誠とは、そもそもなんであろうか。
誠は自神の発露であり、道心とも述べるのでしょう。
そして、道は、経であり、経は道であり、大道でもある。
経の多くは、仏教から来る真諦でもある。
吾が師が発揮される、北極真経は、人々胎内、体内に、深奥鳴る、七つの経があるとする。
それは、物質的には見えない、聞こえない、先天無形の存在。
その存在の働きも、人には識られない。
されどその、回転する音は、無音であるが、宇宙に、響く。
(鬼雷述べる。七経とは、現在知識のの七つのチャクラと混同する事なかれ。現在のチャクラの解説を鵜呑みにする事なかれ。自ら、悟り、奥竅に至り、道玄のあるあるを体験す。)
中庸に曰く「人心危うく道心微かなり。惟れ精、惟れ一、允" (まこと)にその中を執れ。」「誠は、天の道なり。これを誠にするが人の道なり。」
七つの経は、坐して、誠心、無心、無私にして回光するとされる。
されど、そこには何も無い。
施無畏あるのみ。
決して、開運もしない。
決して、金運も上がらない。
決して、社会的地位も上がら
ない。
即ち、誠を発する者には、地位も名誉も、金も、官位も関係無く、自ずから、自己の魂の本来の存在力を発揮するのみ。
誠とは、自ら、鳴る。
されど、道は、自らを導くなり。
ゆえに、誠は、神の道なり。
自ずから、己を神に導くが、人の道なり。
多くの人は、外に、神を求めておられる。
この誠を何たるか、悟られる人は、吾が内に、道を求める。
吾が師、先天老祖は、「外に神を求めるのでは無く、吾が内に道を見出せよ。」
惟を知って頂きたいです。