出口日出麿が叫ぶ。「まず、純真の自己にかえれ。
まじりけのない自分のみに戻れ。」
人とは、人に左右される存在。簡単に自己の本源に戻れない。
それほど、人種は昏迷している。、
文明とは誇りと傲り。物資世界と人為的宗教が交わり、そして、魂なる本源を消費する。
「他人が、笑うかも知れん。と。くらい気にして、いつも、クヨクヨ思うままをなし得ないことではならぬ。他人に迷惑をかけることは良くないが、さもない場合、バカげた理由の為に自己を殺している人々は近頃ずいぶん多い。
なんでもないことを独り気をもんだり、遠慮したりしていては、まるで、この世へなんのために生まれさせられたのか分からなくなる。
各自異なった使命をもって生まれているのであるから、各自全力をあげて、良い意味の自己完成をなしたら、それで神も、ご満足、当人の使命をはずかしめなかったというものだ。」
人とは独りでは生きていけない。
故に社会を形成し、相互互譲なる道が生まれる。
助け合い、人を羨み妬み、毀誉褒貶するが、人類の歴史でもある。
この人類の歴史に於いて、自己の使命、役割を覚る人は非情に少ないのである。
出口日出麿さんを初めて知ったのは、大本教による出版、「神仙の人、出口日出麿」です。
今から三十年前、当時、高校生であった、私は、目から鱗が飛び散るほど、感激感動し、読みました。
多く観
良く観
多く聞き
良く聞き
多くかぎ
よくかぎ
多く味わい
よく味わい
多く触れ
よく触れ
多く思い
よく思い
もって悟るよりほかに手はない。
幼少より発達障害者である私は、詞に感動しないが、この詞を然りと感涙した記憶があります。ははは。今から、三十年前も前の話し。
出口日出麿さんは、吾が師、至聖先天老祖より、笹目秀和さんと同じく、特命なる道名を賜り、「運霊」とされる。
霊を普遍に運行されるの意。霊とは一般の人の考える幽霊の霊とは別物の意味であり
、漢語辞典を開けば、神の体を表すなり。
ワールドメイトの深見東洲氏は出口日出麿さんと、面会したことが在るらしい。彼の師の独りであった、根本宏、道名は、誠乾師から、聞きました。深見氏は、日出麿さんは神仙であると述べられていたとか。
「老祖訓。…………………運霊(出口日出麿)を派して大和中央主院の責任宣霊統掌と為す。即日、職に就くべし。…………各々知りて遵え。
運霊の生まれは由って来る所あり。尋仁(出口王仁三郎)を継いで大同の法要を世界に如く者である。汝の負う責任は甚だ重大である。然も、尋仁は基を固むる時代を為し、汝は展開の時期を為す。
基を固むるは、固むるは、困難であると言えども、その実は至って容易である。展進は容易であると言えども、その実は困難である。何故ならば、基を固むる時は堅忍して信じ守れば、宜しいのであるけれども、開展に至ってはこれと大いに異なる。
必ず、時代の潮流にしたがって人心の趨勢(なりゆき)に合し、道の自然を以て人心についてこれを正し、道の平易を以て人心について、これを導く、しかる後に、世界大同の真境が出現し得るのである。
若しそうならなかったならば、我の唱える所を以て、世界宗教を統一し得るであろうか。時代は、既に同じからず。宗教また、背くものと従うもの有り。人心も並に反対するものと賛成するもの有り。
これを大にして、包まざるなき、中道を以て、世界各教の宗(とうと)ぶ、所を集めて、研究するのでなければ、宗教門徒の見解と道徳境域の区別を化(みちび)き除くことは出来ないのものである。
これ、大道が仏教と和し、回教(イスラム)と和し、道教と和し、耶蘇教(キリスト)と和し、儒教と和して、共にその精微なる奥義を参解(りかい)し、以て世界人類の互愛、互善、大楽の本と為す所以である。
汝は既に道運を継承し、ここに霊化を宣揚する以上、必ず、まさに眼光を四海に放って、以て大同の妙機を悟り、知恵を人類に着(あた)えて、大道の玄諦を悟るべきである。運霊、つぶさに之を悟るを可(よし)とするのみ。」
吾が師は、日出麿さんにかなり期待をされておられました。
しかし残念ながら、第二次大本弾圧により、精神が狂うほどの拷問を請けられた。
何とか出口日出麿さんに復活して頂きたいと考える人は、香港のフーチの壇で治す方法を呈判したらしいのですが、運霊は、既に正気を喪っており、云々と根本誠乾さんから、聞いたことがあります。
ある人は神仙の世界に入っておられる。
片方は、もはや、正気を失っておられる。
ここで私は思考する。人間にとって、本質は、身魂。魂と肉体があり、初めて神人合一する。
魂と肉体の使命を遂げて完成する。
故に出口王仁三郎聖師は、人を殺すなよ。殺すなら、殺されよと。
おそらく、人を殺す事は、途方もない、カルマを背負わせられる。
当然に自分殺しも同様である。
殺されるだけならば、神はその四魂を救うなり。
無邪気なる子供ごころに神さまとおすがり申すが宜しかりけり。
神さまのあることだけが分かりたら安心立命はできるなりけり。
吾(わが)ための吾にあらで神さまの心のままの吾にてありけり。
真に神を信ずる者は、真に神を相手としてのみ行動している。ゆえに、どんな場合にでも、感謝があり、希望があり、安心がある。
しかるに、神を信ぜざる者は、つねに自己の利害を基本としてのみ行動している。ゆえに、おうおうつまずき、焦慮し、絶望する。
世に神を信ずると称している人々は多いが、真に神を信じている人は少ない。
私は毎日神さまのことで頭が一杯だ
世間の人が聞いたらフフンと笑うだろう
神さまより外に頼るべきものはないと
いよいよますます思うてやまない
神さまは私には在る
見える
聞こえる
感じるのだ
昔の私には神さまはなかった
見えず
聞こえず
感じなかった。
bye出口日出麿。