六月六日、みろく(三六九)大祭も無事済みたな。
平成の御世最後のみろく大祭であり、大きな節目でありたぞよ。
修聖には、昭和五十九年三月三十日、但馬豊岡から丹後へ帰らせ、その年七月七日、七夕の夜、龍宮乙姫(瀬織津比売)の軸を祀り、丹波小富士山の木花咲耶姫の差し添えで七年間封じてありた、玉手箱開きの神事に仕へさせたのが龍華館の神祭りの始めであり、丹後に秘めてありた大元の仕組みが開ける始めでありたぞよ。(注 昭和五十二年六月二十七日、丹波小富士山神社にて、大本金龍海のふちの、ゆずり葉、丹後旭の洞窟の玉石等を入れた
玉手箱を七年間、開けてならぬとの神示により、麻の緒でくくり、封をする。七年後、昭和五十九年七月七日、龍華館で開く事となる。)
明けて、昭和六十年六月六日、海の真名井なる、天之橋立磯清水(五十清水)の水で書いた、天照皇大御神の軸を三六九の神として祀らせたのが、みろく大祭の始めであり、今年で三十三年、三十四回目となりたぞよ。
この天照皇大御神の意は、伊勢の天照大神と同階で無いぞよ。(注 天照御大神の神霊も十段界がある。)
銀河の宇宙を天照らす元津天照日の神(天照国照神)であり、日の神、月の神、地の神を合わせた、日月地(みろく)の神であるぞよ。
広大無辺、無始無終なる大宇宙、始めも終わりも無い、時の流れは、月(橦)の神が司り、無より有を生じ、形を現した物も、時の流れと共に又、元の無に帰る…無と言い空と言うも何も無いと言う事では無く、空や無の中に、総ての物を生みだす根源があるのであり、たとえは、数字の0であり、・(てん)であり、そこから、形ある限りある、1から9の数が生まれて来る如くであるぞよ。
この地球上には、人間だけで無く、万の動植物が生息し、日月地の神氣も受けて万物は育ち、はぐくまれるのであるぞ。
星の神氣は、この地球の神山霊地に降り、火水(星)の氣は大海原の水火(塩)の氣ともなるぞよ。
さあ、満天の星の中、この地球も宇宙の中の小さな星であるぞ…はてしなき宇宙には、人智では知れぬ星が無数にあるぞ…当に夢の如き宇宙であり、図に示せばΘ(まるてん)であり、○は無限大、・は無限の小を現し、Θ(す)は、宇宙そのもの天(○)之御中主(・)の神のしるしであるぞ。
その中に神魯岐、神魯美、渦が巻き、神霊、言霊音霊数霊色霊の四九三で形ある、現(九)の世は七(鳴)り七(成)るのであるぞ。
満天の星の夜空をながめながら、思いなされ…大宇宙から見れば、小さな星にすぎぬ、この地球の中で、人間は意地を張り、いがみあい、争いておるのであるぞ。
自我や欲望のとりことなり、浄く明るき神授の御魂を思凝の岩戸で押し込めておるのであるぞ。
御魂を忘れて肉体の思いのみにとらわれれば、人の身は動物に均しきもの知恵ある故に動物より恐ろしき事も為すのであるぞ。
利己主義(われよし)のなりはてし人類は…この地球を汚し穢し、悠久の地球の生命を弱らせ、自らも滅亡の道をひた走っておる事を、世界人類はしかと覚らねばならぬこの時であるぞ。
悠久の宇宙の流れから見れば、宗教思想の違いで争う如き事も、まことに、些細な虚しき事であるぞよ。
早く御魂の眼を開き神理を観よ…人類よ…。
はてし無く夢の如き宇宙と申せ、現実に存在する地球であり、人の身であるぞ。
いがみあい、争う事より、先に如何にこの地球を守り、万物の生命の種を存続させるかを考える事が一番大事であり、人類一つ心にその事を祈り実行にうつす事が…真の神の道であるぞよ。
