嗚呼、至聖先天老祖の弟子、六万年前のいにしえの、えにしによる石門の弟子には、必ず老祖より、名を賜る。
出口王仁三郎氏は、「尋仁。」死後、老祖より、元化真君として、錫位され後、昭和四十七年、神の位として、霊績真人兼、中和成化普渡天尊と錫位された。大本二代教主こと、大地の母ねる出口スミ氏は、「承仁。」娘の直日氏は、「耀宗。」直日氏の旦那の出口日出麿氏は、「運霊。」この運霊は、吾が師、老祖は、その義父である、尋仁よりも、その働きを期待されておられたが、魔盛ん鳴るとき、拷問により、その霊を砕かれた。
そして、娘婿の出口宇知麿氏は、「悟天。」出口和明さんの父でもあります。
ちなみに、伊勢白山道リーマン氏は、出口王仁三郎聖師を天狗風情としか観れていない。はじめて、伊勢白山道リーマン氏の正体の御魂を天照大神と審神した、小長谷修聖氏すらも、蛇と観る。天照大神とされた言葉をアピールして、他を排斥するは、愚者なり。
蛇や狐、天狗と侮る能力者は、すべからく主神の意を汲めず、人を動物と差別される。
天狗も弧霊も、天蛇もすべからく主神の使いなどである。
どの世界、時間軸にても、人とは、差別し、階級を定めて、自己を誇るのである。
世界平和への祈りを提唱された、白光真宏会の五井教祖は、「晃修。」元、日本船舶振興会の会長であり、紅卍字会の会長にとフーチにより、示された笹川良一さんは「正謙。」鶴に乗った仙人こと、笹目老人は、「秀和。」大本の物語、「大地の母」の著者、出口和明氏こと、野上龍氏は、「誠荷。」言霊学の権威にして、大本の大久保彦左衛門こと、神声天眼道立神示を著した倉田地久氏は、「正晶。」中部、宗教団体の三五教の教祖、中野与之助氏は、「震甦。」六命星術の細木数子氏と縁があられた、陽明学者、安岡正篤氏は、「誠恪。」etc.
道名とは、その御魂に備わった、修道の目標であり、指針であり、その人の本質でもある。
尋とは、右手と左手を重ねる意があり、普遍なる普通の意もある。人には、右寄り左寄りと好悪がある。それに左右されない、普遍なる、おもいやり、愛を探求せよ。
出口王仁師は、警察に追われてていた、共産主義者の娘を頼まれ預かり、自分の不始末で出来た子として、信者に預けた経緯もある。
当然、出口王仁師は宗教家であり、共産主義とは相容れないと考えるが、王仁師とは正に仁道主義者である。
後日談で、その娘と預けられた、信者は本気で王仁師の子として大切に育てた。後、共産主義の父親が名乗り出た。おそらく、「あんぐり。」
五十歳となった星田悦子は田中家の女将として、遊廓きっての男勝りと人に言われ、定まった亭主を持たず、子も産まず、ただがむしゃらに働いた。しかし、老いた肉体。女たちの憎しみや涙で築いた財産にある時、たまらぬ嫌悪を感じたりもした。
大本を知り、貧しい身なりでも食うに困っても、元気はつらつな大本人に感化された。
尚且つ、大本教祖出口直の粗末な綿服にも包みきれぬ人格。高潔な魂の輝き。生きている神のごとく厳格と優しさに心打たれた。まして、直の御魂は、稚姫君尊といい、神代では色の道を違えて地に落とされ、艱難辛苦の道を極めたと聞き、自分の生業を省みて愕然とした。
大本教主出口王仁三郎にしても、男を見る眼識を自負していた悦子は、はじめて観た男でもあった。豪放磊落な男も知っている。正直に野放図な強い男も知っている。几帳面な紳士も知っている。されど、王仁三郎は、それらの基準で計れないほど、タガが外れていた。人前構わず裸となり、詰まらぬ取り巻きと野卑な会話し、女癖が悪いと評判な王仁三郎。とても嫌いであった。
