今日、八月八日は、天開け(八)地開き(八)、龍宮に深い縁の日であるぞ。
返り見れば、昭和四十八年八月八日、富士山頂剣が峰にて、修聖を始め有志の者、天地の清浄祈願祭に仕えさせた大事な記念日であるぞ。
これまでの世に、思凝霊(しこりがみ)にあやつられた人類が積み重ねてきた、体主霊従の世の罪科や、汚れ穢れを浄め給へ祓い給い、神人和楽の地上天国、開きを祈念したのであるぞ。
体主霊従の世は、世の元からの生命の海(もと)の神々は思凝霊に封じ込まれ、陰からの守護であり、金力を恵み武力権力に力を貸し、人間を思い上がらせる思凝霊の自在の世でありたが、昭和四十八年(よは)は世開根(よはね 音)の年とも申してありたが、封じられていた神々の岩戸開きの時節となり、世の元からの神々が次々現れ、罪科や汚れ穢れを浄め祓う大浄化の世となったのであるぞ。
神と言えば、人間の都合勝手の事を何でも適えてくれると思って来た三千年でありたが、世の元からの神々が、現れて浄めや世の改めが始まったら、これまで夜の世で暗闇に悪事因縁隠せたが、善きにつけ悪しきにつけ因縁皆浮かび上がりてまいるから、これまでより、世の中悪くなったように見えるのであるぞ。
人民には困った事と思ってる、雨風嵐地震雷も、現の世の浄めであり、修理固成(つかりかため)であるが、五風十雨の狂い無き世を開くには、余りにも身勝手な人民の利己主義(われよし)の心を改めねばならんのであるぞ。
中々終息せぬコロナも、これまで好きほうだい何でも自在になると思って来た、そののぼせ上がった思いを改め心を鎮め様々の苦労に耐えてゆける精神を鍛えるためであるぞよ。
人類も段々増えて食い物も足らぬようになると申しておるが、そうしておるのは贅沢と無駄であるぞ。
余りたる物を足らざる者に恵みてゆく精神となれば、神はこの地球に生きる者の食い物用意しておるから、餓死する者も無くなるぞよ。
強い者勝ち利己主義の世を根本から改めてまいらぬと益々困窮する者が出来るぞよ。
金力で権力を求め、それでも敵わぬと武力を使うやり方では何時になりても世界の争いは止まず、見えて来るのは核にしがみついて滅びの道を歩む姿であるぞよ。
この度、安倍元首相のいたましき銃殺が起こりたが、それによって伏せられて来た統一教会の政治家の癒着が露見して騒いでおるが、これまでの世は闇の世でありたから、金の力で権力を自在にする事は常になされて来た事であり、それで金力のある者が権力を得て、強い者勝ちの世となりておりたのであるが、今は日の出の昼の世であるから、闇にかくれた悪事は皆、露見してまいるのであるぞ。
令和の元年から、天照国照日の出の神の御現れとなりておるのであるぞ。
(注 夜の世は体主霊従の世であり、物的成長の世。日の出の世は霊主体従の世で、霊性を磨き、至誠通天の世の中。)
思凝霊の大将の実入りた統一教会は人民をだまし、金を巻き上げ、その金で政治家をあやつり権力を得て世界を自在にせんといたしたのであるが、信教の自由と申せ、人をだまし金力で権力を得る悪事は許されぬぞよ。
神の四九三は、善も悪も使う大芝居であるから、何程悪事を伏せておこうといたしても、あんな者を使って、こんな事も明らかにする奇しき図りが、あるぞよ。
政治と宗教の関わりは当然であるが、人民をだまし金をまき上げ、政治家を金力であやつり権力を得んとするような事は、宗教には許されぬ事であるぞよ。
政治でも宗教でも必ず悪事は露見し強い者勝ちの土台は段々崩れてゆくから、政治家宗教家も、利己主義の心を改め真言誠(まこと)の道を開くよう本来の道に帰らねばならぬぞよ。
我が我がと金力武力で天下を取っても、露と消えてゆく人の身じゃ。
夢まぼろし如き現の世であれど、形ある現実の世でもあるのじゃぞ。
現の世の始めから神人和楽の世を開かんとする神界の願いは、如何に世の浄化激しく荒れ狂うとも変わらぬから、様々苦境の中にある人民もこの事、忘れる事無く、苦渋に負けぬよう希望をもって歩まねばならぬぞよ。
世の元の国常立大神が神々龍神を使いて現の世を修理固成(つかりかた)めてから一度は体主霊従の闇の世となりたが、愈々日の出の神、龍宮乙姫(瀬織津姫)つれそうて、力合わせて世を構う時代となりたのであるぞ。
新しき神の世の要の地場、男島女島や天橋立真名井原籠宮へ集う者も段々と増えてまいるぞ。
(注 籠神社の神島、男島女島は日出の神、龍宮の神、出現の地場である。)
それぞれの御魂の岩戸を開く鍵を授け新しき世を開く五用に、使ってまいるぞ。
まず、我が職業に精を出し、特技特性の発揮に努力して御魂の使命を果たしに尽くすべし。
寄せては 返す波の音 天の橋立 松吹く風に 心和ませ 歩みゆけ。
言霊神也 ン
令和四年八月八日拝写 龍華斎修聖。
○富士山頂天地清浄祈願の経路。昭和四十八年八月八日斎行。
昭和四十七年七月七日、加佐郡元伊勢日室ヶ岳、下の二瀬川の産盥の水を汲む。
同年八月十八日、但馬気比の浜より産盥の水、世界を巡るよう海へそそぐ。
昭和四十八年七月七日、世界を巡りし水を但馬気比の浜で汲み富士へ鎮める用意。
昭和四十八年八月四日、熊野玉置神社にて、新海史津江氏の神示にて、玉置の石と水と火を富士へ結ぶよう依頼される。
昭和四十八年八月七日、琵琶湖長命寺沖の水を汲む。
同夜、富士宮浅間神社へ泊り湧玉池で禊ぎ。
昭和四十八年八月八日、富士山頂の剣ヶ峰にて、鎮物を献じ神業登拝の者七十五名、山下を巡りし者、七十五名、計百五十名奉仕。