玄徳道

道を語るブログです。

蒙昧道。

2020-11-21 19:57:02 | 日記
私は、生まれる前に、父が蒸発し、親戚は、堕ろせと述べ、祖母と母が反対ともう、堕ろせない、状況もあり、逆子にもなり、ようやく戻り生まれた。
自然分娩に近いが、破水し、鉗子に頭を挟まれ、無理やり引っ張られた。
故に頭が変形し、頭蓋骨が少し歪んだ。

私は発達障害者として幼年期を過ごした。当然にその記憶は、今だから、解る記憶。
幼年期は文字を憶えず、数字を憶えず、全ての勉強を嫌った。二年上の姉は賢かったが、私には学習の意味が理解できなかった。当然にして、小学生一年のテストは全てゼロ点。私はひたすら、無邪気に生きていたのである。

私の蒸発した、父は、母が曰く、「アパレルに勤務し、出世が早く、優しく、頭も良く、男前で、恋愛結婚で本当に好きだったと齢七十に近いのに今でも述べる。」
私からしたら、賭け事競馬好き、借金し、会社の金を使い込み、嫁も子も捨てた、愚者でしかない。尚且つ、蒸発し、自殺する死ぬ間際には、コンクリート打設のポンプ屋に働いていたらしい。左官屋の私と近しい仕事に就いておられたのには、驚いた。

東京の大手町のビルから飛び降り、両足で、その衝撃を受け、内臓は破壊され、即死。その衝撃は、私が受け継いでいる。魂は神に還り、霊は私が受け止めているから。私は今も、夢でその衝撃を覚るのみ。

私は発達障害者であるのに、幼少よりそのプライドの高さに辟易する。馬鹿は馬鹿なりに過ごせれば幸せなのに。

頭も悪い、運動音痴。小柄。故に他人に馬鹿にされる。

私は幼少期より、怨みの王の如く、全てを呪っていた。

世界の破滅を呪い、同学者を呪い、他人の不幸を悦んだ。

しかし、自己愛と同様に、家族の幸せは祈っていた。


深見青山。出口王仁三郎聖師よりも、最も、青年期に感銘を受けた、恩人である。深見青山先生を大変、尊敬し、著書も読み漁っていた。

神界からの神通力により、神が人と同じくなる、神人合一の道を始めて知った。


しかし、彼が、深見東州と名乗る頃には、彼のへの憧れは消えつつある。その頃には、半田晴久さんの道院の師である、根本宏老翁から、彼の若き時代の話を聞いて目から鱗が堕ちたから。
聖人君子も、故郷に叶わず。

深見青山。根本宏。黒川謙介。出口王仁三郎。出口日出麿。ダンテスダイジ。尊敬する偉人。

伊勢白山道リーマンさんは、あくまでも同格として見ていました。なんせ、同じく、内在神を唱える同士。まあ、瞑想へのお互いの想念で反発しあいましたが。

しかし、彼らも人。私も人。同じ木の実。

実は、落ち、新たな種とし、その果を夢、愛、覇道を歩む。

私は、左官職人とし、弟子を養成し、懸命に生きている。

常に限界を超えるべく、弟子や職人には、休憩をさせても、私は、昼休み謙譲で、休みを取らず、蠢く。

しかし、全ては、命数である。

私が懸命に働いたあとに、いきなり、ぶつかりもせずに、肩が脱臼したこともある。病院を二転三転して、ようやく直してもらえる。

痛みは因果でもある。かつての、カルマ、前の世の責め殺しが未だに訪れる。

蒙昧とは、愚かであると言うこと。

吾が師、至聖先天老祖しての邂逅。先天坐を二十年、日々行うが、まだまだ、愚かなる蒙昧は、止まず。毎日の反省の日々。

ああ、ヤレヤレだ。




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日記道1

2013-06-30 19:32:34 | 日記
今日は久しぶりに朝早く目を覚ましました。普段は肉体労働者なので疲労のために朝早く目が覚めても体の疲労物質が一晩、寝ただけでは、取れないからです。いや、仕事に追われ、気づかれしているためなのかもしれませんが。

今日は日曜日なので、週に一回の神棚の雑巾がけを行います。榊の水、お米、お水をかえました。ちなみに私の神棚は、伊勢白山道の三社式です。伊勢白山道を批判しても良いと思ったことは取り入れています。三社式の由来は知りませんが、真ん中に伊勢神宮の大麻のお札。右社に野里にある住吉神社(司馬遼太郎さんの小説、一夜官女に出ています。)のお札。左社は住吉大社、大海神社のお札。西宮神社の笹札です。

そして、ろうそくを灯し、坐して、瞑目をします。毎朝、坐するのは私の基本です。時間は、現場が遠く、朝早く起きなければならない時は16分です。現場が近ければ32分行います。坐して気の流れが心地よければさらに時間を延長します。

早起き出来たので久しぶりに住吉大社に行きました。バイクで、45分ぐらいで着きます。

いつも、神社に赴くに、なんだかんだと言っても、神様の守護を、依頼心が多少あるのですが、今日は自然と気が付いたら、一宮を無心で、二礼二拍手一揖しておりました。神様に何の依頼心も想念が起きなかったのは不思議でした。

住吉大社を参拝した後、隣りの大海神社に行きました。誰もいなければ、岩笛を吹こうと思ったのですが、参拝者がおられたので今回は吹きませんでした。

返りに、住吉大社のの境内に、薩摩の島津家の紋、(丸に十の紋)を見かけました。誕生石を献上された跡です。

家に帰れば、心が軽く、無形の感化の心地よさが気持ち良かったです。


最近、普段を思い起こせば、仕事の工程、出来高に追われ、心がこれに囚われている自分がいます。仕事も大切ですが、自分の心の安らぎを見失なっては、何のための、先天坐であるのでしょうか。自省しています。

仕事は、その今を一生懸命働き、仕事を離れれば、自己の本心に還る。

人の世を生きて行く以上、悩み、苦しみは誰でもあります。それに囚われぬ、自由な心、適当な心を得る道こそが坐であるのですから。

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