しかし、女癖が悪いと言っても男たちの取り巻きが普段いる。それとなしと見ると、噂の女達自身が、それを匂わせる言動と態度で自己宣伝しているのに気がついた。女達にそうさせずにはおれぬほど、王仁三郎の魅力とカリスマ性があるのかも知れないと考えた。そして、どんな噂が流れても、決して、言い訳、弁解を王仁三郎の口から聞いたこともなかった。
ある昼とき、神苑内を歩いた、某女に背後から、王仁三郎が抱きつき、羽交い締めにした。女が驚き悲鳴を上げた。近くにいた信者達が飛び出して、王仁三郎を取り押さえた。王仁三郎は、照れた顔でにやっと笑い、引っ張られて行った。
目撃者達は、大本教主とは痴漢かと怒り心頭。悦子もそれを知り、激しい怒りが沸いた。「この大本こそは、情欲の泥沼のような汚れきった遊廓とは最も遠い、純で清らかな聖地と信じたからこそ、己れの過去を棄て、全てを投げ打って来たのに、それなのに教主ともあろう男が痴漢の行為をするとは。」
悦子は王仁三郎にぶつかろとした。その前にその某女にあって、直接真偽を確かめねばならぬ。
悦子はその女を訪ねた。一人暮らしの女性であった。
そこで意外な事実を知った。
その女性な泣く泣く語りだした。
十数年前、相手の夫は、妻と子を捨てて去った。子供が死に、ただ一人となって彼女は生きてきた。日々に夫を呪い、世間を恨んでは泣いた。
何度も自殺未遂を犯したが、死にきれなかった。ふと、大本の噂を聞き、大本に来てみる気になった。信者たちのうしろに座って教主さまに面会したが、特別に声をかけてもらえたわけでもなかった。「神さまなんて、あるわけない。やっぱり死んだ方が利口や。」後悔しながら、とぼとぼ帰りかけたら、ふいに、うしろからふわっと誰かに抱きすくめられた。大きな強い手が肩をつかんで引き寄せ、広い胸に抱かれた、無言で頬ずりされた。幼い時、もしかしたら、お父さんにあんな、抱かれ方をされたかも知れない。一瞬そう思ったほど、それは暖かい、やさいしい抱擁で在った。
その人が今、面会してきたばかりの教主さまと、知った時、思わず驚きの叫び声を上げてしまった。人が来て、それっきりであった。その場にへたり込んで、おいおい泣いた。人がいなければ、教主さまの膝にすがって泣きたかった。恨みも呪いも解けてしまって、凍えきっていた体中の血がら熱く流れ始めていた。
「あの時、長い間背中にへばりついていた死神が離れたのでっしゃろ、胸がすっと軽うなって、空の青いのにしみじみ気付いたぐらいです。あのことは、うち一生忘れまへん。」
涙の中から彼女は嬉しそうに笑った。
愛に飢えた孤独の暮らしがどんなものか、吾がことのように分かるだけ、悦子には彼女の心境が実感できた。
どんなにありがたい説教や難しい理屈よりも、ただ瞬間の抱擁一つが、この女を救ったのだ。
教主の身でありながら、人目や誤解も恐れず、それを出来る男がいるのであろうか、出口王仁三郎の他に出来るだろうか。王仁三郎こそ、肉を越えた途方もなく広い慈愛の持ち主なのかも知れない。
悦子はめまいを感じた。自分もそんな風に男に抱かれたことがあったろうか。
星田悦子の前に新しい人生が開けた。夢中になって大本に加わり、信仰と、奉仕に打ち込んだ。千万金投じても味わえない心の充足を覚えた。
のち、星田悦子さんは、出口直さんから、義理天上日之出神が憑く、福島久さんと対立する出口王仁三郎との和合を取り持ってくれと頼まれ、苦しい信仰の道を歩まれた方でございます。
老祖訓
「尋仁一団(大本信徒)の和気は多くの信徒と異なり、霊光の明らかなること常人に倍す。誠に衆生の光明にして濁海の導師なり。…尋仁の天性として生まれながらに受けたる所は人と同じきのみ。その誠なるによる故によくその道を成し、その信ずるによる故によくその心を成せり。…その悟るところを以てすれば、僅かに東亜一方の危を安んずるに関わるのみならず、その行ずる所を以てすれば実に以て世界人群物類の平安を奠(さだ)むるに足るなり。故に仁者は天に相するに、必ずその道を尋ねて自然に帰するのみ。」
