玄徳道

道を語るブログです。

龍宮水火土(しほつち)伝授日の出世開きΘ三六九神示20

2017-07-17 05:11:03 | 神示道
平成丙申二十八年一月二日

潮(しほ)の八百道(やほじ)の八潮道(やしほじ)の、八重雲(やえぐも)分けて登る日や、天照国照日の出神、現(あ)れます時と鳴り成りぬ、男島女島は神の島、国常立大神の、裏に隠れて三千年、炒りたる豆に花の咲き、時節を待ちて神議(かむはか)り、梅(埋)で開いてその道は、竹の節をば打ち越えて、常磐(ときは)の松の深緑、松で治むる三六九(みろく)世を、開かんとする願いなり、裏に隠れた神々は、艱難辛苦堪へ偲び、体主霊従(からたま)の世を荒びたる、現(こ)の世の立て替え立て直し、美(うま)し御国を開かんと、仕組み議(はか)りて時待ちぬ、瀬織津姫の織なせる、神の奇路(くしろ)を括(くく)るのは、白山比売の神の業(わざ)、括り結びて鳴り成らせ、色つけ形に現わすは、丹生都(にぶつ)の神と言うならむ、さあさあ幕は開けたり、猿田の神は道開き、思凝霊(しこりがみ)等の荒ぶりに、道義礼節うち忘れ、乱る現(こ)の世を立て直し、神人和樂の美(うま)し国、地上天国開くなり、梅の花とは埋めの花、神武以来三千年、埋もれし神の御現(みあ)れぞよ、世の下積となりはてし、真(まこと)の神民興すぞよ、さあ明けそめし申(さる)の年、申(しん)は震(しん)と申すぞよ。
裏が表に出る道は、やむえず荒事(現事)あるものぞ、高山低山の末に、世の元の神現れて、龍神眷属引きつれて、思凝霊(しこりがみ)と大戦(おおいくさ)、始まり時とめぐりたり、されぞ良く良く心せよ、神武以来三千年、現(こ)の世を自在にいたしたる、神や人民いかにせん、打ち負かすにはあらずして、神剣言霊うち振るい、言向け和(やわ)すが神の業(わざ)、仇討ちいたすは繰り返す、その理をしかと心得て、赤白結べば桃となる、裏と表を結ぶ世や、梅は咲いたか桜はまだか、桃の花咲き実みのる、霊体結びの天国を、松(まつ)が神の心なり、鬼神も泣かすは誠心(まごころ)ぞ、清き明るき誠こそ、日の出の心と言うならむ、叢雲かかる奈良の月、月は満つとも欠けるとも、たとえ大地は裂けるとも、誠心(まことごころ)ぞ世を救う。
日本の国は大和(だいわ)なり、大和の元は誠心(まごころ)ぞ、誠心は言霊ぞ、仇なすものにも恩をもて、報いる日本精神(やまとごころ)をば、夢忘れるなよ神民よ、神の通い路橋立の、内外の波の穏やかに、治まる御世を松の風、拝金主義の経済の、網におおわる世界なり、その奥にある神々の、神氣を結ぶ奇路(くしろ•串路)道、神氣織為す瀬織津の、神の経綸知るまでは、世を治まる事はなし、神に生かさる人の世ぞ、梅で開いて竹の節、越えて松の御世となる、松の四九三(しぐみ)は橋立ぞ、男島女島か元と言う、真名井ヶ原の御地場より、世を立て替え立て直す、国常立の大神の四九三(しぐみ)現す申(さる)の年、拍子木の音軽やかに、大芝居の幕開けぞ、三千世界を立て直す、神の四九三(しぐみ)を知る者は、如何なる荒事あるとても、でんと腹すえ落ちつきて、世の流れをば見ておれよ、荒事あるは、現事(あらごと•新事)ぞ、乱れ荒げる現世(うつしよ)を、立て直しゆく神の業(わざ )、新しき世の始まりを、祝い寿(こと)ほぐ神心、塩土翁(しほつちおきな)筆を取り、申の御歳の年始め、嗚呼惟神惟神(ああかんながらかんながら)。

