伊勢には、伊勢の神がおられる。
内宮には、天皇たる存在が祀る存在がおられ、外宮には、それを守護出来、尚且つ、その天皇の人民なる、土着たる人々をまもられておられる。
外宮には、国祖国常立尊、いや天之御中主なる、一柱、スの大神。
宇宙は、様々な系統なる神々が存在され、運行を担う。
人間にとって、東洋では、多神教が多く信じられ、西洋べは、唯一神を信じておられます。すべからく、御魂相応に信仰される。
いや、人なる種族は、人のかんがえた、思考を鵜呑みにされ、実際に、事実に、真なる神と出逢えず、宗教教義に依る神、信頼する人から聞いた、神の観念による、神を神とされておられます。
故に、生きている間に、神と出逢っておられません。
神と逢いたければ、それは、簡単。
赤子の心で、無邪気に、無垢にして、決定せず、我が心の中の深奥に向へば、吾が内鳴る神とは、必ず出逢えるのです。
御魂とは、見たまま。
御魂とは、素朴。
御魂とは、惻隠の情。
御魂とは、生まれたままの赤子。
さて、伊勢内宮には、伊勢神界が存在されます。
そこには、天照国照瀬織津姫神(女神)が主となり、世の安寧を導いておられると、考えます。
伊勢神界に存在される神人は、かつて、国事の為に働らかられた存在の御魂。その伊勢神による御魂の恩恵(ふゆ)と感応、感合され、それに同調された、神人、霊人の集合意識であるとも考えます。
伊勢神界の願いは、皇室の安寧、日本人の御魂の発露、大和魂の顕現。
伊勢神界と外宮神界とでは、ちと異なる感があります。
外宮は、グローバル。日本の保守的思考が嫌う、世界主義が多少あるように考えます。
世界が平和でありますようにと。
なんせ、国祖、国常立之大神は、地球の神だから。
私は、全体主義(グローバル)は、嫌い。日本を愛しております。
なるべくならば、日本には、難民移民は入って来て欲しくはありません。
埼玉のクルド人問題もあります。
世界人類皆兄弟を掲げれば、世界の人々共に、苦悩を分かち合うべきであると、国祖は示されておられるのか。
しかし、翻れば、世界は破滅の道を選び、望んで、宗教、思想、経済を争いの道具としている。
戦争屋は戦争を煽って、軍事産業で儲かりまっせ。
故に国祖は、自らの身をもって煉獄の炎で身を焼き、贖われる。
太陽、大海原(地球)、月。
月をもって、世の調和と成す。
月讀の静寂。
外宮ありて、月読み神がおられる。
ああ、翻れば、どこにでも神様はおられる。
今、空を見れば、父なる神がおられ、コンクリートや、アスファルトに阻まれた、大地を見ても、母なる、地球鳴る、神が、おられる。
目に見えない空気を感じれば、虚空と共にある、吾がいる。
人にも、御魂なる、神が存在される。
それだけ、神鳴る縁があるのに、地球は危機に瀕しておられる。
人の科学は、どうしても、地球を汚染する。それは、現代人では、どうしようもありません。
しかし、さらに思考すれば、汚染物質も放射能ですら、実に、自然から生まれた存在であります。
つまるところ、人類では、自然の重ね合わせをして、とても有害であっても、それすらも、自因果律の一部でしかないと考えます。
多くの人を苦しめた、病(ハンセン病、エボラ、結核など、等々)は、すべからく、人が人を虐め殺し、獣を虐め殺し、蟲を虐め殺した、結果が、人類を蝕んだ、因果でもあると考えます。
突き詰めれば、神は人の感情を思考されない。
神とは無情にして、大愛にして、無垢。
そして、自然とは、相応の因子を人に与えます。
故に、とっくの昔に人間は絶滅してもおかしくはありません。
されど、神に仕える存在に、眷属あり、天使あり。
天使の一部は、人類として生まり変わられた。輪廻転生。何故ならば、自らが、人類を助けようとされ、因果律から人類を庇うために。
天使が人に生まれ変わった、御魂とは、その身魂を審神して、観れば、神を敬して、ひとを愛し、差別を憎むなり。
国祖、国常立之大神は、主神でありながら、全てを贖う為に、我が子なる人のカルマを背負った、唯一神であります。
伊勢外宮には、実在の神が居られ、人々には、決して恩恵を与えませんが、慈しみ、幇助されてくださる。
私は、その神を奉唱して、国祖と称しまた、老祖とし、「至聖先天老祖」
と唱えております。
伊勢の地に行けば、内宮も気高いが、実に、外宮にこそ、真なる、慈愛の神が居られることを知って頂きたいです。
ああ、しせいせんてんろうそ、かむながらたまちはへませ。