玄徳道

道を語るブログです。

小長谷修聖 令和辛丑六白三年 一月八日 神示

2021-01-19 20:51:06 | 神示道
(霊視)

真白の雪を頂いた、白山山頂に白金に輝く、菊座に乗られ、純白の長いドレスのような装束を着て、黒百合の花を持たれた女神が立たれ、しばらくすると、朱色の装束で黄金の鎧を着て、黒髪をなびかせ、朱塗りの柄の鉾を持ち、大なる銀蛇に乗られた女神が現れになり、先の女神と共に輝きながら、並び立たれました。(注  白装束の女神は、白山菊理姫の神であろう。朱色の装束の神は、丹生都姫の神であろう。白と赤の[朱〕の二神は、縁深く、菊理姫神は、総てを括り為す神であり、水神とも現れ給う。二つに割れんとする世界の括り結びの為に神力を現し給う。丹生都姫神は、浄化力強く、丹土より生ず水銀とも現れ給い、殺菌力も強く、この度の新型コロナウイルスを終息に向かわせるも、この神の働き大であるが、体主霊従と化した人民の改心がなければ、真の力を発揮されないであろう。

次に大きな登り窯が見え、窯の口から、次々と作品の焼き物が出され、その様を出口王仁三郎聖師が見ておられ、その中に、白磁に藍色で世界地図を描いた大きな甕があり、その甕は立派であるが、口から、底まで入(ひび)が入っており、聖師はその入を手で撫でて思案しておられました。(注 新型コロナ発生以来、世界は、二つに割れる傾向が強い。アメリカ大統領選挙、そして今後アメリカと中国その亀裂を如何にするか思案しておられるのであろう。)

次に大きな赤鬼が一寸法師を指でつまみ、飲みたいこもうとしておりました。(注 大きな赤鬼は世界を自在にせんとする中国であり、一寸法師は日本の事である。アメリカ、中国、その他の国々が分裂し争う様を治めむとする、日本は、邪魔であるから、呑み込んで日本の力を弱らせようとする。又、日本の様々な技術を我が物とせんとする。)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛭子道。

2021-01-14 18:57:00 | 神社道
蛭子とは、水子。瑞霊でもある。即ち、水子を救う、地蔵尊へと変化される。

兵庫県に、西宮市に西宮神社がある。廣田神社も近くにあり、廣田の神の領域は、六甲山に及ぶ。

人間は、あまり、知らないが、六甲山の神の眷族は、麁乱荒神であり、大鷲の姿で顕現される。

実に麁乱荒神は、家庭的であり、仏法では、三宝荒神とされる。そして、日の出の神に繋がるが、、故に、仏と神が一つになるのである。

蛭子とは、日留子であり、日の出の神でもある。その配偶神は、瀬織津比売であり、天照素大御神でもある。その眷族である麁乱神は、明けの明星なる、金星の魂である空海により、シャクフクされたのでもある。即ち、空海の御魂とは、日の出の神。

毎年、十日戎があるが、西宮神社は、蛭子信仰であり、エビス信仰では、ない。


蛭子信仰とは、商売繁盛を願う神では、無い。蛭子とは、日の出ル処の天子。これは、子供の未来を示す、人の歩みをに、合わせた、歩道。私自身にも、産まれて来ない、姉がおり、兄が存在する。