登る日の出もさわやかに、明けそめにける申の年、籠(こもり)の扉打ち開き、天照国照日の出神の御現れの時とめぐりたぞよ。
天の御影、日の御影と現れむ、思凝霊(しこりがみ)や利己主義(われよし)の人民の荒ぶる世界を、息吹き清めむと、荒神(あらがみ)の嵐吹くとも、神界の四九三(しぐみ)ある事知る者は、うろたえ騒ぐ事無く、でんと腹をすえ、神の分かれの御魂の生宮である事自覚、新たに神の道に仕うべし。
結びて開く道なる事を、心得て歩むべし。
鈴を振りつつ猿田彦、導きの役といで立つぞ。
世の元の神々裏に、隠れて議(はか)り議(はか)りし、神四九三(かみしぐみ)、如何なる苦心あるとても、その末に、神人和楽の世をば開かん。   ン

天橋道士龍華斎 修聖拝写

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龍宮水火土(しほつち)伝授日の出世開きΘ三六九神示19

2017-07-15 23:27:33 | 神示道
この日の本の国は、昔より日出る国と申してあるぞよ。
天照国照日の出の神が治め、龍宮界の神々がぐるりと海でとり囲み守りて来たのであるぞ。
龍宮界の守りありてこそ、今日まで日本の国は続きて来たのであるぞ。
陸(あげ)の滝津速川(たぎつはやかわ)の瀬には、瀬織津比売の神と現れ
、大海原に於いては、龍宮の乙姫と名を変へて守りてまいりたが、思凝霊(しこりがみ)等は、あまりにも、その力の強さを恐れて、相謀り、艮の金神と同じく、海底深く封じ込められ、陸に於いては、瀬織津比売の神は、艮の早池峰の山に、菊理比売(くくりひめ)は、白山山頂に封じ込まれておりたのであるぞ。
艮の金神国常立大神は、落とされ封じられても、陰から世の守護をいたした如く、龍宮界も陰から世を守りて、この日本が世界平和の要(かなめ)の国となる事を願いて来たのであるぞ。
封じられて来た、世の元からの神々を世に御出しいたす、岩戸開きの先掛けの御用をいたした、丹波の大本教も、龍宮界の差し添えあってこそ、出来た事であるぞよ。
それ故、丹波綾部の大本教も始めは、龍宮館、又、龍門館と申してありたぞよ。
昭和五十二年六月二十七日、綾部大本の金龍海で、出口直殿、龍宮の乙姫の姿で現れ、筆先一巻、修聖に渡したのも、その証しであるぞよ。
昭和五十四年七月一日(旧六月八日)、男島女島や中津神岩の神業にて、龍宮界の一の岩戸は開きはなたれ、龍宮界も表の守護となりたのであるぞ。
それ故、天照国照日の出神の鎮まる、籠宮の扉も開け、天橋立真名井ヶ原に、因縁の身魂が集う時節とめぐりたのであるぞ。男島女島中津神の岩から受けた、三組の神石の一組は、真名井の磐座へ鎮め、一組は但馬の来日岳(五六七川)へ鎮め、後の一組は、昭和五十四年八月十八日、岡山笠岡の大元教の神集の宮へ鎮めさせたが、この日が修聖三十六才九ヶ月(三六九)の日でありて、但馬豊岡、光之道から追放される密議は、岡山行きの留守中になされたのであるぞ。
昭和五十四年七月一日の神業は、但馬豊岡での御用に一区切りをつけ、丹後へ修聖を帰らせる切り替えの大事な神業であり、人民には、判らねど神は、先々を見て、一分一厘狂わぬ仕組みをいたして居るのであるぞよ。
歩む道は、それぞれ、悲喜こもごもであるが、皆、その身魂の通らねばならぬ道であり、大事な事は、如何なる時も、義を忘れぬ事であるぞよ。
それさえあれば、次の道の開きとなるぞよ。

