大本教の出口王仁三郎聖師はその著、「霊界物語」に於いて、三五(あななひ)教と謂う神の教えが述べられています。元々は黄金山の麓に混乱紛糾の世を救うべく埴安彦の大神が現われ五大教という教義を立てられてました。そして、霊鷲山麓の玉の井の郷に現われた、三つ葉彦の神の教理を三大教といいます。霊界物語では三大教と五大教の救いの教えが統一し、「三五教」と成り、真の救いの道を天下に宣伝する事になっていますね。
老祖訓 「天の道を奉じて世界を化し、世界を善導するには必ず先ず東よりしなければならない。」
大正12年の関東大震災が起きた時に道院紅卍字会は神命により救済品を東京震災復興局に届けました。もう一つの神命は道院紅卍字会と同じ主旨目的を持つ、新しい宗教団体と提携し、世の災刧を弭化すべく日本の神戸に道院を創ることを目的とされていました。しかし、いくつかの宗教団体を訪ねましたが提携に値する団体はなかなか見つかりません。最後に綾部の大本教にいきつきました。
出口聖師は道院の候素爽と面会をし、大本の救世の神業について詳細をかたり、キリスト教の信者でもある候素爽にバイブル聖句の疑問点をも明快にし、更に霊界物語第六巻の三大教、五大教の統合を指し、「貴方が来られることは既に神界から知らされておった。道院紅卍字会こそが世界の五大宗教(仏教、道教、儒教、イスラム教、キリスト教)を統合する聖なる宗団(五教同源)であり、万教同根を主旨とする大本と手を携えて世界を平和に来たらすことは神界の仕組みである。」候素爽もこの事に非常に驚嘆し、大本と道院の不思議な神縁を出口聖師と共に喜び、大本と道院の提携が成立しました。戦前は日本の大本支部には合わせて道院の看板も掲げられ、大本皇大神と同様に至聖先天老祖の神位もお祭りされてあったようですが、出口王仁三郎尋仁聖師亡きあとは、廃されたようですね。
日本の神道は古来教えは無く、自然のままに、素直に明るく前向きな大御心で至仁至愛の神にしたしみ、多くの善行を為し、多くの幸あう言霊をもって言向け和す、大調和の精神であります。これこそが維神の道であります。
古来より大陸の教えは自己修練、修身に基づき、克己復礼、中庸をもって道とします。常に心中に誠を掲げ、偏りを排し、自己を偽りません。
かつて、和の大本。中の道院。維神と、教義の統合こそが中和となったのです。「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中る、これを和と謂う。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して天地位し、万物を育す。」しかし、神界の仕組みもまた障害があるのです。神を信ずるものでも、御神業が御人業となり、人の欲心が邪魔を為すのです。
出口尋仁聖師は大本と道院の繋がりを大切にされていました。しかし、石化の刧による大本の弾圧、中国では赤化(共産主義)の刧により、道院は壊滅、一部香港台湾のみに残されました。
戦後、大本は復活。二代様までは御神位に「至聖先天老祖」の神位がありましたが…。道院も東京総院が出来ましたが、大本との提携は無いようです。
しかし、形にこだわる事もなく、大本の精神は「霊界物語」にあります。道院は「先天坐法」を以って道とします。この二つを自己に於いて、練磨すれば、ここに吾が三五(あななひ)の道が開かれるのです。あななひの道を歩むこそが「いづのめ」への開化となるのです。光は東方より、万物の救いの成就を為す者は東より始まらねばなりません。東瀛にある日本人の役割もまた重要なのです。ああ、神人は何処に。
「葦原の中津御国はさやぎ居り救わせ給え伊都能売の神」
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老祖訓 「天の道を奉じて世界を化し、世界を善導するには必ず先ず東よりしなければならない。」
大正12年の関東大震災が起きた時に道院紅卍字会は神命により救済品を東京震災復興局に届けました。もう一つの神命は道院紅卍字会と同じ主旨目的を持つ、新しい宗教団体と提携し、世の災刧を弭化すべく日本の神戸に道院を創ることを目的とされていました。しかし、いくつかの宗教団体を訪ねましたが提携に値する団体はなかなか見つかりません。最後に綾部の大本教にいきつきました。
出口聖師は道院の候素爽と面会をし、大本の救世の神業について詳細をかたり、キリスト教の信者でもある候素爽にバイブル聖句の疑問点をも明快にし、更に霊界物語第六巻の三大教、五大教の統合を指し、「貴方が来られることは既に神界から知らされておった。道院紅卍字会こそが世界の五大宗教(仏教、道教、儒教、イスラム教、キリスト教)を統合する聖なる宗団(五教同源)であり、万教同根を主旨とする大本と手を携えて世界を平和に来たらすことは神界の仕組みである。」候素爽もこの事に非常に驚嘆し、大本と道院の不思議な神縁を出口聖師と共に喜び、大本と道院の提携が成立しました。戦前は日本の大本支部には合わせて道院の看板も掲げられ、大本皇大神と同様に至聖先天老祖の神位もお祭りされてあったようですが、出口王仁三郎尋仁聖師亡きあとは、廃されたようですね。
日本の神道は古来教えは無く、自然のままに、素直に明るく前向きな大御心で至仁至愛の神にしたしみ、多くの善行を為し、多くの幸あう言霊をもって言向け和す、大調和の精神であります。これこそが維神の道であります。
古来より大陸の教えは自己修練、修身に基づき、克己復礼、中庸をもって道とします。常に心中に誠を掲げ、偏りを排し、自己を偽りません。
かつて、和の大本。中の道院。維神と、教義の統合こそが中和となったのです。「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中る、これを和と謂う。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して天地位し、万物を育す。」しかし、神界の仕組みもまた障害があるのです。神を信ずるものでも、御神業が御人業となり、人の欲心が邪魔を為すのです。
出口尋仁聖師は大本と道院の繋がりを大切にされていました。しかし、石化の刧による大本の弾圧、中国では赤化(共産主義)の刧により、道院は壊滅、一部香港台湾のみに残されました。
戦後、大本は復活。二代様までは御神位に「至聖先天老祖」の神位がありましたが…。道院も東京総院が出来ましたが、大本との提携は無いようです。
しかし、形にこだわる事もなく、大本の精神は「霊界物語」にあります。道院は「先天坐法」を以って道とします。この二つを自己に於いて、練磨すれば、ここに吾が三五(あななひ)の道が開かれるのです。あななひの道を歩むこそが「いづのめ」への開化となるのです。光は東方より、万物の救いの成就を為す者は東より始まらねばなりません。東瀛にある日本人の役割もまた重要なのです。ああ、神人は何処に。
「葦原の中津御国はさやぎ居り救わせ給え伊都能売の神」
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