出口王仁三郎氏は、「尋仁。」死後、老祖より、元化真君として、錫位され後、昭和四十七年、神の位として、霊績真人兼、中和成化普渡天尊と錫位された。大本二代教主こと、大地の母ねる出口スミ氏は、「承仁。」娘の直日氏は、「耀宗。」直日氏の旦那の出口日出麿氏は、「運霊。」この運霊は、吾が師、老祖は、その義父である、尋仁よりも、その働きを期待されておられたが、魔盛ん鳴るとき、拷問により、その霊を砕かれた。
そして、娘婿の出口宇知麿氏は、「悟天。」出口和明さんの父でもあります。
ちなみに、伊勢白山道リーマン氏は、出口王仁三郎聖師を天狗風情としか観れていない。はじめて、伊勢白山道リーマン氏の正体の御魂を天照大神と審神した、小長谷修聖氏すらも、蛇と観る。天照大神とされた言葉をアピールして、他を排斥するは、愚者なり。
蛇や狐、天狗と侮る能力者は、すべからく主神の意を汲めず、人を動物と差別される。
天狗も弧霊も、天蛇もすべからく主神の使いなどである。
どの世界、時間軸にても、人とは、差別し、階級を定めて、自己を誇るのである。
世界平和への祈りを提唱された、白光真宏会の五井教祖は、「晃修。」元、日本船舶振興会の会長であり、紅卍字会の会長にとフーチにより、示された笹川良一さんは「正謙。」鶴に乗った仙人こと、笹目老人は、「秀和。」大本の物語、「大地の母」の著者、出口和明氏こと、野上龍氏は、「誠荷。」言霊学の権威にして、大本の大久保彦左衛門こと、神声天眼道立神示を著した倉田地久氏は、「正晶。」中部、宗教団体の三五教の教祖、中野与之助氏は、「震甦。」六命星術の細木数子氏と縁があられた、陽明学者、安岡正篤氏は、「誠恪。」etc.
道名とは、その御魂に備わった、修道の目標であり、指針であり、その人の本質でもある。
尋とは、右手と左手を重ねる意があり、普遍なる普通の意もある。人には、右寄り左寄りと好悪がある。それに左右されない、普遍なる、おもいやり、愛を探求せよ。
出口王仁師は、警察に追われてていた、共産主義者の娘を頼まれ預かり、自分の不始末で出来た子として、信者に預けた経緯もある。
当然、出口王仁師は宗教家であり、共産主義とは相容れないと考えるが、王仁師とは正に仁道主義者である。
後日談で、その娘と預けられた、信者は本気で王仁師の子として大切に育てた。後、共産主義の父親が名乗り出た。おそらく、「あんぐり。」
五十歳となった星田悦子は田中家の女将として、遊廓きっての男勝りと人に言われ、定まった亭主を持たず、子も産まず、ただがむしゃらに働いた。しかし、老いた肉体。女たちの憎しみや涙で築いた財産にある時、たまらぬ嫌悪を感じたりもした。
大本を知り、貧しい身なりでも食うに困っても、元気はつらつな大本人に感化された。
尚且つ、大本教祖出口直の粗末な綿服にも包みきれぬ人格。高潔な魂の輝き。生きている神のごとく厳格と優しさに心打たれた。まして、直の御魂は、稚姫君尊といい、神代では色の道を違えて地に落とされ、艱難辛苦の道を極めたと聞き、自分の生業を省みて愕然とした。
大本教主出口王仁三郎にしても、男を見る眼識を自負していた悦子は、はじめて観た男でもあった。豪放磊落な男も知っている。正直に野放図な強い男も知っている。几帳面な紳士も知っている。されど、王仁三郎は、それらの基準で計れないほど、タガが外れていた。人前構わず裸となり、詰まらぬ取り巻きと野卑な会話し、女癖が悪いと評判な王仁三郎。とても嫌いであった。
しかし、女癖が悪いと言っても男たちの取り巻きが普段いる。それとなしと見ると、噂の女達自身が、それを匂わせる言動と態度で自己宣伝しているのに気がついた。女達にそうさせずにはおれぬほど、王仁三郎の魅力とカリスマ性があるのかも知れないと考えた。そして、どんな噂が流れても、決して、言い訳、弁解を王仁三郎の口から聞いたこともなかった。
