妙見菩薩とは、善悪や真理をよく見通す存在とされる。しかし、この妙見菩薩の真髄は、神呪(神咒)にある。
「吾れ、北辰菩薩にして称し、妙見と顕現す。神(秘)
呪を説いて諸所の界を守護せんとす。」
吾が師。至聖先天老祖も北極神界の主宰神などと、述べる霊覚者もおられ、妙見菩薩と混同される向きもあるが、五十歩百歩であると考えます。
確かに吾が師は、数多の経や神咒を降ろされておりますが。
扨て。
私は、この関西の小松神社なる、星田妙見宮には御縁があるようで、何に数回、参拝します。何故ならば、此処も磐座信仰の聖地でもあるからです。
伝承に寄れば、弘法大師空海により、開かれた、妙見山とされており、星田妙見宮経典にも、空海が高野山を開かれた後に再び、この妙見山に登り、隕石の跡と、霊石を発見し、北辰妙見菩薩の霊岳(学)、神仙の秘宝、諸天善神回向の名山とし、権請したとされております。
空海とはこの世に不出現の天才である。
当時、伝教大師最澄が、大和朝廷の権限を持って、唐に渡り、その大金と権威を持って天台山に登り受法された。そして、空海より先に、日本へ初めて密教(雑密)を発表した。
しかし、空海は、ほぼ独自の財産にて、唐に渡り、独力により、滞在した。当然に留学僧として、遣唐使の船に乗せてはもらっていたが。
空海はたちまちその才により、唐の長安で有名となった。
密教の発祥はインドである。
二つの密教が古代インドに於いて発展した。
金剛経系と大日経系である。
同じ密教であるが、バラバラであった。
これが、中華で一つとなった。
両儀の秘儀を受けた、空海の師となる、恵果の存在である。
恵果は、インド僧不空三蔵の金剛頂経系の密を伝承し、更にインド僧善無畏の弟子、新羅人玄超の大日経系の密すらも、伝承された存在であった。
青龍寺、恵果から空海は求められた。。。
唯一の両伝の相伝者となった、青龍寺の恵果は、恵果の中華の弟子に誰一人として、継承させなかった、両部密教の真髄を空海、ただ、一人に伝承させたのである。
当時。伝承はタダではない。莫大な金銭がかかる。特に密教には法具が存在し、それらを受け入れねばならない。最澄はそれを国家予算で賄った。
空海は、一留学僧。その彼は、魔法のように、金銭を集め、独自の経済でそれを賄ったのである。
帰国後の空海は多忙であったであろう。膨大な量の経典の集積及び翻訳及び。統合。宝具の調整。製造。弟子の育成。国家密教としての階段。寺社建立による、寄付等や財政。寺社仏の建設と設計。宗教間による、政争。天皇に対する庇護と教政。
伝教最澄も自分が仕入れた密教が本物ではないと気づき、空海に教えを乞うが、空海の密教は体得にあり、最澄の経典寄りによる(筆授)思考と対立し、断絶する。
兎も角、天才、空海とは多忙の代名詞であったであろう。多くの昔話しや、伝承が弘法大師として、残されているが、多くは高野聖によるものと、私は考えます。
此処で経を誦し、咒を揚げ、磐笛をひたすら、吹く。
関西では、割と有名ですが、他の参拝者とごった返すこたがありません。
此処も、一つの、龍仙峡であるようです。