呂霊麳神仙と笹目仙人との出会いは、若き笹目秀和老人が中国大陸にシャーマニズムの研究に来られたのが出会いのようです。時は大正の時代です。師命を受けた道士が面識も無い、笹目秀和さんを見いだし、神仙の坐す白頭山、天池に案内されました。
当時、満州王 張作霖も内外の状勢に苦慮されていたようで、それに対処すべく、人知を超えた力の存在を借りようとしました。そこで、天池のふもとに住まい、三世通観の仙術を持ち、ありとあらゆる事象を見通し、虫けら一匹の動きですら感化されていると言う、齢200歳の呂霊麳神仙を招聘されました。満州王は最高の客殿に丁寧に案内し、一夜を神仙一行は過ごされました。しかし、朝食後、呂霊麳神仙のみが、お供の道士 三人を残したまま、いなくなりました。満州王の従者は驚き、城中くまなく探されましたが見つかりません。三日後にお供の道士が恐る恐る、申し出ました。「老仙師は既に山に帰っておられます。」そこで、満州王の従者はあわてて、道士三人に道案内をさせ、白頭山に登ったところ、呂霊麳神仙は天池を眺める巌頭の坐し、笑って長髯をしごいていたそうです。汽車や馬車に乗ったこともなく、お金を持っていない神仙がどうしてあの交通不便な山上に帰って行けたのか、とても不思議であったそうです。
神仙は衣類は一着で擦り切れ、着れなくなるまで着るそうです。食べ物は山中にある木の実だけを食されるようです。
人との会話は民族の言葉が違っても霊的通話で、話されるので、笹目秀和さんが日本語でしゃべり呂霊麳神仙が満州語で話しても意味が不思議と通じたようです。三千年来の秀和老人と天池との因縁、きたるべき、天地部判に際しての任務を説き、そして、十年後、崑崙山の齢400歳の疎勒神仙に教えを受けるように述べられました。
笹目仙人が崑崙山に行かれる前に大本教に行かれました。大本弾圧の三日前です。そこで出口王仁三郎聖師、日出麿さんに会われています。
「御苦労さんやなあ、笹目さん。今度の神業は、わたしに代わって行くんやさかい、しっかり頼みまっせ。」「ほうそうですか、聖師様、それにしても難儀が多すぎませんか。」「あんた、霊界物語をしっかりよんだようやなあ。あの○巻の仕組みやさかえ難儀は避けられやへん。今夜は、日出麿との出会いが必要でっせ、崑崙山にお鎮まり願う御神体は、夜半に勧請しておきますさかい、ゆっくり休まれて明朝きておくれやす。」
日出麿師の住居を訪れると、「待ってましたがな、笹目さん。早くおあがりやす。奉天では、えらい目に遭うたなあ、あんたの避けられない消刧だからやむを得ないね。」「白頭山系の白狐で、元は壇君にお仕えしていたそうですから、妥協すべきでしたか。」「いやいや、妥協はゆるされないね。初めは従順であっても、やがて反旗を翻す素質をもっているから、初めから避けた方が賢明だったと思いますよ。」「霊線を断つために思いきっていったん帰国して、百日の行をやってみましたが、これでよかったですかね。」「あの白孤の執念の後遺症はまだあるが、まあそれで一応白孤との因縁は切れたでしょうが、西北の天地は暗雲低迷していて、御神業の展開は容易ではない。けれども、あなたを於いて他に任務を遂行しえる存在は見あたらないから、あえて、棘の道を押し進んでもらうよりほかはないですね。要は崑崙山中に大本神業の礎石を埋めてくることです。主神は、あなたに絶大な期待をかけておられますから自重して下さい。やがて、地球の裏表がひっくり返るような時が来ると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないとも限らないからね。あっははは。」
笹目秀和さんも不安があったのでしょうか、日出麿さんに尋ねました。「白頭山の呂霊麳仙師のお告げには、寸毫の誤りもないのでしょうか。」日出麿さんは「あの仙師は素尊の御代様として、地上に降臨しておられ、一切の俗を離れておられる方ですから、言語動作の上に寸毫の過誤も認められない事を証言します。」