ある昼とき、神苑内を歩いた、某女に背後から、王仁三郎が抱きつき、羽交い締めにした。女が驚き悲鳴を上げた。近くにいた信者達が飛び出して、王仁三郎を取り押さえた。王仁三郎は、照れた顔でにやっと笑い、引っ張られて行った。
目撃者達は、大本教主とは痴漢かと怒り心頭。悦子もそれを知り、激しい怒りが沸いた。「この大本こそは、情欲の泥沼のような汚れきった遊廓とは最も遠い、純で清らかな聖地と信じたからこそ、己れの過去を棄て、全てを投げ打って来たのに、それなのに教主ともあろう男が痴漢の行為をするとは。」
悦子は王仁三郎にぶつかろとした。その前にその某女にあって、直接真偽を確かめねばならぬ。
悦子はその女を訪ねた。一人暮らしの女性であった。
そこで意外な事実を知った。
その女性な泣く泣く語りだした。
十数年前、相手の夫は、妻と子を捨てて去った。子供が死に、ただ一人となって彼女は生きてきた。日々に夫を呪い、世間を恨んでは泣いた。
何度も自殺未遂を犯したが、死にきれなかった。ふと、大本の噂を聞き、大本に来てみる気になった。信者たちのうしろに座って教主さまに面会したが、特別に声をかけてもらえたわけでもなかった。「神さまなんて、あるわけない。やっぱり死んだ方が利口や。」後悔しながら、とぼとぼ帰りかけたら、ふいに、うしろからふわっと誰かに抱きすくめられた。大きな強い手が肩をつかんで引き寄せ、広い胸に抱かれた、無言で頬ずりされた。幼い時、もしかしたら、お父さんにあんな、抱かれ方をされたかも知れない。一瞬そう思ったほど、それは暖かい、やさいしい抱擁で在った。
その人が今、面会してきたばかりの教主さまと、知った時、思わず驚きの叫び声を上げてしまった。人が来て、それっきりであった。その場にへたり込んで、おいおい泣いた。人がいなければ、教主さまの膝にすがって泣きたかった。恨みも呪いも解けてしまって、凍えきっていた体中の血がら熱く流れ始めていた。
「あの時、長い間背中にへばりついていた死神が離れたのでっしゃろ、胸がすっと軽うなって、空の青いのにしみじみ気付いたぐらいです。あのことは、うち一生忘れまへん。」
涙の中から彼女は嬉しそうに笑った。
愛に飢えた孤独の暮らしがどんなものか、吾がことのように分かるだけ、悦子には彼女の心境が実感できた。
どんなにありがたい説教や難しい理屈よりも、ただ瞬間の抱擁一つが、この女を救ったのだ。
教主の身でありながら、人目や誤解も恐れず、それを出来る男がいるのであろうか、出口王仁三郎の他に出来るだろうか。王仁三郎こそ、肉を越えた途方もなく広い慈愛の持ち主なのかも知れない。
悦子はめまいを感じた。自分もそんな風に男に抱かれたことがあったろうか。
星田悦子の前に新しい人生が開けた。夢中になって大本に加わり、信仰と、奉仕に打ち込んだ。千万金投じても味わえない心の充足を覚えた。
のち、星田悦子さんは、出口直さんから、義理天上日之出神が憑く、福島久さんと対立する出口王仁三郎との和合を取り持ってくれと頼まれ、苦しい信仰の道を歩まれた方でございます。
老祖訓
「尋仁一団(大本信徒)の和気は多くの信徒と異なり、霊光の明らかなること常人に倍す。誠に衆生の光明にして濁海の導師なり。…尋仁の天性として生まれながらに受けたる所は人と同じきのみ。その誠なるによる故によくその道を成し、その信ずるによる故によくその心を成せり。…その悟るところを以てすれば、僅かに東亜一方の危を安んずるに関わるのみならず、その行ずる所を以てすれば実に以て世界人群物類の平安を奠(さだ)むるに足るなり。故に仁者は天に相するに、必ずその道を尋ねて自然に帰するのみ。」