扨ても、神々はその働き働きによりて名を変えてあるが、海には龍宮、陸(あげ)には、瀬織津比売の早池峰山の岩戸は、この度の台風十号によりて、開きはなたれたのであるぞ。
これまでも、陰に隠れて因縁の者に憑りて働きたが、次第に表に現れて働くぞよ。
瀬織津比売神は、宗像の神とも現れて居るのであるぞ。
表は、穏やかな女神でありても気性は男に負けぬ強さがあるぞよ。
それ故封じられて居りたのであるが、次第に世の表に現れて世の流れを変える神力を表すぞよ。
三千年前、国常立大神は艮(うしとら)の方に封じ込まれ、それ故、
艮(うしとら)の金神と申してあるが、何度も申す如く、三千年前とは、縄文時代から弥生時代への替わり目であるぞよ。
縄文時代は、天地の神の祭礼を要として、皆で恵みを分け合う、相互扶助の世でありて、母性で治める穏やかな和の世でありたが、三千年前から、渡来民や、外国の神も日本に入りて、次第に貧富の差が出来、生殺与奪の強い者勝ちの世となりて、時の体制に逆らう、神も人民も権力を持つ者が封じ込めたのであるが、如何に権力のある者も、世の元からの神々の厳しき祟りを恐れて、祭りてまいりたが、祟らぬように荒れぬようにの、封じ込めの祭りでありたぞよ。
生殺与奪、力の強い者が自在にする世の中は、三千年続きてまいりたが、昭和二十年の敗戦が、大きな岩戸開きとなり、人民にも自由の世が来たのであるが、人民は物や金に恵まれ、腑ぬけとなり平和惚けも良いところの今日であるから、○(まる)に・(てん)と性根を入れるのは、真に難渋な事であるぞよ。
神界の経綸は、新しき五八十(岩戸)開きの時代となり、国常立大神の下(もと)へ、まず龍宮界の因縁の身魂が集い、未だ御出ましで無い神々の岩戸開きの五用(ごよう)に仕へさせてある今日であり、封印されて居りた神理が、次第に明らかとなり、思凝霊(しこりがみ)が我が身等の都合の良いように、自在にして来た、三千年の贋(にせ)仕組みが崩れ偽りの歴史がはげ落ちる、時代となりたのであるぞ。
何時までも、生殺与奪の弥生以来の強い者勝ちの精神が、続きては、世が持たぬから、これからは、それぞれ身魂の使命を果たしつつ、相互扶助の世の元からの四九三(しぐみ)に返してまつらねばならぬのであるぞ。
〇九十(まこと・誠)と言う事は、〇(れい・ぜろ)から始まりて、一から十の道が始まるのである。〇(れい・ぜろ)とは無でも、空でも無く、その中に、総てを生み出す、源(もと)が四九三(しぐみ)であるぞよ。
どうにもならぬようになりて、〇(ぜろ)と思うか、終わりと思うか、そこから新しき道の始まりとなるのじゃぞ。
さあ、義の無きところには、真の神は現れぬぞ。義を守る、素直な心になりたら〇(みたま•れい)から神智妙智が湧きて新しき道へ導かれてゆくのでえるぞ。さあ、九月八日は大事な日と申してあるぞ。
明くれば、九九理(くくり)の節であるぞ…龍宮界の神氣強くなるぞよ。世界に荒事見せるぞよ。

仁義禮智

言霊神也



平成二十八年九月八日 天橋道士龍華斎 修聖拝写
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龍宮水火土伝授日の出世開きΘ三六九神示18

2017-07-07 19:10:56 | 神示道
平成二十七年八月二十一日

二十日は、旧七月七日、七夕でありたぞ。今回は己巳(つちのとみ)の日、弁財天に縁の日と申してあるぞ。新の七月七日から、祀らせてありた、福島弁天の軸は、今日納めれば良いぞ。七月七日は、天に鳴(七)り地に成(七)る、天地結びの日であるぞ。
代の立て替え立て直しの先駆けは、天を海に写す、大海の龍宮界の五用であるぞ。龍宮界の活動、一段と活発になりてまいるぞ。   ン

