mixiのマイミクに、あなないさんと言われる方がおり、日月神示を実践されておられる方でして、その方の記事に、松のスラミンについて、書かれており、それと、日月神示が書いてありました。
松を水洗いし、みじん切りにして、タッパーに入れ冷蔵庫に保管し、三食頂きます。
私は、食べ物に、好き嫌いはありませんが、唯一の例外があり、納豆を心から愛しており、毎朝、食べております。松を入れるとさらに美味なりです。
「火と水と組み組みて地ができたのであるぞ、土の饅頭の上に初めに生えたのは松であったぞ。
松は元の木ざぞ、松植えよ松供えよ、松神籬とせよ、松玉串せよ、松食せよ、松からいろいろな物生み出されたのぞ、松の国と申してあろがな」
鷲林寺から六甲、観音山を登ります。途中、麁乱神の磐座があります。ここの松は帰りに賜りました。
六甲 観音山頂上です。ここにも多くの松が生えております。
山道の案内板を見ると安心します。
遠くに松ヶ姫の磐座が、見えてきました。
松ヶ姫命の磐座でございます。
この松の部分をとっていけと。
現在の剣座は、草木で覆われていて見つけずらいです。この岩石を越え左に曲り、さらに左に曲がると、
剣座の磐座でございます。
「松食せよ、松食せねばわからん病治るぢゃぞ、松心となれよ、いつも変わらん松翠の松心、松の御国の御民幸あれ。」
と記事があり、軽く目を通しました。
その時は、何も思わなかったのですが、ある方のブログのコメントで何故か、松を食べに六甲山へ行くなどと書きました。
それから松が食べたくなり、日曜日の休みに六甲山へ取りに行こうとしましたが、あいにくの雨にて、行かず、近くのスーパーで三宝荒神の松入り榊を買い、松だけ出して榊は、神棚に上げ、松の葉を水ですすぎ、ハサミで短くし、食べました。お馬さんのようにむしゃむしゃ。食べられない事はないと思い、それから、三食に松を入れて食べました。昔からの軟便が固くなりました。
「松なんて仙人の食べ物なんて言われているけど、何で食わねばならない。
知らんけど食わなきゃあかん。」
故に、次の週の日曜日、六甲山へ松を取りにいきました。
なんで、六甲山かは、我が友である、麁乱神の磐座に松が生えているのも知っていたし、以前に私が感合し松ヶ姫と名付けた神霊が坐す、磐座があり、そこにも松が生えていましたので。
鷲林寺から六甲、観音山を登ります。途中、麁乱神の磐座があります。ここの松は帰りに賜りました。
急な山道を登ります。
六甲 観音山頂上です。ここにも多くの松が生えております。
山道の案内板を見ると安心します。
遠くに松ヶ姫の磐座が、見えてきました。
松ヶ姫命の磐座でございます。
此処に椅子の磐座があります。
磐笛を吹き、祝詞 経 咒を誦します。
そして、松を頂くことを断ると、
この松の部分をとっていけと。
太古の時代、人は草や木と意識を交わしていた。言葉では無いが、会話していたのである。
近年では、無垢な幼な子が草や木と意識をやりとりするのみ。
ここから、ゴロゴロ岳は近く、そこに剣座の磐座があるので行きます。
ゴロゴロ岳に到着。
現在の剣座は、草木で覆われていて見つけずらいです。この岩石を越え左に曲り、さらに左に曲がると、
剣座の磐座でございます。
此処の六甲山大神は強烈な神氣を発しております。
鎮魂にて、合氣回天。
磐笛、経、祝詞、咒を奉唱。
帰りに感合あり。
「磐から出た松を食せよ。」
丁度、松ヶ姫命の磐座で賜った松も岩から生えていました。
頂上付近でも岩から生えている松葉を賜り、麁乱神の磐座の松は殆ど岩から生えていたので、断り賜りました。
神を松(待つ) 人の心は 千早振る 誠の道を 神と歩まん。
松を水洗いし、みじん切りにして、タッパーに入れ冷蔵庫に保管し、三食頂きます。
私は、食べ物に、好き嫌いはありませんが、唯一の例外があり、納豆を心から愛しており、毎朝、食べております。松を入れるとさらに美味なりです。
納豆の ネバネは身魂を 健やかに 松と合わせば まっとうな道なり。
すみません。ごめんなさい。
扨て、松を食べるには、キチンと消化させねばなりません。故に、良く神ます。いえ、噛みます。
噛むとは、醸むであり、嚼むなり。咀嚼であり、神であります。人の身体は口から食べ物を噛み咀嚼し、初めて身魂へエネルギーが行き渡ります。
故に噛むことは神事でもあります。
そして、咀嚼力。日本神界は、様々な外国の神や宗教すら取り入れて、日本式と為し、普く仲良く、和をもって、咀嚼するなり。
その果があり、その宗教の真髄、奥義の多くが大和なる日本に遺ったのである。
そして、光が東方より、テラスのでございます。
かむながら たまちはへませ 日の本の 神と幸合う 松の心ぞ。