一寸法師の日本は、北から赤き辰に、にらまれ、今や赤き鬼の腹に呑まれてしまったぞよ。
さあ、これから鬼の腹のなかで如何なる働きを為すか。
針の刀を抜きて、この日本が、赤き辰や赤き鬼を退治で、無いぞ。
言向け和(や)わす、働きをなさねば、真の世界の平和は来たらぬぞよ。
針の刀とは、真実(まこと)の九十〇(言霊)のことであるぞ。
言霊の力で大和の道を開くのがこの日本の神命であるぞ。
退治すれば、また、抗いて、争いが起こるのじゃぞ。
始めは、真実で向かいても、あなどられ押さえつけられても、抗うでないぞ。
時の流れに従いつつ、腹をすえ、真の平和の道を開く目標を忘れる事無く、その末に九十向け和わして、大和の道を開くのじゃぞ。、
この事は世界の事も.日本の事も、各家の事も同じであるぞ。
一寸法師の日本が、和(話)の道を開かねばならぬ、時が来たのじゃぞ。
今の日本は誠を忘れ、金の力で、世を自在にせんとする、金毛九尾の悪霊に自在にされており、政府も金の力で国民をあやつりておるが、これもやむを得ぬ今の流れであるが、国の頭や上に立つ者もしっかりいたして、正義、真実の誠をしっかりと腹の中に、養いて、おかねば、何にでも金で自由になると思いておれば、道を外れる事も出来るぞよ。
国民も、金をくれたら、どっちでも向くような、あさはかな考えばかりでは.国を滅ぼす事となるぞよ。
金の力だけに頼れば、情けも薄れ、冷たき世の中となるぞよ。
国も家庭も温かみのあるもので無ければならず、金も活かして使わねば、ならぬぞよ。
神の念願は、神も人も万物も喜び勇みて、暮らす世の開きであるぞよ。
金力で権力を得た者が世を一人占めにし、自在にする、強い者勝の世がこれまでであり、それは、世の元からの〇九十(まこと)の神を押し込めて、金毛や思凝霊が人民の我欲を使いて、開いて来た今の世じゃ。
見た目は立派な天国暮らしのようであれど、地球は汚れ穢れ、放射線に汚染された水を、海に流さねば、どうにもならぬような、世の中となりておるのじゃ。
科学的には安全と申しておれど、少しの事でも積み重なればどうなるか。
同じ事を何度も申してありても、肝に銘じぬ、人間共じゃ。
これまでの事は、神々龍神、風水火の神力をもって、浄めれども、これ以上危ない事を続けると.神も浄化出来ぬようになりてしまうぞよ。
始め原発を作りた時、政府は立派な施設や道路をつけて、人民を喜ばせ、金力で目をくらませ、作りたなれど、東日本の震災で、福島の原発の損害のような事になるとは、人民には思いもかけぬ事でありたぞ。
もう、そんな事は起こさぬと弁解いたしても、この地球の、修理固成(つくりかため)は、これからも続くのであるから、地震も噴火も起こるから、その事しかと、肝に命じて、危ない事をいたさぬようにせねば、ならぬぞよ。
神の申す事、聞かねば、嬉し楽しの世開きどころか、金はあっても、人の住めぬ、所が、増え、淋しく辛く悲しい地球となりてしまうぞよ。
思凝霊の自在にされ、金毛の甘酒(うまざけ)に酔いしれて来た、人民の目を醒まし、改心させるため、これまで因縁の御霊の者をして、世の元からの神々の封じられて居りた、山々や、海河の岩戸開きの神業に奉仕させ、艮の金勝、国常立の大神を始め、最初霊主体従(きわめよひのもと)の世を開きた世の元からの、神々を世に御出しいたして、これまでの思凝霊や、楽のみを求める人民のやり方にまかせておりては、この地球は汚れ穢れ亡びてしまわねば、ならぬから、大本教を始め今日も縁ある者をして、世の立替立直しの神の業を進めておるのであるが、中々人民の改心はならず、汚れ穢れは増す、今の世であるぞ。
されど、必ず、現の世を修理体従(ひのもと)の道に立直して、地球も人民も救いてやりたい、神の界の念願に変わりは無いぞよ。
世の元の国常立大神出現の地場、古代丹波(田ニ八)の国は、今の丹後丹波但馬若狭の国であり、その要が男島女島や、天之橋立真名井ヶ原のある丹後の国、表舞台は、大本教の現れた丹波国、奥座敷、奥の備えは、但馬国と申して来たが、もう、そのような事を忘れかけ、御陰信心に走る者も増えて来たが、御陰は、誠(もと)の信仰いたせば、自ずから授けるものであるから、初心に返り、世の立替立直しの道に尽くす事が神業の要である事を忘れてはならぬぞよ。
〇九十(まこと)をもって祈れば、神は因縁の者に憑(かか)りて、働くぞよ。
世の大掃除急ぐぞ。
この年、秋分の人、男島女島の間より、登り西に向かう太陽の道.八九十(はくと)の仕組みを進めるぞよ。
因縁の者。その五用に立つぞよ。
越(こし)の国、若狭、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、石見、と大和島根に白山より、ハ九十の道を通すぞよ。、
裏が表に出る、四九三(仕組み)であるぞよ。
言霊神也 ン。
令和五年十月三日拝写
天橋道士龍華斎修聖。