八月三十一日

Θ(かみ)は万物普遍の霊と申してあるぞ。
天地自然森羅万象、人は更なり万物に体と現し、御霊(みたま)を鎮め生命を込め、特性を授けてあるぞよ。
大元(たいげん)の神の霊力体(ちから
)をもって鳴り成らせてある大宇宙であるぞよ。高天原の八百万(やほよろず)の神々は、それぞれ、職掌が異なり、それによりて、天地自然の創造化育、運行を司るのであるぞ。
普通、神の姿は、人の肉眼では見えぬが、天象地象に神は現れ、天地自然森羅万象、ことごとくに、霊妙不可思議なる、神の霊力体(すがた・ひかり)を見せてあるぞよ。
神々は、時に男神、女神、翁、媼、童子、童女、龍体、様々の動物の姿とも変化して、霊感ある者に見せるのであるぞ。
又、龍雲、水紋にも神氣を写して見せる事もあるぞ。
思凝霊(しこりがみ)は人間の想念界に在るぞ。
人の身は、龍体よりおこり、その肉体を生宮として、八百万の神々が御霊(みたま)を分けて鎮め、現の世の営みをさせてあるぞよ。
肉体にも自己を守る為の霊あり、自我や欲がそれであり、魄とも申すぞよ。
人によりて特技特性職業が異なるのは、御魂の違いによるものであり、八百万の神の働きによるものであるが、悪事を為す如きは、自我や欲や、憑依する霊の働きであるぞよ。
現の世に人を生みたるは、高天原に成るが如く、地上に天国を開く為であるぞ。
地上界には、神氣を通す、串路(くしろ・奇路)の道(龍脈)を張りめぐらせ、その串路を織り為すのが、瀬織津姫の神の働きであるぞよ。
神線串路の要(かなめ)の地場には、神宮を祀らせ、神氣を降し、世を守りてあるぞよ。されど、宮無き、御空や、海山河野あまねく、神の霊光の生命は充ち満ちて、人の身も万物に生かされてある事を、忘れてはならぬのが、人の道の要であるぞよ。
縄文の時代は、自然と言う言葉は無く、総てが神であり、神の祭りが人の営みの要でありたぞよ。
次第に人知が益し、学が進み、今の人民は、自然と神と分けて考え、物質文明の隆盛によりて、自然を汚し穢し破壊いたしておるが、即ち神々を下敷きの文明であり、このままでありたら、神は滅びぬが、人の住めぬ地球となりてしまうから、神は氣をもむところであるぞよ。
神界は体なる自然の運行の力を使いて(龍神)世の浄化を急ぎ、様々の警告といたして居るのであるが、人の世の、営みにつきては、体を持つ人間の改心が無ければ、霊なる神の意は実らず、立て替え立て直しも遅れるばかりであるぞよ。されど何時までも人民の自在にしておけぬ。
御魂の目の開けた者を神柱と立てて、真実の事を宣らせ、月の神、時の流れを司り、神人結びの力で世を立て直してまいるぞよ。
未申と節を迎へ、これからが、真に大望な時節のめぐりであるぞ。
現の世は、身魂磨きの世で、それぞれ、苦労もあれど、心ある者は、神理(真理)を見つめて、神業に生業に、五用を励みてくれよ。 



九月二十日

九月九日の節を越え、いよいよ、日本も戦争の出来る国となりたぞよ。大きな試練の始まりであるぞ。
アメリカの手先となり、犬となり、危ない道を踏み出したのであるぞ。
神界で無く、思凝霊(しこりがみ)や上に立つ人民の決めた事じゃ。
人民平和惚けの目を醒まし、先の大戦の辛く悲しかった事をかえり見て、平和の大事をかみしめねばならぬぞよ。
アメリカと一口に申しても、善と悪の働きがあるのじゃぞ。
日本を飼い犬の如く手なずけて、手先に使い、世界を自在にせんとする野望にまんまと、乗せられたのであるが、何とか日本を守り世界平和の鑑(かがみ)の国と残したいと願う者等も、アメリカの中にはあるのじゃぞ…綾に織りなす神仕組み、これからが、まこと大芝居の始まりであるぞよ。
人民等が危い道へ、踏み出しても、何としても、神界は、この日本の国を守らねばならぬのじゃ…この国に、神界の仕組みを写し実らせる。
フトマニ奇路(くしろ・串路)の要の事が秘めてあるのじゃ。
龍宮の玉手箱とも申す。
その事を守らねばならぬのじゃ。
日本がつぶれては、世界もつぶれるのであるぞ。
世界中に張りめぐらせてある神の生命、神氣の道(太占奇路)の要が、白山菊理比売の神であり、その神線を織り為すのが、瀬織津姫の神であるぞ。
網の目の如く世界に、張りめぐらせてある、神氣、神光りありてこそ、人の世の営みもあるのであるぞ。 
如何に人知人力を振るうとも、神線串路、崩れては、根を切りた花の如く、現の世は枯れてしまうのであるぞ。その事しかとしかと肝に命じておかねばならぬぞ。
扨て今日の日は、旧暦の八月八日。八は龍宮の数と申してあるぞ。
新しき日本の始まりとなりた今日は、これから日本を守る神々の縁(ゆか)りの者を集へて、大事な五用をさせる日であるぞ。
神業も新しき一歩であるぞ。
神戸は、世界に開く神の戸の意。平成七年一月十七日の阪神大震災が瀬織津姫神を秘めおきた、神の戸開きの始めとなりておるが、この度は、六甲、石の宝殿に、白山菊理比売の神、現れて五用であるぞ。
何としても、この日本を守らねばならぬのじゃ。
瀬織津姫の神も、丹生都比売神も現れて、新しき神業(かむわざ)の始まりであるぞ。
思凝霊の荒ぶりに任せておけぬぞ。
龍宮界を先頭に、神霊界は、思凝霊との戦の始まりであるぞ。   ン

