私は、生まれる前に、父が蒸発し、親戚は、堕ろせと述べ、祖母と母が反対ともう、堕ろせない、状況もあり、逆子にもなり、ようやく戻り生まれた。
自然分娩に近いが、破水し、鉗子に頭を挟まれ、無理やり引っ張られた。
故に頭が変形し、頭蓋骨が少し歪んだ。
私は発達障害者として幼年期を過ごした。当然にその記憶は、今だから、解る記憶。
幼年期は文字を憶えず、数字を憶えず、全ての勉強を嫌った。二年上の姉は賢かったが、私には学習の意味が理解できなかった。当然にして、小学生一年のテストは全てゼロ点。私はひたすら、無邪気に生きていたのである。
私の蒸発した、父は、母が曰く、「アパレルに勤務し、出世が早く、優しく、頭も良く、男前で、恋愛結婚で本当に好きだったと齢七十に近いのに今でも述べる。」
私からしたら、賭け事競馬好き、借金し、会社の金を使い込み、嫁も子も捨てた、愚者でしかない。尚且つ、蒸発し、自殺する死ぬ間際には、コンクリート打設のポンプ屋に働いていたらしい。左官屋の私と近しい仕事に就いておられたのには、驚いた。
東京の大手町のビルから飛び降り、両足で、その衝撃を受け、内臓は破壊され、即死。その衝撃は、私が受け継いでいる。魂は神に還り、霊は私が受け止めているから。私は今も、夢でその衝撃を覚るのみ。
私は発達障害者であるのに、幼少よりそのプライドの高さに辟易する。馬鹿は馬鹿なりに過ごせれば幸せなのに。
頭も悪い、運動音痴。小柄。故に他人に馬鹿にされる。
私は幼少期より、怨みの王の如く、全てを呪っていた。
世界の破滅を呪い、同学者を呪い、他人の不幸を悦んだ。
しかし、自己愛と同様に、家族の幸せは祈っていた。
深見青山。出口王仁三郎聖師よりも、最も、青年期に感銘を受けた、恩人である。深見青山先生を大変、尊敬し、著書も読み漁っていた。
神界からの神通力により、神が人と同じくなる、神人合一の道を始めて知った。
しかし、彼が、深見東州と名乗る頃には、彼のへの憧れは消えつつある。その頃には、半田晴久さんの道院の師である、根本宏老翁から、彼の若き時代の話を聞いて目から鱗が堕ちたから。
聖人君子も、故郷に叶わず。
深見青山。根本宏。黒川謙介。出口王仁三郎。出口日出麿。ダンテスダイジ。尊敬する偉人。
伊勢白山道リーマンさんは、あくまでも同格として見ていました。なんせ、同じく、内在神を唱える同士。まあ、瞑想へのお互いの想念で反発しあいましたが。
しかし、彼らも人。私も人。同じ木の実。
実は、落ち、新たな種とし、その果を夢、愛、覇道を歩む。
私は、左官職人とし、弟子を養成し、懸命に生きている。
常に限界を超えるべく、弟子や職人には、休憩をさせても、私は、昼休み謙譲で、休みを取らず、蠢く。
しかし、全ては、命数である。
私が懸命に働いたあとに、いきなり、ぶつかりもせずに、肩が脱臼したこともある。病院を二転三転して、ようやく直してもらえる。
痛みは因果でもある。かつての、カルマ、前の世の責め殺しが未だに訪れる。
蒙昧とは、愚かであると言うこと。
吾が師、至聖先天老祖しての邂逅。先天坐を二十年、日々行うが、まだまだ、愚かなる蒙昧は、止まず。毎日の反省の日々。
ああ、ヤレヤレだ。