だったのですね。九さん
自身が人前で歌うことはなかったのです
が、今は、合唱曲として人気となって
いるんだそうです。
当日もこの曲を会場で流していただいた
のですが、ここでもう一度、どんな曲
だったかご紹介しておきましょう。
坂本九さんの人生のエンディングの曲
でもあったのですが、和男さんの人生の
ラストテーマとしてもぴったりな、よい
曲だと思いました。
長い年月を 歩き疲れたら
微笑みなげかけて 手をさしのべて
いたわり合えたら
愛の深さ 時の重さ
何も言えず わかり合える
たとえ過去を 懐かしみ
ふり向いても それは歩いてた
人生が あるだけさ
いつか 若さを失くしても
心だけは 決して変わらない
絆で結ばれている
和男さんは、決して若さを失わず、
常に新しいことに挑戦し続けていました。
山登りを愛し、酒を愛し、マラソンにも
挑戦し、今年の3月以降も、ウクレレや
フェイスブックにを始められていました。
チャレンジャーでした。
肉体をなくした今も、鈴木さんのスピリット
は私たちの心の中に永久に生き続けています。
決して変わらない絆で結ばれているよう
な、そんな気がしています。
直前まで海外に出張に行っていて、「送る
言葉」を事前に送れなかったので、ここで
ちょっと思い出を書いておきたいと思います。
和男さんの訃報を聞いたのは、上海の出張
から帰った後でした。何かの間違いではない
かと思ったのですが...
今年の3月に日本に戻ってきた時、僕の席
は和男さんのわりと近くで、座ったままでも
見えていましたね。直接仕事で絡むことは
そんなになかったのですが、フェイスブック
のことやら、ウクレレのことやらで急に親し
くなったような感じでしたね。
今から思えば、3月に海外から日本に戻って
きたのも、僕がフェイスブックを3月から
始めたのも、何か見えない力で和男さんの
近くに引き寄せられていたのかもしれない
という気がします。
3月11日の地震があって、2週間後くらいに
和男さんはフェイスブックを始めましたね。
僕はその時点で、若干3週間くらい先輩だっ
たのですが、和男さんがフェイスブックを
やり始めたことはすごく嬉しかったです。
会社でやっている人もまだ少なかったです
から。
「フェイスブックを始めると、それをやって
いる人たちは急に親しくなっていくのがい
い」和男さんはよく言っていましたね。
「今までずっと会えなかった人と奇跡的に
連絡が取れるようになるのもすごいね」
とか、「同世代の人はなかなかやってる
人が少ないんだよね」とか。まさに僕も
同じようなことを感じていました。
昨日の送る会のために、和男さんのフェ
イスブックの約3ヶ月間の写真とコメント
をダウンロードし、編集させていただき
ました。パソコンでスライドショーにも
したのですが、もうちょっといい場所に
モニターを設置すればよかったと思いま
した。でも何十枚かプリントした写真と
テキストは、みんな見ていましたよ。
そういえば、4月12日の日、石川さんの
命日に新宿のお墓に一緒に行けて嬉しかっ
たです。来年はもう一緒に行けなくなっ
ちゃいましたね。あの後、新宿で一緒に
飲めたのもよかったです。
6月に会社のそばのDKKで春田さんと
三人で鼎談をし、ウクレレのグループ結成
の話しを飲みながらしたこともありました
ね。僕らは独学でやってるのに、和男さん
だけがちゃんとした学校で正式な教育を
受けていたんで、ちょっとエリート気分
だったんではないかと思います。いずれ
コンサートをやるんで、グループ名を考え
ておいてよという宿題もらってましたが、
引き続き考えます。
今回、和男さんの知りあいで、このこと
をまだ知らない人もいたかもしれないと
思い、一つの手がかりとしてこのブログ
の記事としました。これで発見されるこ
ともあまりないのかもしれませんが。
和男さんのおかげで、これまでずっと
会う機会のなかった昔の知りあいや、
昔会社にいた人にここで会えたことは
嬉しかったです。なんか同窓会のような
感じでした。和男さんがこういうのを
粋に取計らってくれたような気がして、
あらためて、和男さん、かっこいいと
思いました。ありがとうございました。
昔のロスの出張のこととか、会社が苦境
だった時、石川さんと三人で密談をした
ことなど、語りたいこと、語るべきこと
はいっぱいありますね。
残された僕らは、和男さんのことを
語り継いでいく責任があると感じています。
和男さんは、時間の経過の中で忘れ
さられていくべき人ではないと思います。
そんな素敵で尊敬できる先輩です。
最後に、この送る会で皆で歌ったのは、
「白いブランコ」でした。この歌、和男
さん、大好きだったんですよね?
