艮の金神国常立大神、須弥山なる富士の山に腰掛けて、世界ににらみをきかせ、世の立替立直しの神業を進めておるぞよ。
言霊神也 ン。
人民の体主霊従(からたま)のやり方に任せておりては、この地球は益々に汚れ穢れ生物も、滅びてしまうから、神が表に現れて構わねばならぬ時節となりたぞよ。
艮の金神、陰に隠れて三千年の神図りは、人は更なる禽獣虫魚草木石ころに到るまで喜び勇みて暮らす世の開きでありて、天照国照日の出の神と龍宮乙姫が、先頭に立ちてまず、龍宮界の神々や龍神、縁ある人民を使いて仕組みを進めてまいるから、これまでの表に出て地球を自在にしてきた、思凝霊や人民、早く改心して、霊主体従(ひのもと)の道へ帰らんと、尻に火がつく、泥の舟は沈むぞよ。
この前、厳島の龍宮のある広島でG7の国の頭やウクライナの頭も集いて大事な会議をさせたのは、龍宮界の計りでありたぞ。
切格、皆集いたが、真実世界の平和を願い、核廃絶の世を開くと皆、口では言いながら、腹の中では、我が身、我が国の事しか考えておらぬから、この度も表のみ、飾りた実の無い、儀式で終わりたぞよ、
G7の会議は、彼のロシア、益々世界相手の大戦争に熱を上げさせておるぞよ。
日本の頭は皆集いてくれて、大成功と満たしておるが、これからの日本がどれだけ世界の平和の為に働くか、実地の事が出来ねば、何程成功と胸を張っても空喜びであるぞよ。
先の大戦では、二発も原爆を落とされた日本の国であるぞ、
小さい国が世界相手の大戦争を為す事は、無謀であり、大きな犠牲をはらいたが、あの大戦争で白人の植民地となりておりた、アジアの国々の解放の道が開けたのは、日本の働きでありたぞよ。
今、戦争に負けた日本は、やむをえず主権在民にあらず、主権在米で、アメリカの言う通りになり、アメリカ尽くしておるからこそ、今は真の日本の使命を果たせぬのであるぞ。
されどこれも通らねばならぬ道であり、やむをえぬのじゃ…。
アメリカにしがみつきて、頼りにしきっておる日本の頭達(かしらたち)であるが、そのアメリカも今のままでは続かず、次第に国力も弱りてまいるから、その末日本がアメリカを導き助けねばならぬ時も来るのじゃぞ。
そこに日の出の神の日本と龍宮乙姫アメリカが真に手をつなぎ助け合い、一体となりて世界の平和の道開きに働かねばならぬ時がくるのであるぞよ。
その時が来るまでに、昔、白人の植民地となりておりた太平洋の龍宮の縁の深きアジアの国々と手を結び力を合わせ世界の平和の為に働く固き絆を築いておかねばならぬ、日本の役目であるぞよ。
アメリカは、ロシア、中国との和解の道開きにつとめねばならぬぞよ。
夢のような話であるが、神の仕組みは必ず、現の世の様と写りて来るのであるから、神は夢のような事を申すが中々信じられぬという不信や迷いを捨てて、時節の来るまで、それぞれの御魂の使命をもちて、祈りを重ね神の五用に仕へ、平和の為に尽くさねばならぬぞよ。
生きてゆく道には、因縁の浮かび上がりで辛い、悲しい事もあるが、それに堪へ世の元の神に身をゆだねて進むのであるぞ。
この地球を修理固成た要の道は、富士鳴門より地中海の方まで通りておるのであるぞ。
ロシア、ウクライナの戦争も世界の人類が第三次の世界大戦を起こして世界の滅亡などと言う事にならぬよう…戦争の虚しさ辛さ悲しさを身をもって見せてあるのであるから、その事しかと世界の人類、肝に命じておらねばならぬぞよ。
言うても聞かせても聞かねば身をもって苦渋を体験せねばならぬのが現の世の定めであるぞよ。
個人の事から世界の事から理は一つであるぞ。
皆、我が身の可愛いと思うなら、人も可愛いと思い、いつくしみてまいらねばならぬぞよ。
一人では暮らせぬ現の世であるぞよ。
共に助け合い共生の世を開くのであるぞ。
今は主権在米で、アメリカの言う通りに日本も動いておれど、この日本の国には神代より、世界大和の世を開く道が伝えてあるぞよ。
八百万の神々、神集へに集い神議(かむはか)りに議りて、五八十(岩戸)が開け天照大神がみ現れになり、世の中闇が晴れたと申してあるぞよ。
話(和)をもって皆理解しあい、共存共生大和の道が開かれると伝えてまいりたのじゃ。
総てを結ぶ共生の道を開く要は、白山菊理比売神のはたらきであり、佛界に於いて諸仏の意を一つに結ぶのが、阿弥陀如来のはたらきであり、神界佛界と異なれど、白山菊理比売の神と阿弥陀如来は通じる働きがあり、大和の結びの要であるぞよ。
空をおおう黒雲も荒れて荒れて雨風嵐の後に晴れてゆく、悩み苦しむ重い心も泣いて、なみだを出しても気も楽となる、自然も人の心も同じ理であるぞ。
現の世は苦(九)の土(ど)と申して来たこれまでの世でありたぞ。
未だ未だ苦の無き世とはならぬが必ず、苦の土より、楽土となる日も来る。
日の出の三六九世の来る事を信じて歩みゆけよと示すなり。
言霊神也 ン。
令和五年六月九日
天橋道士龍華斎 修聖拝写。