九月九日を前にして、九月八日は大事な日と申してあるぞよ。
陰陽、霊体、日月、男女、あらゆる物を括り結び、天之御中なる宇宙の均衡調和を司る、白山菊理比咩の神は、地球神界に於いて、大地の金神金勝要神とも現れて機(はた)の四九三とも申す。
経緯(たてよこ)綾に神々の働きを織り上げて見事な錦旗といたすぞよ。
金勝要神の神霊は丹波大本教に於いて、出口澄殿の御魂と現れて、厳の神霊出口直殿、瑞霊(みずみたま)出口王仁三郎殿の神業の結びの役目を果たしたのであるぞ。
神々や人民の異なる働きを経緯綾に見事に織り上げて神人和楽、万物共存共生の三六九の世を開く要(かなめ)の役を果たすのが金勝要神であり、表に出ぬが、裏にあって総べてを結ぶ要であるぞよ。
(注 出口澄様の手織は、昭和十年大本教弾圧の折、但馬出身の国森常松氏が預かられる。国森常松氏は熱心な大本信者で但馬神鍋山のふもと万場の出身である。)
日本の神典では櫛稲田姫とも申してあるぞよ。
荒振る御魂の素戔嗚の御魂を鎮め、救世神とならせたのは、櫛稲田姫の働きであり、世界の神業の型を現した大本教では、暴れん坊の出口王仁三郎の金玉をにぎり、御魂を鎮め、天晴れ五用果たせたのは、出口澄殿の働きであり、その御魂が金勝要神(櫛稲田姫)でありたぞよ。
金勝要神の神霊石(みたまいし)は長らくの間、但馬国、神鍋山の噴火口の底に埋もれておりたが、昭和五十年十月五日、修聖等に神業をさせて、土中より、現し十月十五日に近江国金勝の御香水で神霊石を洗い浄めさせたぞよ。
(注 昭和五十年十月五日神鍋山噴火口の神業の前に龍宮の奥院、鉢伏山の山頂に大根をお供えしてから、神鍋山へ向かう。)
奇しき神の四九三は一歩一歩と進みて来たのであるが、中々人民の改心はならず、白山菊理比咩の神、地に於いて金勝要神と現れ、世の元の神の命によりて、八百万の神々の働きを括り結び織り上げて、神人和楽共存共生の美(うま)し世を開く経綸も遅れるばかり。
神が表に現れたと、前々から申しておるのに世の中、善くなるどころか、段々と悪く危うくなっておるではないかと申す者も多いが、思凝霊(しこりがみ)や体主霊従(からたま)と化した人類が、自我や欲の利己主義(われよし)の思凝で、世の元からの神々を押し込め、この地球を我物の如く汚し穢し、今では宇宙の星まで我物とせんと先を争う有様。
まず、この地球の汚れ穢れを浄めねば、このままでは、地球の生物皆滅びてしまわねばならぬから、神が表に出る程、日の出の光に夜の闇が晴れ、隠されておりた罪科(つみとが)汚れ穢れが皆浮かび上がり段々、世の中悪くなるように、見えてくるのであるぞ。
現の世を修理固成(つくりかため)た神の力ならば、何でも自在になると思うであろうが、形ある現の世は、あの強烈な太陽の光でも、一片の雲で、さえぎられる如く、体を持った人間の自我や欲の思凝は神の力とて封じ込め、岩戸閉めともなるのであり、人民の改心が無ければ、神意の実りも成らぬのであるぞ。
コロナ禍が中々終息せぬのも、人類がこの地球に住まいておるので無く、住まわせてもらっているのである事に気ずき、天地の神の恵みで暮らせてもらっている、おる事の感謝を深め、好きほうだい、都合勝手、金がもうかれば何でも自在になるという思い上がりの心を改め、正常の暮らしの有り難さをかみしめねばならぬ故であり、コロナは太陽の光環であり、思い上がった人類への日の出の神の警告であるぞよ。
世界の国々の人民は皆、倖せに楽しく暮らしたいと望んでおるのであるが、上に立つ者の、自我や欲の意地張りで、物や金も権力も我一人じめにいたさむとするゆえに、争いとなり、その末戦争となり、多くの者が犠牲になるのであるぞ。
核兵器にしがみつき、我が身我が国を守らんと威嚇し合う愚かな考えを改めねば、世界平和は来たらぬぞ。
国々の頭(かしら)から改心をいたし、人民の倖せの願いを適える為に無益な争いを、事止めて、国々の頭は人民の為に皆が倖せになるにはどうすれば良いかと考え、相計りてゆく事であるぞ。
そんな甘い考えでは、相手の自在にされてしまうと、疑いて、牙をむき威嚇しあい、守りの道に走るのであるが、その事が又、争いを生み、その末、共倒れとなる事に早く氣づかねばならぬぞよ。
各国の争いの氣を鎮めむと金勝要神も働くが、争いの無い倖せな世界の来るのは未だ未だ先の事であるから、皆利己主義の心を改め、神理に順う努力を重ねればならぬぞよ。
我を守らんとするばかりに、争いを生じ末は共倒れになるような事は、してはならぬぞよ。
皆で仲良く手をつながねばならぬと、三つ子でも判る事が大人になると我欲為に判らぬようになり、皆倖せを求めつつ争いや不幸の道を開いておるのじゃぞ。
強い者勝ちの世は済みたと申してある事、しかと肝に命じ、勝つと思えば、負けとなる思い上がりの理を覚り、思いやり慈しむ心を起こさねばならぬぞよ。
今世に起こる様々の不測の事件、身勝手に走る人民の改心をうながしておるのであるぞ。
扨ても昭和四十六年五月十八日、日の出の神に因縁の但馬豊岡来日岳開きの神業を始め、丹後、但馬、丹波、因幡、伯耆、出雲越、富士、鳴門、全国縁(ゆかり)ある神山霊地の岩戸開きと龍宮の玉石鎮め(種蒔き)の御用に仕えさせ、昭和五十四年七月一日(旧六月八日)男島、女島、中津神岩の御用で納めとなし、平成元年より、世の元の真名井ヶ原の、整備に仕えさせ、いよいよ令和の御世を迎えたのであるぞ。
(注 来日岳亦、来日山 兵庫県豊岡市にあり五六七m。天照国照彦火明命、丹後より磐舟に乗り来臨の伝承あり。
昭和四十八年十一月四日、この山の中腹に清明金明宮を建て神業の要の場とした。旧十月十日)
令和は霊和であり、体主霊従の世から、霊主体従の世への大転換期を迎へたのであるぞよ。
言霊神也 ン
令和四年九月九日
龍華斎修聖拝写。