天橋道士龍華斎 修聖拝写
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龍宮水火土伝授日の出世開きΘ三六九神示17

2017-07-05 19:11:53 | 神示道
今日は、三月の八日であるぞ。三と八は、現(こ[九])の世を開いた元の数出あるぞ。
三元八力(さんげんはちりき)とも申すぞ。
今日は、尾張にて、大事な、四九三(しぐみ)開きの日。
尾張!(終わり)なり始めなる、奇しき日であるぞ。
乱れ荒(さや)ぎなす世を祓い浄め、闇(病)を晴らし、清く明るき、日の出の御世を開かんとする為、世の元からの神が一段と表に出る時となりたぞよ。

三千世界一度に開く梅(埋)の花の世となりたぞよ。世の元からの神々、即ち埋(梅)の花が、表に出ると。
これ迄、闇に隠されておりた、罪や穢れが、どっと世に出てありやかに見えてくるから、世の中、程ほど、悪くなるように見えてくるが、この節(ふし)を越さねば、善き世とは成らんのであるぞよ。
先の大戦で、あれだけ辛く悲しく虚しき体験を日本人にさせたのは、戦い疲れて、末に滅びの道を歩まんとする、世界人類に、二度と戦争はさせぬ国、世界平和の鑑(かがみ)を出す、日の本の国といたし、世界の闇をこの、日の出の国、日本から晴らして参りたい、神界の願いでありたぞよ。
あの大禊ぎの敗戦の折り、天皇も国民も、神に不戦を誓いたのであれど、国民の根底からの改心は、出来ておらず、禊ぎ切れなんだ。
金力や武力で世界に出んとする、野望がくすぶり始めた、この時であるぞ。
よほど、日本の人民、心して初志を忘れぬようにいたさぬと、又、危うき道を歩む事となるぞよ。
御偉方のたくみな言葉に惑わされてはならぬぞよ。
扨ても人の身は、我が力で生きていると思いても、天地の神に生かされてある、生命であるぞ。
生かされ活きてゆく勇気を、奮い起こして、人の道も立つのであるぞ。
生かされ活きる事に、感謝して祈り重ねば、神は威を益し神徳を増すのが、神は霊、人は体なる、霊体一致の理であるぞ。
神は、人を守り正しき道に導かんとすれども、人の肉体の霊には、自我があり、欲があるから、どうしても、我が我がの利己主義(われよし)の思いが先に立ち、親神や直霊(なほひ)の御魂の明るく浄く正しき直(なお)き思いは、押し込められて、争いを生み、その念が凝りて戦争ともなるのであるぞ。
荒ぶる心を鎮め、祈りの中に、良く良く物事を見れば、何処にでも神の恵み、喜びがある事が判るぞよ。
人の身の悩み苦しみも、天地自然の理の中にあり、御空は晴ればかりで無く、雲起こり雨の日もある…人の心も、時に氣が沈み、悩み苦しみ、悲しみ、涙の出る事もある…雨降って地固まり、水の恵みに万物の育つが如く、人の身も、只、強がり意地張りで無く、悩みや苦しみ悲しさ淋しさ、弱き心を知る事で、共生の道も開け、うるおいある人と、成長出来るのであるぞ。 
悩み苦しみある時は、身魂が一皮むけて成長いたす時であり、その時は焦ってはならぬ、もがいてはならぬ、心を鎮め落ちつきて、神の心に身を任せ、今なとすべき、日々のつとめを果たす事であるぞ。
時の流れに神の計りあり、必ず嵐は去り、夜のとばりも開けて、日の出の朝となる。
辛い時、悲しき時も忘れてならぬのは、ほのぼのと、日の出心じゃ。
様々の苦労は、我が身の因縁の浄化と、成長の為にあるのであり、苦労して、人をうらんだり、我が身を卑下する如きでは、無明は晴れず、成長はできぬぞよ。
今人類の中には、差別や貧困に困窮し、反発の暴挙に出て、世界を恐怖の淵に落とし入れんとする族(やから)が増えて居るが、この思凝霊(しこりがみ)の働きも、強い者勝ちの三千年の、人の世の過ちが生んだものである事に氣ずかねば、根は絶へぬぞ。
世界には、神道、佛教、儒教、キリスト教、イスラム教様々の宗教があり、それぞれ説くところは、異なるようであって、元は一道。
天地御親(あめつちみおや)の神の一部一部を教祖開祖をして、人の世に現したものであり、天地大元の神は宗教思想を越へて万民平等に生命が授けてある理をしかと見極め、宗教の思想を、鉾(ほこ)とし楯(たて)とし、争う事の虚しさを知り、教祖開祖を信ずるなれば、宗教思想を越へて、生命の道、大元の神の意(こころ)に帰らねばならぬぞよ。
今人類は、三千年の体主霊従(からたま)の世の大禊ぎの時となりておる。故に、是までの世に無い、苦渋の節(ふし)も越えねばならぬが、天地自然の鑑(かがみ)に、照らし、苦あれば楽あり、禍(わざわい)の転じて福と為す道に順(したが)い、神も望み、人類それぞれも本心(御魂)は望んで居る、万民至福の世の開きを祈り、行いを正してゆかねばならぬ、この時であるぞよ。
出口王仁三郎殿の作りた、耀琮(ようわん[茶碗])も、真、美(うる)わしき世を開かんとする、神々の御魂の器(うつわ)となる、神民の育成を願っての事である事を忘れてはならぬぞ。
人の生きてゆく為には、様々の苦労もあり、辛い事悲しい事もある、されど、生かされてあるからには、何人も、未だ身魂の役目がある事を忘れず、勇気を出して、生き通さねばならぬぞよ。
常に、見直し聞き直し宣直す、心得が日の本の神代からの道の心得であるぞ。この心を皆が持ち、虚しき戦争を事止めて共存共生世界、大和の道を開くべく、何としても、世界平和の要(かなめ)の国、日本の信用を取りもどし、日本も世界も末永く続く事を、願う神の意(こころ)であるぞよ。

