休みの日は、早朝、近くの神社を走って、五社(一社増えました。)まわり、帰ったら、筋トレします。
増えた、神社です。福住吉神社。御神霊が一柱、眷族三体。大野川緑陰道路近くにあります。
仕事の行き帰りも自転車をなるべく使い、尚且つ、早く仕事が終わった時は、自宅近くの大野川遊歩道を7.8キロ走り、その後は一時間ぐらいかけて、筋トレをしております。
筋トレも効果が出るトレーニングをユウチュウブで学び、また、誤った姿勢を正すようにしました。(腹筋ローラー、腹筋運動の見直し、腕立て伏せ、バックランジの活用。)
筋トレも下半身を重点にやってましたが、中々下腹の脂肪が落ちないので、手で痛いくらい揉みながら腹筋をレッグレイズにて鍛えましたら、それから割と早く脂肪が解消されて行き、腹筋エクボが出来るようになりました。
一番体重が減った時は、体脂肪が9.8%、体重が52.5キロとなりました。
平均は、体脂肪率13〜10%で体重が54〜53キロです。食事制限は一切してません。
52キロ代になったのは、私が体力が全く無い、もやし男時代、二十歳の頃以来です。
年内いっぱいで腹がへっこめば、良いかと考えておりましたが、早く効果がでました。
おそらく、お酒を殆ど飲まなくなったのと、酒のアテを食べなくなった事が良かったようです。
そもそもアルコールはカロリーでは無く、栄養素にも、ならないようで、身体には不要の存在であるらしいですね。大脳も萎縮させる働きもあるようです。
そして、身体は、アルコールを分解する為に代謝機能が著しく落としてしまいます。
ゆえに、食べた分は分解されずに脂肪となる事となります。
言わば長年の酒毒により、代謝が落ち、脂肪がお腹にどんどん溜まっていたようです。
溜まること、痼り、塊り、昏やみ、停滞することは、先天坐では、滅び、祟、魔、劫に繋がります。
しかし、禁酒は致しません。お酒は古代、神に繋がる為の聖なる飲み物でもありました。
故に、酒を飲むも呑まないも自己責任でございます。
さて、一般の瞑想の効果とは、自己深奥にある阿頼耶識に入り真理を得る、悟る、神に通じる、神を感じる、叡智を得る等があると考えますが、先天坐はそれも含みますが、それだけではありません。
先天坐とは唯一無二の炁を練るにあります。
故に坐により、胎息を経て、自己の天と地を回天させ、肉眼や霊眼では決して観て感知出来ない、人体の霊的神秘なる七つの経を開き、八つの剛流が回り、自信の百神と通じ、天の性命を覚え、本性に還り、素直となりて、氣を練り固まり、精が結び、神が凝る。
精は炁水、真水であり、氣は精の根であり、精は神の舎(いえ)であり、「精・氣・神」の後天の三宝は円霊となり、その本質に還ります。
還ればこそ、自己の天命を悟る事となります。
神が凝れば(凝るとは、濃くなる厚くなるの意味)天地万物に通じ適し、その命は性霊を活発に動かします。
全ての奥竅は天地吾人と運(めぐ)り、真炁が練られます。
故に、坐の精神、平・静・黙・誠・堅・恒にて、気を練れば、神に通じ、虚に還り後天の氣を化して、先天の炁と合する事も可能となります。
人間には、清い魂と濁った魄があり、肉体に宿っております。
此処に肉体を司る、魄の役割は大変重要となります。
何故ならば、今、肉体がある間にしか、天人合化の源なる先天坐を短期間で取得出来る法則が無いからです。
魂霊の世界では、現の世程、修業が神化しないからです。
この混濁の世こそ、修養と道を修めるに適した環境となります。
まして、この日本国。かつての神の国。日本に生まれ、修行出来る幸せを噛み締めねばならないと考えます。
話が逸れましたが、魄が主体となる体主霊從では、魄は世に争いや我よし、歪み合う世界を造り出してしまいます。
しかし、魂が主体となる霊主体從では、魄は魂に従い、正濁を得て、物質世界へも調和をもたらします。
坐こそが魂魄を神化させ、主従の道を明らかにさせます。
そして、身体の活用による先天後天の炁気の調和へと至ります。
今、身体の鍛練をするなかで、坐と同様に、その肉体の重要性をひしひしと感じております。
私のダイエットをする為の運動は終わりです。
これからは、道を修める為の肉体の鍛練をしていくつもりです。
この身体は神様から賜った、器であります。
年齢と共に堕ちていく、身体能力や体力を元気に保ったまま、天地神にお返しする為にも、日々、鍛練に励みたいです。
「老人は金を貯めるよりも筋肉を貯める。」は至言でございます。
筋肉は年齢に制限なく、誰でも鍛えれば、増えていきます。
そして、筋肉を鍛える事によって、若返りホルモン「マイオカイン」が分泌されます。
このホルモンは、脳と腸を活性化させ、免疫力を向上、精神的にも鬱を解消させる働きがあるようです。他にも様々な効果があるようです。
道を歩み、坐を為す者は、自己の肉体をも鍛練すべきであると、考えます。
そして、健康的な肉体を保ちながら、あの世へ、神の元へと、帰るのであります。