若い人はあまり知らないんでしょうが、
ビリーバンバンの歌です。
和男さん、これからも雲の上からの叱咤
激励よろしくお願いします。
こちらもよろしくお願いいたします
↓
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和男さんを送る会が、2011年7月29日、
麹町のグリーンパレスで開催されました。
会社の同僚、昔の同僚、クライアント、
取引先など百数十人が集まり、和男さん
を送ったのでした。
すべての参加者にとって、その出来事は
あまりにも突然で、信じられないこと
だったのですが、一番信じられないと
思っているのは、鈴木さん御自身なの
でしょう。ご冥福をお祈りいたします。
以前、会社にいた坂田さんに、この会
の司会をしていただいたのですが、
坂田さんが、和男さんに今度紹介した
かった曲として紹介してくれたのが、
坂本九さんの遺作ともなった曲、
「心の瞳」でした。
実は、この曲、私も知らなかったので
すが、飛行機事故で亡くなった坂本九
さんの最後の曲だったのですね。九さん
自身が人前で歌うことはなかったのです
が、今は、合唱曲として人気となって
いるんだそうです。
当日もこの曲を会場で流していただいた
のですが、ここでもう一度、どんな曲
だったかご紹介しておきましょう。
坂本九さんの人生のエンディングの曲
でもあったのですが、和男さんの人生の
ラストテーマとしてもぴったりな、よい
曲だと思いました。
長い年月を 歩き疲れたら
微笑みなげかけて 手をさしのべて
いたわり合えたら
愛の深さ 時の重さ
何も言えず わかり合える
たとえ過去を 懐かしみ
ふり向いても それは歩いてた
人生が あるだけさ
いつか 若さを失くしても
心だけは 決して変わらない
絆で結ばれている
和男さんは、決して若さを失わず、
常に新しいことに挑戦し続けていました。
山登りを愛し、酒を愛し、マラソンにも
挑戦し、今年の3月以降も、ウクレレや
フェイスブックにを始められていました。
チャレンジャーでした。
肉体をなくした今も、鈴木さんのスピリット
は私たちの心の中に永久に生き続けています。
決して変わらない絆で結ばれているよう
な、そんな気がしています。
直前まで海外に出張に行っていて、「送る
言葉」を事前に送れなかったので、ここで
ちょっと思い出を書いておきたいと思います。
和男さんの訃報を聞いたのは、上海の出張
から帰った後でした。何かの間違いではない
かと思ったのですが...
今年の3月に日本に戻ってきた時、僕の席
は和男さんのわりと近くで、座ったままでも
見えていましたね。直接仕事で絡むことは
そんなになかったのですが、フェイスブック
のことやら、ウクレレのことやらで急に親し
くなったような感じでしたね。
今から思えば、3月に海外から日本に戻って
きたのも、僕がフェイスブックを3月から
始めたのも、何か見えない力で和男さんの
近くに引き寄せられていたのかもしれない
という気がします。
3月11日の地震があって、2週間後くらいに
和男さんはフェイスブックを始めましたね。
僕はその時点で、若干3週間くらい先輩だっ
たのですが、和男さんがフェイスブックを
やり始めたことはすごく嬉しかったです。
会社でやっている人もまだ少なかったです
から。
「フェイスブックを始めると、それをやって
いる人たちは急に親しくなっていくのがい
い」和男さんはよく言っていましたね。
「今までずっと会えなかった人と奇跡的に
連絡が取れるようになるのもすごいね」
とか、「同世代の人はなかなかやってる
人が少ないんだよね」とか。まさに僕も
同じようなことを感じていました。
昨日の送る会のために、和男さんのフェ
イスブックの約3ヶ月間の写真とコメント
をダウンロードし、編集させていただき
ました。パソコンでスライドショーにも
したのですが、もうちょっといい場所に
モニターを設置すればよかったと思いま
した。でも何十枚かプリントした写真と
テキストは、みんな見ていましたよ。
そういえば、4月12日の日、石川さんの
命日に新宿のお墓に一緒に行けて嬉しかっ
たです。来年はもう一緒に行けなくなっ
ちゃいましたね。あの後、新宿で一緒に
飲めたのもよかったです。
6月に会社のそばのDKKで春田さんと
三人で鼎談をし、ウクレレのグループ結成
の話しを飲みながらしたこともありました
ね。僕らは独学でやってるのに、和男さん
だけがちゃんとした学校で正式な教育を
受けていたんで、ちょっとエリート気分
だったんではないかと思います。いずれ
コンサートをやるんで、グループ名を考え
ておいてよという宿題もらってましたが、
引き続き考えます。
今回、和男さんの知りあいで、このこと
をまだ知らない人もいたかもしれないと
思い、一つの手がかりとしてこのブログ
の記事としました。これで発見されるこ
ともあまりないのかもしれませんが。
和男さんのおかげで、これまでずっと
会う機会のなかった昔の知りあいや、
昔会社にいた人にここで会えたことは
嬉しかったです。なんか同窓会のような
感じでした。和男さんがこういうのを
粋に取計らってくれたような気がして、
あらためて、和男さん、かっこいいと
思いました。ありがとうございました。
昔のロスの出張のこととか、会社が苦境
だった時、石川さんと三人で密談をした
ことなど、語りたいこと、語るべきこと
はいっぱいありますね。
残された僕らは、和男さんのことを
語り継いでいく責任があると感じています。
和男さんは、時間の経過の中で忘れ
さられていくべき人ではないと思います。
そんな素敵で尊敬できる先輩です。
最後に、この送る会で皆で歌ったのは、
「白いブランコ」でした。この歌、和男
さん、大好きだったんですよね?
若い人はあまり知らないんでしょうが、
ビリーバンバンの歌です。
和男さん、これからも雲の上からの叱咤
激励よろしくお願いします。
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