真の坐とはなんなのでありましょうか。
太古の時代、純朴な時代であり、人と神が一つであり、自然の精霊も共に共存(覚智)し、尚、草や木、動植物と会話(テレパシー)が出来た太古の時。人は、常に上天と接し、人の囟門(頭の頂上)は自然に先天炁が自然と流れ、玄関(心臓の中り)には常に神霊が顕現され、普段の生活の中で、心の坐が自ずから得られていました。之を真坐と称します。娯楽や快楽が無い世界であり、誘惑も無く、人の心は一であり、忠恕でありました。
時が移り、生まれた時から、欲望が安易に叶えられる時代であり、道を得るよりも、嗜好、や趣味がを大切となり、人の心から先天炁も流入が少なくなり、尚且つ、胸の神霊が欲望により岩戸隠れしてしまい、真実を見失う時代となりました。
ここに於いて、様々な求道者は、真実を見つけようと、宗教を遍歴し、神を外に求め、神に媚へつらい、我が身の幸せを得ようとしても、入る幸せより、出て行くお金が多いようです。
伊勢白山道の出現は、一時の天祐であり、内在神のみを信じ、先祖供養、神祭りの三つの行いは感謝に帰依し、多くの衆生を救いました。しかし、時節は伊勢白山道を応援していたようですが、彼の独断と偏見は多くの敵を作り、彼の霊能の嘘、矛盾を突っ込まれています。奢れば、神を、自分を見失うのです。しかし、彼の内在神は、人の心に、安らぎを与えたのは真実です。そして、内在神がいると云う、胸の中心の思想も又真実です。
真坐に於ける、道に心坐と形坐があります。
もし、坐の奧竅について真剣に学びたいのであれば、道院の道慈の資料をご覧になればと思いますが、要点を噛んで親切に教えてくれてはいませんし、何より、道院の信者、修方にならなければなりません。私は常に道院の枠を超えねばならないと考えています。私が一番優れていると考える坐の奥義書は、至聖先天老祖の愛娘である無名の神人、炁楽仙女さん著の「生きる!意味と方法」をご覧になるべきだと思います。この本は真坐の奥義書であり、道院では見かけない、真坐、心坐、守窔について、優しく、理解しやすいように説かれています。ただし、本はあまり出回っておりませんし、電子書籍の方も遅れているようです。しかし、真剣に道を求めれば必ず得られると思います。道院の方も、はなから自分を誇らず、謙虚に、同修の坐を学ぶのも修養であり修道であります。
私は形坐の方から入りました。形坐とは道院独自の形式で、足を組まず、座イスに座り、両手を両膝に置いてする、坐です。道院に綱則があり、詳しく書くとクレームがきますのであしからず。やはり、形坐も炁楽仙女さん本と永遠の生命、安心のブログを参考にして下さい。
形坐による先天坐で、私は登頂に気が回り込む事が自然と成りました。之を心坐に取り入れました。丁度、きらく仙女さんが得た、妙窔バージョンと適合したのは嬉しかったです。そして、形坐のみではなく、心の坐を常日頃行う、常駐坐臥が今の私の課題です。
常に神を玄関に覚神するのは、形坐(先天坐)のみでは未見真実です。ここから真見真実の実相に至るには、日常坐臥の心坐が重要であります。
そして、自己を済度、他者を救済するに止まらず、地球の運行を助ける働きにまで自分を高める為には心坐、形坐の道が合する、真坐を得なければなりません。真坐こそが至聖先天老祖が普く世を救う為に授けられた法なのです。
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太古の時代、純朴な時代であり、人と神が一つであり、自然の精霊も共に共存(覚智)し、尚、草や木、動植物と会話(テレパシー)が出来た太古の時。人は、常に上天と接し、人の囟門(頭の頂上)は自然に先天炁が自然と流れ、玄関(心臓の中り)には常に神霊が顕現され、普段の生活の中で、心の坐が自ずから得られていました。之を真坐と称します。娯楽や快楽が無い世界であり、誘惑も無く、人の心は一であり、忠恕でありました。
時が移り、生まれた時から、欲望が安易に叶えられる時代であり、道を得るよりも、嗜好、や趣味がを大切となり、人の心から先天炁も流入が少なくなり、尚且つ、胸の神霊が欲望により岩戸隠れしてしまい、真実を見失う時代となりました。
ここに於いて、様々な求道者は、真実を見つけようと、宗教を遍歴し、神を外に求め、神に媚へつらい、我が身の幸せを得ようとしても、入る幸せより、出て行くお金が多いようです。
伊勢白山道の出現は、一時の天祐であり、内在神のみを信じ、先祖供養、神祭りの三つの行いは感謝に帰依し、多くの衆生を救いました。しかし、時節は伊勢白山道を応援していたようですが、彼の独断と偏見は多くの敵を作り、彼の霊能の嘘、矛盾を突っ込まれています。奢れば、神を、自分を見失うのです。しかし、彼の内在神は、人の心に、安らぎを与えたのは真実です。そして、内在神がいると云う、胸の中心の思想も又真実です。
真坐に於ける、道に心坐と形坐があります。
もし、坐の奧竅について真剣に学びたいのであれば、道院の道慈の資料をご覧になればと思いますが、要点を噛んで親切に教えてくれてはいませんし、何より、道院の信者、修方にならなければなりません。私は常に道院の枠を超えねばならないと考えています。私が一番優れていると考える坐の奥義書は、至聖先天老祖の愛娘である無名の神人、炁楽仙女さん著の「生きる!意味と方法」をご覧になるべきだと思います。この本は真坐の奥義書であり、道院では見かけない、真坐、心坐、守窔について、優しく、理解しやすいように説かれています。ただし、本はあまり出回っておりませんし、電子書籍の方も遅れているようです。しかし、真剣に道を求めれば必ず得られると思います。道院の方も、はなから自分を誇らず、謙虚に、同修の坐を学ぶのも修養であり修道であります。
私は形坐の方から入りました。形坐とは道院独自の形式で、足を組まず、座イスに座り、両手を両膝に置いてする、坐です。道院に綱則があり、詳しく書くとクレームがきますのであしからず。やはり、形坐も炁楽仙女さん本と永遠の生命、安心のブログを参考にして下さい。
形坐による先天坐で、私は登頂に気が回り込む事が自然と成りました。之を心坐に取り入れました。丁度、きらく仙女さんが得た、妙窔バージョンと適合したのは嬉しかったです。そして、形坐のみではなく、心の坐を常日頃行う、常駐坐臥が今の私の課題です。
常に神を玄関に覚神するのは、形坐(先天坐)のみでは未見真実です。ここから真見真実の実相に至るには、日常坐臥の心坐が重要であります。
そして、自己を済度、他者を救済するに止まらず、地球の運行を助ける働きにまで自分を高める為には心坐、形坐の道が合する、真坐を得なければなりません。真坐こそが至聖先天老祖が普く世を救う為に授けられた法なのです。
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