只、我身欲を願い祈るだけの宗教の時代は終わり、人類の生命の存続を考え祈らねばならぬ時代となりたのじゃ。
地球の上だけに神はあるのでは無い。
大宇宙無限の星に世界にも大元の神の神氣は充ち満つのじゃ。
宇宙の星の流れを司るのを宗像の神と称え、宇宙の星の均衡調和を図るのは、白山菊理比咩の神の働きであるぞよ。
真の神の働きは、大きすぎて人民には判らぬから、この地球の上の神山霊地に神氣を降し、人の姿をした神と現れ、現の世を守りてあるのであるぞ。
真に有り難きこの地球であり、特に言霊の幸倍う日本の国には神の仕組みを、形に見せ(布斗麻邇奇路)真に有り難き蓬莱の国であるぞよ。
一天地六、鶴亀の四九三をもちて、宇宙大元妙見の神氣を降し守ってあるのであるぞ。
小さなこの地球に住まう人類が道を外れ、荒振りを繰りかえして来たこれまでの世でありたが…それでも世の元からの神々は…厳しすぎると、思凝霊等に封じ込まれても、この地球や人類を陰から守りて…生命の種を続けさせてまいりたが…あまり人民の勝手が過ぎると、それにも限度があるぞよ。
如何に地球が汚れ穢れ人類が滅亡の道を歩むとも、それよりも金権を第一にする金毛九尾に自在にされておる今の世界であり、日本であるぞよ。
さあ、この時…一番底まで落とされておりた、金勝要の神、神力を発動して、世の経済の仕組みを替えてまいるから世界は紫陽花の七変化…くるくる変わりてまいるぞよ…大きな世の替わり目となりたぞよ。
その事に始めに氣ずくのは、女(音成)であるぞよ。
外にばかり目を向ける男が氣ずくのは、後であるぞよ。
さあ…何よりも我魂の誠を大切に…天地弥栄、地球の再生を祈り歩めと示しておくぞよ。
言霊神也
ン。
天地弥栄日本鎮国世界平和万民至福
平成三十年六月九日
天橋道士龍華斎 修聖拝写。
平成の御世最後のみろく大祭であり、大きな節目でありたぞよ。
修聖には、昭和五十九年三月三十日、但馬豊岡から丹後へ帰らせ、その年七月七日、七夕の夜、龍宮乙姫(瀬織津比売)の軸を祀り、丹波小富士山の木花咲耶姫の差し添えで七年間封じてありた、玉手箱開きの神事に仕へさせたのが龍華館の神祭りの始めであり、丹後に秘めてありた大元の仕組みが開ける始めでありたぞよ。(注 昭和五十二年六月二十七日、丹波小富士山神社にて、大本金龍海のふちの、ゆずり葉、丹後旭の洞窟の玉石等を入れた
玉手箱を七年間、開けてならぬとの神示により、麻の緒でくくり、封をする。七年後、昭和五十九年七月七日、龍華館で開く事となる。)
明けて、昭和六十年六月六日、海の真名井なる、天之橋立磯清水(五十清水)の水で書いた、天照皇大御神の軸を三六九の神として祀らせたのが、みろく大祭の始めであり、今年で三十三年、三十四回目となりたぞよ。
この天照皇大御神の意は、伊勢の天照大神と同階で無いぞよ。(注 天照御大神の神霊も十段界がある。)
銀河の宇宙を天照らす元津天照日の神(天照国照神)であり、日の神、月の神、地の神を合わせた、日月地(みろく)の神であるぞよ。
広大無辺、無始無終なる大宇宙、始めも終わりも無い、時の流れは、月(橦)の神が司り、無より有を生じ、形を現した物も、時の流れと共に又、元の無に帰る…無と言い空と言うも何も無いと言う事では無く、空や無の中に、総ての物を生みだす根源があるのであり、たとえは、数字の0であり、・(てん)であり、そこから、形ある限りある、1から9の数が生まれて来る如くであるぞよ。
この地球上には、人間だけで無く、万の動植物が生息し、日月地の神氣も受けて万物は育ち、はぐくまれるのであるぞ。