ここにおいて、出口日出麿、運霊さんの霊覚、覚神の度合いが、ずば抜けているのが伺えます。至聖先天老祖も運霊(日出麿さん)の役目は仁尋(出口聖師)以上に難しいものだとし、大道発展のためにとても期待されておられました。老祖は吾に代わり一切を指示せよと、述べられたほどです。大本弾圧の拷問さえなければ輝かしい大神人と成られたのにと残念に思います。
「笹目さん。これが大本の御神体どす。崑崙の神仙があなたの来訪をまっておるずやから、その案内に従いその指示する所にこのまま埋めておくれやす。」出口王仁三郎聖師より、大本の御神体を預かり、笹目秀和さんは崑崙山に向かいました。
疎勒族に奉仕され、崑崙山のふもとの洞窟におられ、天地の呼吸をされておられる疎勒神仙。山頂へは天帝がつかわす天の鳥船、鶴船(鶴仙)に乗り向かわれたようです。坎離印を行じて五十年を経ないと鶴仙に乗ることは許されていないようです。ちなみに鶴仙の大きさは小型ヘリコプターぐらいあったようです。
疎勒神仙より数々の秘法を笹目仙人は伝授されました。。
そして、役割を終えた大本の御神体は無事鎮座されたようです。洞窟への帰りは坎離の鎮魂がみごとであったので単独で鶴仙に乗ったそうです。ここで、笹目秀和老人が「鶴仙に乗った仙人」と言われるゆえんです。
仙人のお茶があり、36種の草を粉にすれば、例えその中に毒草があっても、中和する事になり、崑崙山中では火を焚かず、お湯を沸かさずに、仙人茶のみを水で溶き、何日も過ごされたようです。
神仙の願いとは、人が自然体に還り、胎息を成す者が地上に充満すれば、地上が明るく平和になり、大地自体も、自然呼吸が可能になると言うことです。それにより、地上的鼻孔役割の必要が無くなり、神仙自身の失業を望んでいます。
しかし、現実的には山河は暫時破壊され、空気は汚染され、人心は荒廃し、地球の胎息は元より、鼻孔呼吸までも圧迫され、大爆発、自壊作用の恐れがあり、地球の生命の維持すら難しくなってきています。
自然に還るべき胎息可能な還元法。各人が自己の道を歩む中でそれを見出して自覚される事を希望いたします。
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当時、満州王 張作霖も内外の状勢に苦慮されていたようで、それに対処すべく、人知を超えた力の存在を借りようとしました。そこで、天池のふもとに住まい、三世通観の仙術を持ち、ありとあらゆる事象を見通し、虫けら一匹の動きですら感化されていると言う、齢200歳の呂霊麳神仙を招聘されました。満州王は最高の客殿に丁寧に案内し、一夜を神仙一行は過ごされました。しかし、朝食後、呂霊麳神仙のみが、お供の道士 三人を残したまま、いなくなりました。満州王の従者は驚き、城中くまなく探されましたが見つかりません。三日後にお供の道士が恐る恐る、申し出ました。「老仙師は既に山に帰っておられます。」そこで、満州王の従者はあわてて、道士三人に道案内をさせ、白頭山に登ったところ、呂霊麳神仙は天池を眺める巌頭の坐し、笑って長髯をしごいていたそうです。汽車や馬車に乗ったこともなく、お金を持っていない神仙がどうしてあの交通不便な山上に帰って行けたのか、とても不思議であったそうです。
神仙は衣類は一着で擦り切れ、着れなくなるまで着るそうです。食べ物は山中にある木の実だけを食されるようです。
人との会話は民族の言葉が違っても霊的通話で、話されるので、笹目秀和さんが日本語でしゃべり呂霊麳神仙が満州語で話しても意味が不思議と通じたようです。三千年来の秀和老人と天池との因縁、きたるべき、天地部判に際しての任務を説き、そして、十年後、崑崙山の齢400歳の疎勒神仙に教えを受けるように述べられました。
笹目仙人が崑崙山に行かれる前に大本教に行かれました。大本弾圧の三日前です。そこで出口王仁三郎聖師、日出麿さんに会われています。
