もとより聖書では神は言(葉)霊であります。そして、日本では古来より言葉は言霊であり、言霊には神が宿り、天地も動かすことが出来ると言います。そして言霊とは本来神との盟誓であり発する言霊は違えてはならないものです。
道院で求修を、老祖の弟子たらんと欲するのであれば、神の御前にて四つの誓願を発せねばなりません。是は至聖先天老祖との儀式であり、盟約であります。自分自身の言霊で「願わくば功行を修めんことを。」「願わくば真諦を得さしめんことを。」「願わくば上乗に到らんことを。」「願わくば衆生を度せしめんことを。」そして最後に「もし、願言に背(そむ)かば上天これをみそなわさせ賜え。」(この言葉は多く誤解をされますが、違約して、落ちこぼれても、それでも、御身(老祖)に添なえさせてください。の意です。)そして、「誠」一字の署名を為します。
この四誓願は言わば、己を救い修め、人を救う礎であります。
功とは内的に坐や心を修める事です。真の本性を明らかにし、真の自己を悟る事です。行は外に向かい、ボランティアや自己の財により他人を救う事であり、人に法、道を説き人を救う事です。
真諦とは宇宙の真理であり、万物の運行、陰陽の働き、真の宇宙太極を覚る事です。
上乗とは真理を会得、体得し、揺るがない境地を得、無我を超えた無極の境地に至る事です。
度とは救いであり、生きとし生きる衆生全てに善なる感化を与え、化刧し救済する事です。
老祖の弟子にとってこの発願は重要であり永遠の指針であります。自分の言霊で述べた以上、そこに盟約があります。そして、この誓願を為した事もある私は、いまだに懺悔しおおいに反省せねばなりません。いまだに未熟者だからです。
「もし大道の自然を修め明らかにすること目的とし和衷共済を指針とするならば四願を決しておろそかにすることはできない。」
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真諦とは宇宙の真理であり、万物の運行、陰陽の働き、真の宇宙太極を覚る事です。
上乗とは真理を会得、体得し、揺るがない境地を得、無我を超えた無極の境地に至る事です。
度とは救いであり、生きとし生きる衆生全てに善なる感化を与え、化刧し救済する事です。
老祖の弟子にとってこの発願は重要であり永遠の指針であります。自分の言霊で述べた以上、そこに盟約があります。そして、この誓願を為した事もある私は、いまだに懺悔しおおいに反省せねばなりません。いまだに未熟者だからです。
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