言霊神也



平成二十七年三月八日 天橋道士龍華斎 修聖拝写
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龍宮水火土伝授日の出世開きΘ三六九神示15

2017-07-04 00:15:13 | 神示道
始めも終わりも無き大宇宙。その中に悠久の時の流れがあり、大元の神(Θ)は時の流れに、神魯岐、神魯美の渦を巻かせ、霊と産み体を産み現(うつ)し世を鳴り成らせたのであるぞ。神魯岐の命(神言みこと)を高皇産霊神といい、神魯美命(神言みこと)を神皇産霊神と申してあるぞよ。
神魯岐、神魯美の言霊の渦によりて鳴り成らせた現の世であり、産霊(むすび)と言う事は、平穏やかな響きであれど宇宙は、大爆発を繰り返しながら、産霊(むすび)の神業を進めて無数の星を始め、この地球も成た如く、産霊と言う事は厳しい事でもあり、新らしき生命を生みだす産霊(むすび)の折りは、大爆発の荒事もあるぞよ。
陰陽の電気も結びによりて光りが出るが、火花も散るぞよ。
この地球を産みなした渦の氣は龍体となり、万物を鳴り成らせたのであり、人の身も龍体の変化であり海から陸へ上がりたのであるぞ。
龍体の氣は荒きものでもある故に、神の神霊(みたま)を分けて鎮めた人の身と申せ、我が身を守る、自我や欲(自己保全の本能)は、誰も強く荒々しきものであり、自我や欲が固い思凝りとなれば岩戸の如く、真の清き身魂を押し込めて、神も佛(ほとけ)も人の道の義も判らぬようになりて、自分勝手に思凝霊(しこりがみ)をつくりてしまうのであるぞ。
扨ても、この地球、爆発より成りた、名残の火の氣が中にありて、今でも爆発せんとするのをぐるりと、海の水で囲みて、火の氣を鎮め、調和をとりて万物の生命をはぐくみてあるぞよ。
扨ても年明けて、男島女島(おしまめしま)に昇る日、清清に白雪輝き、未の年の始まりたなれど、未の年は、火の氣が強いから注意いたさねばならぬぞよ。
時の流れのその中に渦を巻かせ、爆発を繰りかえし、日月星辰を成らせ、龍体より人の身を成らせ、それぞれに、八百万の神の神霊(みたま)を分けて鎮め、高天原に成るが如く、地上の天国を人の身魂をして造るのが、大元の神の元初の願いであり、今も変わらぬ願いであれど宇宙は、爆発によりて成りたが如く、その氣は人の世にもあり、人の世は、破壊と建設を繰り返してゆく歴史の流れであり、宇宙の爆発の如く、幾度も戦争をくり返し、言うに言われん、辛い悲しい思いをさせて、争いの辛さ虚しさを体験させ、身魂を磨かせ、神の元初(はじめ)の意(おも)いを実らせんとして来たなれど、仲々人間の思凝りの岩戸は固く、真(まこと)の御魂の光りが出ず、少し善い事を積んでもすぐ崩してしまう、賽の河原の石積の世であるから…又、やむえず立て替え(破壊)の荒事の節を越えねばならぬ事となるのであるぞよ。
