今日のこの日は、今から八十年前、日本がアメリカハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争の勃発した、日であるぞ。
この戦争により、日本人の犠牲者も三百万人を越え、アジアやアメリカ世界中で大勢の者が犠牲にになった。
忘れてはならぬ大戦でありたぞよ。
この大戦の大きな犠牲の陰に、アジアの植民地、解放の先駆が成りたとは、申せ、この一寸法師の日本が、世界相手に大戦をいたして、絶滅せず、今日のあるのは、神のお陰であり、この大戦の事を肝に命じ、今後決して戦争を起こすような、事は絶対にならぬのであるぞ。
今、戦争の辛き悲しさを忘れて、如何にも日本の守りの如く、集団的自衛権行使や、敵基地攻撃能力保有等を申し力んでおるが、先の大戦の事を思うば、再び敵を作り、攻撃するような事は出来ぬのであり、そのような事をすれば、守るどころか、日本を危なくするものでありて、日本が軍隊を持てば攻撃し、属国にしてしまうぞと、世界の大国は虎視眈々と待っておる事を決して忘れてはならぬぞよ。
不戦の誓いをつらぬき通しつつ、世界の弱き国を助けて、世界平和一筋の道を守らねばならぬのがこの日本の使命でもあり、その道に徹する為の先の大戦の辛い悲しい犠牲や体験でありたぞよ。
熱さのど越しや忘れるでは、これからの日本の存続も危うくなるぞよ。
不戦の近いのある間は、外国も日本を攻撃、出来ぬのであるぞ。
ただ、平和惚けで無く、この事をしっかり肝に命じておかねばならぬぞよ。
未だにコロナ禍終息せず、世界に耐えぬ紛争の中、再び、米中露の冷戦の如き状態。
如何にするか、その狭間に立ちた日本は、真の使命に目醒めて、これまでの虎の威を狩る狐で無く、意気地無しと言われても、力まず、中道を守り、世界に和の道を通さねばならぬぞよ。
扨も人の身は霊(魂心)体(肉体)の結びによりて、成りておる如く、この大宇宙と一体に、大霊界があるのであり、人は更なり万物は目に見え形ある体だけで無く、相応の霊がある事を知らねばならぬぞ。
霊体の結びにより、生命幸倍(いのちさきは)うのであり、霊体を括り結ぶのが白山菊理姫の神の働きであるぞ。
全てを括り結び和の道を開き、生命幸倍ふ道を開かんとする、菊理姫は、余りにも事が判らず、利己主義(われよし)の道を走る人民の様を困ったものじゃと、堪忍袋の緒を締めて、見守り、それでも陰から守護いたしてまいりたが、何時までも今の様な人間の栄華の都合勝手の利己主義を続けてゆけば、菊理姫の神も堪忍袋の緒を切る事となり、地球の壊滅ともなるのであるぞ。
各地に起こる地震や噴火もその警告(きづけ)であるぞ。
良く良く心いたさねばならぬ、この時であるぞ。
皆で慈しみ助け合えば善き世となるものを、なぜそれが出来ぬのじゃ、人の暮らしには物も金もいる。
されど物や金だけでは、真の美(うるわ)しい世と、ならぬのに、金権主義の金毛九尾や、利己主義の権化の思凝霊(しこりがみ)の自在にされ、好き勝手の事を言ったり行う事が良い事のように、慎む心も忘れ、自由を大きく取り違えをいたしておる事にあるぞよ。
神界の事は人民の目に見えぬから、様々の型を持ちて見せてあるのであり、大本教に出口直殿、出口王仁三郎殿ある内は、丹波大本教に、艮の金神国常立大神が様々の型を見せ、昭和十年の大本教の弾圧は、日本の敗戦の現れた如くであり、世の立替の型であったが。
今は天地結びの神々の通う、天橋立真名井ヶ原に神界の仕組みを型に見せ、世の立直しの道を進めてあるぞよ。
平成元年からの真名井神社境内整備は、世の元の国常立大神を御出しいたす道開きであり、平成三十年に大祭に六十年ぶりに金色に輝く大神輿を出した事は、愈々、天照国照日の出の神、世の闇を晴らす、地の五六七(ミロク)神の御現れを型に見せたものでありたが、三千年かけて、体主霊従(物主人従)の世を開きて来た思凝霊等は、早く世が霊主体従(ひのもと・みろく)の世となりては困るから、コロナや、世界の様々の紛争を起こして、日の出を覆う黒雲の如く、日の出の神の出現を抑えておるのであるぞ。
悪神(体主霊従神)の荒振りも、神界は逆手に取りて世の立直しの道を開くのであるから、これまでに無いような事が起こりても、うろたえてはならぬぞよ。
常に時の流れ神の図りにのりて、歩みゆくことだあるぞ。
何度も申すが、人はそれぞれに人生劇場があり、そして、現の世の想念相応の世界であるから、辛い事、悲しい事があっても、神を信じ、現の世で結構な暮らしをいたし偉そうにしておりても、感謝を忘れ思い上がりておれば、おもわくちがいの、霊層界へ落ちねばならぬぞよ。
それぞれの御魂の親神は、常に導き、その元の大神は、天橋立真名井ヶ原に坐して、世界に睨みをきかせておる事を忘れてはならぬぞよ。
これから、大望の世替わり「ン」の力を神界は、現す時となり、その先駆けと世界に地震噴火の頻発で神界の活動活発を証てあるぞよ。
言霊神也 ン
令和三年十二月十一日
龍華斉修聖拝写