「御苦労さんやなあ、笹目さん。今度の神業は、わたしに代わって行くんやさかい、しっかり頼みまっせ。」「ほうそうですか、聖師様、それにしても難儀が多すぎませんか。」「あんた、霊界物語をしっかりよんだようやなあ。あの○巻の仕組みやさかえ難儀は避けられやへん。今夜は、日出麿との出会いが必要でっせ、崑崙山にお鎮まり願う御神体は、夜半に勧請しておきますさかい、ゆっくり休まれて明朝きておくれやす。」
日出麿師の住居を訪れると、「待ってましたがな、笹目さん。早くおあがりやす。奉天では、えらい目に遭うたなあ、あんたの避けられない消刧だからやむを得ないね。」「白頭山系の白狐で、元は壇君にお仕えしていたそうですから、妥協すべきでしたか。」「いやいや、妥協はゆるされないね。初めは従順であっても、やがて反旗を翻す素質をもっているから、初めから避けた方が賢明だったと思いますよ。」「霊線を断つために思いきっていったん帰国して、百日の行をやってみましたが、これでよかったですかね。」「あの白孤の執念の後遺症はまだあるが、まあそれで一応白孤との因縁は切れたでしょうが、西北の天地は暗雲低迷していて、御神業の展開は容易ではない。けれども、あなたを於いて他に任務を遂行しえる存在は見あたらないから、あえて、棘の道を押し進んでもらうよりほかはないですね。要は崑崙山中に大本神業の礎石を埋めてくることです。主神は、あなたに絶大な期待をかけておられますから自重して下さい。やがて、地球の裏表がひっくり返るような時が来ると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないとも限らないからね。あっははは。」
笹目秀和さんも不安があったのでしょうか、日出麿さんに尋ねました。「白頭山の呂霊麳仙師のお告げには、寸毫の誤りもないのでしょうか。」日出麿さんは「あの仙師は素尊の御代様として、地上に降臨しておられ、一切の俗を離れておられる方ですから、言語動作の上に寸毫の過誤も認められない事を証言します。」
ここにおいて、出口日出麿、運霊さんの霊覚、覚神の度合いが、ずば抜けているのが伺えます。至聖先天老祖も運霊(日出麿さん)の役目は仁尋(出口聖師)以上に難しいものだとし、大道発展のためにとても期待されておられました。老祖は吾に代わり一切を指示せよと、述べられたほどです。大本弾圧の拷問さえなければ輝かしい大神人と成られたのにと残念に思います。
「笹目さん。これが大本の御神体どす。崑崙の神仙があなたの来訪をまっておるずやから、その案内に従いその指示する所にこのまま埋めておくれやす。」出口王仁三郎聖師より、大本の御神体を預かり、笹目秀和さんは崑崙山に向かいました。
疎勒族に奉仕され、崑崙山のふもとの洞窟におられ、天地の呼吸をされておられる疎勒神仙。山頂へは天帝がつかわす天の鳥船、鶴船(鶴仙)に乗り向かわれたようです。坎離印を行じて五十年を経ないと鶴仙に乗ることは許されていないようです。ちなみに鶴仙の大きさは小型ヘリコプターぐらいあったようです。
疎勒神仙より数々の秘法を笹目仙人は伝授されました。。
そして、役割を終えた大本の御神体は無事鎮座されたようです。洞窟への帰りは坎離の鎮魂がみごとであったので単独で鶴仙に乗ったそうです。ここで、笹目秀和老人が「鶴仙に乗った仙人」と言われるゆえんです。
仙人のお茶があり、36種の草を粉にすれば、例えその中に毒草があっても、中和する事になり、崑崙山中では火を焚かず、お湯を沸かさずに、仙人茶のみを水で溶き、何日も過ごされたようです。
神仙の願いとは、人が自然体に還り、胎息を成す者が地上に充満すれば、地上が明るく平和になり、大地自体も、自然呼吸が可能になると言うことです。それにより、地上的鼻孔役割の必要が無くなり、神仙自身の失業を望んでいます。
しかし、現実的には山河は暫時破壊され、空気は汚染され、人心は荒廃し、地球の胎息は元より、鼻孔呼吸までも圧迫され、大爆発、自壊作用の恐れがあり、地球の生命の維持すら難しくなってきています。
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