治まらぬ世の流れの中にも、神界は伊勢は日、出雲は月とその結びを、菊理姫(くくりひめ)の神の仲立ちに、平成二十五年に成らせ、人間の利己主義(われよし)の思凝りの岩戸を打ち開き、世界恒久平和成る、日月地(みろく)の世を開き氣を一段と強く、この地球に息吹き込まんとする、神界の神業であるぞよ。
ひつじの年は日月地(ひつじ)の年とも申せるのでありて、新しき始まりの年であるぞよ。 
人類に任せてあるこの地球であるから、大きな破壊のある前に改心なし、早く、辛く悲しく虚しき戦争を止めて、真の結びの道を開けよと神界は願いておるぞよ。
人の世の始めは、神の恵みを皆、分けおうて暮らす穏やかな世でありたが、今の世は、金が物を動かし世界を動かす経済(しぐみ)となりて、万民、金が無ければ暮らせぬ世の中であるが、この金の経済を金毛九尾の思凝霊(あくがみ)が自在にいたせば一部の者は恵まれても、万民は困窮いたし、金で開いて金で潰れる世となりてしまうぞよ。
されど、金毛九尾の思凝霊(しこりがみ)であるから、世の元からの神の力が強くなり、人民が誠の道に改心いたせば次第に消えるのであるぞ。
元々、財宝は、龍宮乙姫が持ち、金勝要神(きんかつかねのかみ)が経済を司りておりたのであり、その昔、金勝要の神は、廁の底に落とされて苦労いたし、八岐大蛇や金毛九尾の自在の世となりておりたが、今は浮かび上りておるぞよ。日本の神の名で、奇稲田姫(くしいなだひめ)と申すぞよ。
素盞鳴尊に助けられた、金勝要(きんかつかね)の神が、経済を司どれば、世立て直しの為に金が活きてはたらき、万民に運、不運なく金がめぐるようになりて、皆勇んで暮らす世となるぞよ。
されど、是は大望の事であり、未だ未だ時がかかるぞよ。
扨ても、昔から美濃尾張(みのおわり)の仕組みと申してあるが、是は、旧(ふる)き世を新しく立て直す、仕組みであり、昔で申せば、戦国の世を終わらせる仕組みでありたぞよ。尾張(終わり)が始めとなるのであるからこの年は、素盞鳴尊(すさのうのみこと)は尾張ではたらき初めであるぞよ。尾張の戸を開き三千世界に梅(埋)の花咲く四九三(しぐみ)の始めであるぞよ。
梅が開くと申すのは、埋めの花が開く事でありて、埋もれて居りた、真(まこと)の神や人民の御魂が浮かび上がりて、光りだす事であるぞよ。
是まで、神業にめぐらせて岩戸(五八十)開きの出来たところからは、世の立て直しの因縁の者が現れてまいるぞよ。これからが、大望の時代でありて、金や武力を、ふりかざす、強い者勝ちのやり方では、この地球も爆発いたすから、世界の人類が生命の源の神の祭礼(まつり)を大切に、恵みは皆で分けあうやり方に舵(かじ)を切らねばならぬ時に到りたぞよ。
それが龍宮の生命幸倍(いのちさきは)いの仕組みであり、金勝要神の経済(しぐみ)であるぞよ。
世界人類、金よ武力よと戦い、戦い疲れる迄に、足(たる)を知り分を知り人の道の義を守り、世界恒久平和(みろくのよ)の道を開かねばならぬぞよ。

知足安分

言霊神也



平成乙未二十七年一月九日 天橋道士龍華斎 修聖拝写
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