玄徳道

道を語るブログです。

龍宮水火土伝授日の出世開きΘ三六九神示27

2018-02-22 21:26:32 | 神示道


この度の北陸の大雪は、白山比咩の神、九頭龍と化し、清めの息吹であるぞ。
人民は困窮いたし、氣の毒であるが、白山菊理比咩の神現れて、この日本だけでは無い。北朝鮮も中国も浄め祓えねばならぬ神界の図りであるから、白山比売の存在を見せたのであるぞ。

世に荒事起これば人民は、自然の猛威で済ませておるが、自然は神々の御現れであり、その運行は神々龍神の活動であるぞよ。

神のなせる荒事は、その末必ず新生の恵みとなるのであり、さしもの大雪も溶ければ水となり万物を育てはぐくむ事となり、水には、菊理比咩の神氣が込めてあるから分裂せんとする世界を括り結ぶ和の道を開く神徳の発現となるぞよ。


扨ても、人の身は、形ある目に見える世界に生まれて来たのであるから、形ある、目に見える物や、形のある肉体にとらわれるのもやむえぬ事であるが、肉体は目に見えぬ、魂や生命の器であり、衣であり、形ある物は必ず滅するの理の如く、遅かれ早かれ土に帰り元の水となりてゆくのであるぞ。

人間の本体は、目に見えた形ある肉体で無く、神の授けし御魂である事をしっかりと覚らねば、物金に頼るとも肉体に頼るともそれは、限りある物であり、御魂の存在を自覚する事が人と生まれた修業の一大事であり、神交(信仰)の要であるぞ。

その自覚無くば、物金山と積むとも真の安心は得られぬぞよ。

御魂の汚れ穢れの浄めの為、誰でも、病気や苦労はある。

その苦労を磨きと受け取り清く明るき心で我置かれた場の使命を果たし、現の世を去りて御魂の親神のもとえ帰る事が出来て人生の全うと申せるぞよ。

何時しか土に返す、肉体も現の世で生きる内は、御魂の大事な生宮であるから、大事に使わねばならず、痛みや苦しみを和らげる為、医学や、様々な治療の術も授けてあるが、それは、真の救いで無く一時の補いであり…親神ありて、御魂を授かりておる事をしっかりと覚る事が、真の救いであり、それぞれの御魂の総親神が豊宇氣の大神であるぞよ。

人の心は御魂の思い、自我や欲の肉体霊の思い、憑依せる様々の霊の思いが写るテレビの画面の如きものでありて常に我心の正邪の審神をしておらねばならぬぞよ。

人は好きか嫌いか大切かで、物事の判断いたせども、我が身勝手の好きか嫌いかの判断は、肉体霊のいたすところであり、好きも嫌いも越えて、為さねばならぬ、大切な事の判断が御魂(直霊)の思いであるからこの事忘れてはならぬぞよ。

大切な事の思いとは、恕(おもいやり)心であり、〇九十(真言誠)であるぞ。

誠とは、言が成ると書く如く、我が身の言葉に責任を持つ事であるぞ…。

三千年の昔この日本へ、外国から体主霊従の道が入り、強い者勝ちの世とのり、神を中心にして共に助け合う縄文以来の霊主体従の道はすたれてしまいたが、又、それが為、物質文明は発展し、大昔と比べたらまことに楽な暮らしが出来るようになった今。人民は霊なる神より離れ、尚更形ある物に、とらわれ御魂の大事、精神の大事を忘れるようになりたのであるぞ。 
形ある現の世で暮らす為には、食い物も金もいる…形あるものに、とらわれざるを得ぬ事なれど、その中にも程という事、分と言う事の大事を知り…御魂こそ人(霊止)の本体である事を覚り、嫌でも好きでも、大切な、御魂の思いを活かす道を歩まねばならぬぞよ。

我が身勝手の好き嫌いの判断で暮らしておれは、御魂を汚し穢す事となり、その磨きの為に苦労がふえるぞよ。

それぞれ、御魂の親神を信じ、迷わず、我目前の道に精進努力する事であり、御魂を授けてある、特技特性又、職業に誠もちて邁進いたす事が親神の意に添う事になるぞ。
職を持たぬ主婦は家事に誠を尽くす事が大事な御用であるぞ。

皆が誠で暮らし仲良くいたせば、家も世界も善くなりてゆくのであるが、我が我がの肉体霊(魄)の自我や欲の、我が身勝手の好きや嫌いの判断で、大切な事を忘れておるから、家も世界も乱れるのであるぞ。

皆、利己主義となりて争う世の中に、括り結びの和の道を開かんとするのがら白山比咩の神であり、この度の大雪も、白山菊理比咩の神、存る事を見せたのであるぞ。

この度、韓国平昌での冬季オリンピックに北朝鮮も参加し、南北朝鮮調和の兆しの如く思うであろうがまだまだじゃ。
南北の朝鮮が一つになる時、世界恒久平和の道が開ける止申してあるが、その時、アメリカもロシアも中国もその他の国々もまず、核兵器や原発の放棄をなさねばならぬ。……

まだまだ先の事じゃ。…

それまでに世界人類は好きか嫌いか大切か。……

何が一番大切な事であるかを、身にしみて覚る為、試練の節を越さねばならぬぞよ。

御魂のある事に氣づき、うれし楽しで暮らし、御魂が豊かになれば、自ずと、物金も寄り来るのが霊主体従の道であるぞよ。

様々苦労の節の中にも祈りを重ねてゆくのであれば、御魂の光で道が見えてくるぞよ。

霊主体従

言霊神也 ン

平成三十年二月八日

天橋道士龍華斎修聖拝写
コメント
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