星の神氣は、この地球の神山霊地に降り、火水(星)の氣は大海原の水火(塩)の氣ともなるぞよ。
さあ、満天の星の中、この地球も宇宙の中の小さな星であるぞ…はてしなき宇宙には、人智では知れぬ星が無数にあるぞ…当に夢の如き宇宙であり、図に示せばΘ(まるてん)であり、○は無限大、・は無限の小を現し、Θ(す)は、宇宙そのもの天(○)之御中主(・)の神のしるしであるぞ。
その中に神魯岐、神魯美、渦が巻き、神霊、言霊音霊数霊色霊の四九三で形ある、現(九)の世は七(鳴)り七(成)るのであるぞ。
満天の星の夜空をながめながら、思いなされ…大宇宙から見れば、小さな星にすぎぬ、この地球の中で、人間は意地を張り、いがみあい、争いておるのであるぞ。
自我や欲望のとりことなり、浄く明るき神授の御魂を思凝の岩戸で押し込めておるのであるぞ。
御魂を忘れて肉体の思いのみにとらわれれば、人の身は動物に均しきもの知恵ある故に動物より恐ろしき事も為すのであるぞ。
利己主義(われよし)のなりはてし人類は…この地球を汚し穢し、悠久の地球の生命を弱らせ、自らも滅亡の道をひた走っておる事を、世界人類はしかと覚らねばならぬこの時であるぞ。
悠久の宇宙の流れから見れば、宗教思想の違いで争う如き事も、まことに、些細な虚しき事であるぞよ。
早く御魂の眼を開き神理を観よ…人類よ…。
はてし無く夢の如き宇宙と申せ、現実に存在する地球であり、人の身であるぞ。
いがみあい、争う事より、先に如何にこの地球を守り、万物の生命の種を存続させるかを考える事が一番大事であり、人類一つ心にその事を祈り実行にうつす事が…真の神の道であるぞよ。
只、我身欲を願い祈るだけの宗教の時代は終わり、人類の生命の存続を考え祈らねばならぬ時代となりたのじゃ。
地球の上だけに神はあるのでは無い。
大宇宙無限の星に世界にも大元の神の神氣は充ち満つのじゃ。
宇宙の星の流れを司るのを宗像の神と称え、宇宙の星の均衡調和を図るのは、白山菊理比咩の神の働きであるぞよ。
真の神の働きは、大きすぎて人民には判らぬから、この地球の上の神山霊地に神氣を降し、人の姿をした神と現れ、現の世を守りてあるのであるぞ。
真に有り難きこの地球であり、特に言霊の幸倍う日本の国には神の仕組みを、形に見せ(布斗麻邇奇路)真に有り難き蓬莱の国であるぞよ。
一天地六、鶴亀の四九三をもちて、宇宙大元妙見の神氣を降し守ってあるのであるぞ。
小さなこの地球に住まう人類が道を外れ、荒振りを繰りかえして来たこれまでの世でありたが…それでも世の元からの神々は…厳しすぎると、思凝霊等に封じ込まれても、この地球や人類を陰から守りて…生命の種を続けさせてまいりたが…あまり人民の勝手が過ぎると、それにも限度があるぞよ。
如何に地球が汚れ穢れ人類が滅亡の道を歩むとも、それよりも金権を第一にする金毛九尾に自在にされておる今の世界であり、日本であるぞよ。
さあ、この時…一番底まで落とされておりた、金勝要の神、神力を発動して、世の経済の仕組みを替えてまいるから世界は紫陽花の七変化…くるくる変わりてまいるぞよ…大きな世の替わり目となりたぞよ。
その事に始めに氣ずくのは、女(音成)であるぞよ。
外にばかり目を向ける男が氣ずくのは、後であるぞよ。
さあ…何よりも我魂の誠を大切に…天地弥栄、地球の再生を祈り歩めと示しておくぞよ。
言霊神也
ン。
天地弥栄日本鎮国世界平和万民至福
平成三十年六月九日
天橋道士龍華斎 修聖拝写。