扨、蛭子の神縁在るものに、安寧を能える。常に漂える縁者なのだから。


蛭子の神の子なる、、私は、述べる。

苦しき存在よ、西宮神社に来よ。

人間に寄り添い、天に帰らず漂え、人の為に尽くす、恵比寿かな。


私は、鬱気味、弱気存在の時、西宮神社に、お参すれば、大変癒された。

「良く来てくれた。」

西宮神社が、大きな会館を建てる為に、神社の池を干し、工事を進捗したが、多くの眷族や精霊は、麁の地を去り、神威が失われた事実がある。

それでも、十日恵比寿の間は、蛭子は、大青海龍王の青亀の姿で顕現し、多くの人に福徳を与える。

まあ、私の妄想話しであるが。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽくら道

2021-01-03 21:50:00 | 神業道
神戸市灘区、金鳥山の麓に保久良山があり、保久良神社がある。

1949年楢崎皐月氏が平十字と出会い、ぽくら神社の御神体である、カタカムナなる、神文字の羅列なる巻物を渡した。


そもそも、神に身体があるのであろうか。

皇室の天照太御神は、ヤタノ鏡を御神体にした。ゆえに、鏡を神体とした、神社も多し。

太古の縄文神道は、自然雷を崇め、磐座や磐境を御神体とする。

終戦時代、その御守りを持てば弾丸に当たらないとして、持て囃された、サムハラ神社の神文字。これも、サムハラの神文字が御神体とされる。

ある、宗教神道団体では猿の腰掛けを会員には内緒で御神体としている。

当然に、私から言わせれば、神に神体は無し。なんせ、神は無形無心。

人の妄想がそれを生むと。

それでも、私は神社に向かい、祈りはせずとも、お札は頂きます。感合して頂ける、諸縁は大切ですから。


さて、神文字。これを御神体なのであろうか否。勅である。
神体文字とは、神の働きを表し可動する。故に、神勅命。
サムハラ龍王は是をもって守護とする。
カタカムナは是をもって、効果とする。

かむながら。カタカムナ。

今日、私は兵庫県西宮市にある、越木岩神社へバイクで向かっていたが、途中で火事に合い、道路が封鎖されており、バイクから降り、歩道を歩こうかと思ったが、何故かそのまま、迂廻し、神戸市の保久良神社へ行ってしまいました。

保久良神社へ行くだけならば、良い。しかし、保久良神社へ行くならば、さらにその奥の金鳥山を越え、私のまい聖地、日の出の神の磐座へ行かねばならない。(寒い日なのに汗をかいて登山もせねばならない。やれやれ、疲れましたよ。)



この磐座は、陽(男)磐座。
これと対座する、磐座は同じく六甲山、六甲比売大善神社の裏に、陰(女)磐座が存在している。

保久良神社の主祭神は、いろいろあるが、椎根津彦命であり、境内に八代龍王が祭られているが如く、亀に乗られた御神霊である。海側には青木(青亀)の地名もある。

出口王仁師の霊界物語では、大道別命が国租国常立尊が引退する際、身を抛げ、一つは琴平別命(金毘羅)、もう一つは、日の出の神と成られた。

即ち、椎根津彦とは、彦火火出見尊であり、彦火明命であり、日の出の神なり。

ぽくらとは、火蔵なり。


そう言えば、境内の柵で囲まれたところに、雷磐座、もとい神成り磐座があります。柵を登り、神成り磐座に抱きついていた、おっさんとおばさんがいましたよ。 
確かに神は磐座磐境に顕現さるけれど、それ自体は、神ではない。

それに抱きついて、力を求めているのでしょうが、欲すれば与えらず。

人間は、大好きなのが、得られるパワー。大きければ大きいほど嬉しい。

しかしだ、身の丈に合わない力等、宝の持ち腐れだし、入って来た力に対して、必ず、対抗する、反発する、抗魔が働く。力を得れば得るほど、滅びに近づく。亢龍悔有り。

さて、保久良神社の社報にこのような歌が書いてありました。

明治天皇御製
「いかならむ ことある時も うつせみの 人の心よ ゆたかならなむ。」

コロナ化により、人の心にも悪意(コロナに罹った人や看護する人に差別する心)が生まれやすくなっているが、そんな事よりも、自己の心、人としての良心を豊かにしておくれよと。

そんな感じかな。


さて、神に文字があるのであろうか。

否。神とはスピリットである。そこに文字は無い。
故にモーゼの十戒の刻まれた聖蹟は存在しない。
では、サムハラの文字、カタカムナのウタヒとは。

出口直刀自は、無学文盲であったが、独自の文字を著し、艮の金神のお筆先を示された。

神に文字は無いが形象を奇蹟する。

それを憶えた神人が成型し、文字とする。

古事記以前の書を神代文字の研究家である、吾郷清彦老師は、「古史古伝」の名付けられたが、偽書説が多く、正統性が無いとされるが、そもそも、古事記ですら、権力による正統成果が実り、大和朝廷にのみ偏る。つまる処、五十歩百歩神拳。

なんにせよ、効用なして、神文字となるのである。


さて、ぽくら神社へは、山道あるのみ。車やバイクは、侵入禁止。
いつも、この坂道を歩むと、かならず腰が痛くなる。登りきると、腰痛も無くなって汗をかくのみ。
それでも、朝も、昼も、多くの老若男女がこの坂を登っている。まさにたくましい。

ほくらなる 神の稜威は 千早振る 誠の道を 極めてしがな。










コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする