玄徳道

道を語るブログです。

令和三年十一月 三六九神示

2021-11-28 18:45:00 | 神示道
神代の昔、龍体より、人の姿を成らせ、八百万の神の御霊を分けて身の中に鎮め、人(霊止)の身魂を成らせたのであるぞ。

この地球上に高天原に成る如く神人和楽の地上天国を開かむと、人の身をこの地球に食うてゆくべき物も授け住まわせたのであるぞ。

世の元からの神の祭祀忘れず、神の教えを守り、自然を汚し穢さぬように氣をつけ、海山河野の恵みも分けおって仲良く暮らせよと、神言宣を授けたのであるぞ。

始めは人の数も少なく、世の元の神の教えの通り穏やかに暮らしておりたのであるが、現の世に楽土を開く為に授けた自由意志や知恵学あるのを良い事に段々と利己主義(われよし)になり、世の元の神々の厳しい教えが邪魔になると、神の言う事、聞かぬようになりて、真に大事な、地球の恵みを貪り、奪い合いの争いをいたし、貧富の差を生じて、段々と争いは広がりて、近くには世界の大戦となりたのであるぞ。

戦争の度に科学も進み、今のような物質文明の隆盛となりたなれど、垂れ流す様々の公害により、地球の空気も水も汚れ穢れ、その為に滅亡し、滅亡の危惧種に瀕する動植物は段々と増えておる今日であるぞよ。

すでに遅しであるが、今こそ世界人類は三千年この方、体主霊従の道を歩み、この大事な地球を汚し穢し動植物どころか、人間の生命の種を段々と弱らせておる事に早く氣づかねばならぬと、くどく、くどく申してあるぞよ。

物金あるが上にも求め、辛抱と言う事を忘れて、楽な事ばかりを求めておる今の有り様、この度は、コロナで氣づけたが、これも余り人民の身に沁みておらぬようじゃ。

小笠原海底噴火の軽石や阿蘇山の噴火と様々な氣づけてあれど、一旦甘い汁をすい、楽な暮らしがみについた人類の改心は余程の事が無ければ望めぬ事であるが、このままで物質文明が進めば、この地球に人類の住めぬような状態になるのは明らかであり、世の元の神々総出で人類の霊主体従への道へ改心を迫る、この時であるぞよ。

地球の温暖化を何とかしようとして居るが、口先だけの会議では何にもならぬぞよ。

今、地球はどうにもならぬとこまで来ておる事を世界のお偉方から人民に至るまで、真剣に考えねばならぬ、今後十年であるぞよ。

あまりにも、楽な便利な暮らしを求めるばかりの精神を改めなと、そのうち機械に人間が使われるような事も起こりて来るぞよ。

政治も経済の発展、金儲けの為にあるのでないぞ。

各国々が自国の発展だけで無く、世界人類が共存共生出来るよう、人類の生命を守り、生命の種を次の世へ繋ぐ道を真剣に考えねばならぬこの時であるぞよ。

現の世の元の神々、封じ込まれた丹波(丹後)の国より明治二十五年、丹波の出口直殿の手を借りて、艮金神を始め世の元からの神々、口を切りて筆先を現し、世の立替立直しの神業を、大本教を先駆けに始めたが、三千世界の立替立直しは、そう易いもので無く、三千年の諸々の因縁浄化の為に浮かび上がりて益々世は乱れてゆくばかり、地球の温暖化その他の公害も、金毛九尾が金権主義の世を握って、世界の金持ちが世を自在にして、金の力で何でも自在になると思い上がりておる間は、中々かけ声ばかりで世は改まらず、それ故に荒神の警告は厳しくなり、金力でも武力でも、何ともならぬところまで困窮し、何とか救ってほしいと神にすがりつくまで、そう易く世は変わらねど、心ある者は、今から神の言う事、しっかりと魂の耳で聞き、時はかかれど、世の立替立直しを、神人和して行う神業の大事を忘れてはならぬぞよ。

扨ても昭和六十年より、八十二代籠神社宮司を天晴れに務められた、海部光彦殿、この八日未明九十一歳をもちて、帰幽されたぞよ。

八幡神に縁の深い身魂でありたぞよ。

龍宮神界お迎えいたして、これからも神の御用に御仕えなさるぞよ。

十一月八日、龍宮の縁の日の神上がりは、深い神図りのあっての事でありたぞよ。

神業の道に縁ある者、それぞれが己が身魂の使命を天晴れに果たせるよう、それぞれ苦労あるとも、それを磨き受け取り、精進いたす事であるぞ。

すぐに神意は実らずとも、蒔いた種の芽吹くまで、たゆまぬ努力を積み重ね、使命を果たし勤めてゆけよ。

世界も日本もこれから大事な歩みの道となる。

利己主義(われよし)は一時は栄えても、その事ばかり求めて良い氣になっておれぬような事が次々起こるから、辛い事も因縁の浄化、身魂磨きと受け取り、御魂鎮めて、世の流れを見ておらねばならぬぞよ。






言霊神也 ン

令和三年十一月十日

天橋道士龍華斎 修聖拝写。


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令和三年十一月八日 小長谷修聖 三六九神示 霊視篇

2021-11-25 18:38:00 | 神示道
丹後の大江山、青葉山、磯砂山、依遅ヶ尾山、金剛童子山、甲山等の山々が、次々に拝され、又、海上の冠島(男島)沓島(女島)も拝され、最後、真名井神社の磐座が拝され、紋付き袴の出口聖師様と、浄衣を着られ、金色の瓢箪を捧げ持たれた、海部光彦名誉宮司(十一月八日未明、帰幽された。)が立たれ、礼拝されていました。

(注 大江山、青葉山、沓島等は、艮の金神国常立大神を始め、古代丹波に縁ある、世の元からの神々が鬼や邪の如く言われ、押し込められ封じられた山や島である。

丹後には、崇神天皇の御世より、三度の鬼退治の伝承がある。

又、沓島[女島]は古来、龍宮神界に縁の深い島であるが、地球の国祖である艮金神国常立大神が三千年前に、封じ込められた島である。

明治二十五年、丹波の出口直刀自の手を借りお筆先を現し世の立替立直しの神業を、開始した大本教の開きとなっている。

丹後の山々や、海の島、又日本各地で封じられて来た、艮金神国常立大神を始め、世の元からの神々を、真名井神社の磐座で密やかに、祀って来たのが、天照国照日の出の神の裔、海部氏であった。

天照国照彦火明命を祖とする、海人族[海部]は、神武東征まで、出雲族と力を合わせ、近畿、中部、北陸と治め、日本の国の礎を築かれた。

籠神社宮司家海部氏も、古代大和勢力により、服従させられた一族である。

八日未明帰幽された、籠神社名誉宮司八十二代故、海部光彦氏は、宇佐八幡境外摂社から、海部家に入られ、昭和六十年、新嘗祭より、八十二代宮司を務められ、真名井神社や籠神社の整備、真名井神社藤祭、二千五百年祭、籠神社御鎮座千三百年祭も果たされ、九十一歳を以って帰幽された。)
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弭劫寿世要旨道9

2021-11-24 19:22:00 | 道院
太上老君(老子)が沂水道院での扶乩に臨まれて曰く。

修道には必ず、"私"を治めなければならない。

私を祓いのけるには、先ず、戒律を守るのである。

戒律は、また多方面にわたっているが、吾が道では、三点に重きをおいている。

それは、"淫"と"殺"と"盗"である。

"淫"と言うのは、万悪のはじまりであり、そもそも、人として知っていながら、品行を傷つけ、名誉を汚し、家声を辱め、いろいろと素行が治らず、永久に好色漢という、不名誉な名声を頂く事になる、由縁になるのである。

いわんや、その精髓が内に枯れて、強健なる体格を害(そこな)う事になり、生命を先に断ち切り、強壮なる年齢や、歳月を維持しがたくなり、身の守るべき、本分を失うにおいては、なおさらの事である。

そうなれば、道(神)は一体何に身を寄せるのであろうか。

これを道を破壊するところの大賊となるのである。

どうして、戒めないでいられようか。

"殺“と言うのは、生に反するであり、天の心というものは、殺生を好まないのである。

そこで、人の心と言うのは、この天の心を体し、身を持って実践すべきところなのに、かえって、権利を争って、軍隊を動かし、権威を欲しいままにして、人民を虐げる。

これは元より、殺戮の大なるものである。

魚や、鳥獣を獲ることを楽しみとしているような者は、魚や兎が無実の罪を蒙っていることを、知らず、飲食の足しに、多く殺めて、鶏や豚の禍を顧みず、疾痛因苦の有り様を見て、悪因の当然の報いであると見なし、蠢いている虫の類(たぐい)に対しては、蟻など虫けらの生命など、どうして惜しい事があろうかと問題にせず、むやみに、あらゆる生き物の生を害し、かえって自分だけは、長生きを望んでいるのである。

この"殺"というのは、道を害するところの鋭利な刃物である。

どうして戒めないでいられようか。

"盗"と言う字は、その意味が広範にわたる。

ただ、金銭や物品を盗むと言う行為だけでなく、人の成果を横取りしたり、あるいは借りたものを返さなかったり、また、表面は仁者のように装ってはいるが、実際の行為はそれに反しているのに、その偽りの生活を良いと信じて疑いもしなかったり、また、その性は智を以ってあれこれ詮索し、取り繕い、その行いは、これを表面的にその功は、これを弁舌に託して言いふらしている等がある。

道は本来、至真であり、"盗"があれば、どこもかしこも偽りとなり、これは道に背く、大いなる惑いである。

どうして戒めないでいられようか。

全て、三つのものは、これを招くような業を為せば、これに感じて念を起こすのである。

内の念が清まってくれば、外の業によっても、それに左右されなくとも済むのである。

昔の賢人が道を求めるや、清潔にして、正道を固く守っておるのは、あたかも処女を守るようであり、その憐れみて情け深い事は、まるで慈母があたたかく、育てるようであり、その担白にして、磊落なることは、あたかも、田野の老人が率直で飾りけないようである。

内の念が純正であれば、功行に精勤する事が出来るのである。

君子には、以上三つの戒めがあり、道に志しある人は、誦してこれを習うのである。

ただ、これを知ることは、容易であるご、これを行うのは難しいのである。




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先天坐道雑記8

2021-11-21 18:05:00 | 私的考察
先週の月曜日、朝7時に現場の巡回をしていて、作業に邪魔な物をどかしていたら、「ぐきっ。」ギックリ腰になってしまった。

原因は、前の週に、無理して重たい物を運んだ為かな。
そして、腰が弱っていたところに、日曜日、六甲山に行った後、酒を飲んで、ゴロゴロし、緊張感が無くなった為かと思います。

そして月曜日早朝のグキッ。

その日は痛いながらも作業をし、坐して寝たら治るかもと寝て起きたら、次の日はもの凄く痛い。歩きにくい。

仕事は休みたかったけど、作業指示がややこしいかったので出勤しました。仕事中はアドレナリンが出るので、何とか持たせます。

そこで実験です。先天坐の回光エネルギーにより、腰痛を治せるのか。

坐中に坐功が熟練すれば悪い箇所を意識し癒しを進める事が出来ると老祖は述べておられるし。

一本指整体や、頚骨のエネルギー治療では全て、身体のバランスを取りと神経の緊張を解くにあります。たぶん。

当然に身体を巡る気の流れは自然の運行。そこに人為的強制を入れるのはあまり良くありません。しかし、身体の気の巡る箇所では、監督しなければならない経絡があります。督脈です。坐骨背骨頸椎を回ります。そこを中心として、弱っているところの循環を良くしようと考えました。

毎朝、八度坐しておりますが、少し坐の時間を長くします。

心は竅を離れず、身は道を離れず。そして、全身の孔は気を通します。

そして姿勢が崩れるないように気持ちをしっかりとします。

朝に坐し、帰ったら鎮魂の後に坐します。

仕事は忙しく休め無いので、嫁に湿布を貼って貰います。基本的に薬が嫌いなのですが痛みが酷い、二日目と三日目は朝だけ鎮痛剤を飲みました。

四日目となると痛みも落ち着いて来ます。

ちょうど四日目の日に会議があり、3時間も座っているのは、しんどいので、サボる口実に病院へ行きました。レントゲンを撮ると、神経に異常が無く、ただ、椎間板が狭くなっている箇所があり、そこが何らかの理由で炎症を起こしているが、しかし、運動をしたらダメな感じでは無いとの事でした。

五日目になると、痛みが少しあるぐらいで、普通に作業が出来る様になりました。

今日の日曜日は、三輪山へ行きました。

三輪山への登拝は、コロナで中止となっていましたが、最近ようやく解除され、登拝が許されたからです。

久しぶりの三輪山はものすごく人が多かったですね。多くの老若男女子供さんが来られております。

多くの人に愛され、親しまれているのが三輪山でございます。

普段の私は身体のへの修練の為、三輪山に急ぎ登り、各磐座を参拝誦経磐笛奉唱して急ぎ降りる感じでしたが、中津磐座の次の磐座である、智石の磐座の前で、初めて先天の坐法を行いました。智石の前に坐するにちょうど良い坐石があり、そこに坐らせて頂きました。

磐座との合坐。

智石の気質は柔らかく、静の見本の如くであります。ありがたく、学びがございます。

北極真経によれば、老祖の炁光を浴びた地上の木石が上乗し、天界に挙がった言われていますね。

その次の磐座が、四魂の磐座です。

ここの、磐座は異様な気を発してるおられます。四だから、四つの磐座を想像しますが、実際には、独特な磐座(私のダンノダイラの磐笛とそっくり)に多くの巨石が従っているような感じです。

ここでも磐笛、経祝詞咒を奉唱後、先天坐を行いました。

もう、十一月後半なのに、蜂さんが私の周りを飛んでおられました。

六甲山の日の出の磐座、剣坐の磐座と同様に、ここでも特別にある方の加護を示しました。

三輪山は太陽の祭祀場であると、私は妄想しております。即ち太陽神。

大物主の眷族の機能(力)が勁く、そのエネルギーは巳と捉えられている方が多く、かつての大和朝廷もそれを恐れていた故に、大物主と名付けたとか。

しかし、邪悪なる存在には強く効果があると思います。自己が邪悪ならば、逆に破られますが。

合坐とは、神と人と人とが連なり坐功が安定し効果を得る。

道院では、合坐合誦し、劫を化す。

私は、組織から離れているので、磐座と共に合坐する。

自然の中で磐座と合する、幸せと心の安寧がスバラシイ。

三輪山を登れば、腰に痛みは無くなり、帰りは、既に腰痛の事、ギックリ腰になった事は忘れておりましたよ。






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弭劫寿世要旨道、上中下元の三法。

2021-11-18 19:59:00 | 道院
達磨祖師が済宓再道院の扶乩の壇に臨んで示される。

坐は上・中・下元の三法に分かれる。

跏趺(かふ、座禅の結跏趺坐)、単盤(同じく半跏趺坐)は、中、下元の坐である。

その効果は不易では無い。

しかも強制の工夫を含んでいるので、常に弊害が無きにしもあらずと感じられる。

今、吾が師(至聖先天老祖を指す)は、世人の真炁が日に日に流出しているので、もし補救(助け救う)しなければ、人の世界はまさに其の世界を成さない。

故に天界の秘を惜しまず、真経を伝授し、救い、教えるに、上元の坐法を以って示された。

つまり、いささかでも、元炁を挽回し、元通り先天に返すことを期し、ひとえに自然に純任(まかせる)することで、坐に入る、要旨とされた所以である。

自然とは、即ち先天の大道である。

蓋し、少しでも無理をすれば後天の作用に堕ちてしまう。

また、達磨祖師、柘皐道院での訓示で曰く。

坐には幾つかのいとぐちがある。

上元といい、吉祥(吉祥坐、蓮華坐とならぶもので、ヨガでも言う)といい、中、下元と言うのは、均しく坐である。

これらの坐によって、成ずる者は、その妙を得るかもしれない。が

また、害を招いて中止する者は、その数を数える事が出来ない。

ただ、めいめい、坐のみの均しく成ずる事が出来るが、しかし、害に当てられる者が多い。

いやしくも、一たび坐の静々堅々を研(きわ)めようと志して、成ずる事が出来なければ、中途半端であれば、ついに害を招くに至るのである。

師(至聖先天老祖)は、仁(愛、慈)の坐を名付けて先天と言う。

先天の坐とは何か、先胞(先天の炁胞、万有の始源態、本体)に象ったものである。

人の胎中の形象(母体の胎児)にあっても、かくの通りである。

故に坐もまた、このように坐るのである。

人が胎内より出て、世に生誕し、成長すればする程、次第に智が開け、先天の元性元気は、俗によって消耗される。

必ず坐して、先天に返り、以って先天渾々(奥深くして、知り難いさま)の象(すがた)に還ることを欲するべきで、そうすれば、元性元気を回復し、天年(寿命)を益し、元善の心を起こす事が出来る。

故に慈を修める者は、必ず坐の妙を得て、そして後、元性の心を発することとなる。

先天の坐は緩やかであって、胎児の胎中に拠るのと、異なるところは無い。

胎児は呼吸が無く、知覚が無いのに、能(よ)く坐るかと言えば、天然の盾を具え、天然の化を守り、任督両脈(任は陰に、陽は属する気脈、任脈は身前にあって男は下に行き、女は上に行く。督脈は身後にあって男は上に行き、女は下に行く)の回転運行は、人の呼吸と異なるところが無い。

故に坐する者は、視を収め、聴を返し、其の元素(もと)の胎に復(かえ)そうと欲する。

坐が未だ己の意に適わないと言う事で、これを軽んじてはいけない。

また、坐の進歩や利益が速やかで無いと言う事で、これを疎んじてはいけない。

或いは間断(中止)したり、或いは、決まりが無く、怠慢であったりするのは、皆坐の病いである。

吾(達磨祖師)が坐(先天の坐)に偏る、論を以って、坐して適わない者の心(従来の後天の坐に習熟した者には、抵抗が感じられる)に逆らうでは無い。

吾(達磨祖師)も従来、趺坐を坐したが、功を完成する時になって、この坐が完全無欠では無いと言うことを、忽然と悟ったのである。

いま、師(至聖先天老祖)に従って、世の中を弘める(社会を矯正する)のに、師から統坐の一職(坐院掌籍)に抜擢任命された。

各修方の為に、常に坐旨を研(きわ)めざる得ない。

吾が各方の坐を見るに、不同であり、或いは、坐の方式が一様ではなく、或いは、やはり他の坐法をもって適宜としていたり、どうもよこしまな気味がある。

各々は速やかにこれを止め、以って多くの病から免れるように願うのである。




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