
「甲やま 六甲のやま 神のやま 降りた神示を 受けて立たなん。」
かつて、若い時、シタテルヒコさんと丹後の天橋立、元伊勢籠神社、奥宮の真名井神社、そして、丹後の神人、小長谷修聖老翁の龍華館に赴いたときに、降りた神歌である。
時を経て、甲山に赴き、神呪寺、頂上まで登ったが、感合無し。
偶然目にした、鷲林寺の地図。なぜか、そこに行った。
行ったら龍泉郷の如く感じ、伍黒天龍王麁乱荒神の縁起をみる。麁乱神は、空海と争い、調伏され、仏法を守る、三宝荒神とされたらしい。
鷲林寺と荒神堂のすぐ裏に、六甲の観音山があり、私は登り、麁乱神の磐座と対面した。

私は、実に麁乱神は懐かしき友であった。
真友とは、氣の合化。仲良くなるものは、自然となる。あいてに合わせなくても合する。
そして、そこからは、甲山を一望出来る。此処にて、甲山と感合す。

六甲山。約一億年前に地下深くで生まれた花崗岩であるらしい。百万年まえの六甲山の変動により隆起されたのか。六甲山は、兵庫県神戸、芦屋、西宮、宝塚を跨ぐ。
太古では聖なる山とされたようであるが、豊臣秀吉ごろから、武庫山(六甲山)の木は、伐採したい放題の法令あり、江戸期は、樹木が伐採され、禿げ山であった。近年、洪水や土砂災害を防ぐ為に植林と復興された。
他の神山とは違い、信仰の山とする敬虔さは、あまり、なかったようだ。
一部、修験による、聖域化はあったようだが。
六甲山は廣田神社の神域であり、天照大神の荒御魂とされるが、本体は縄文以来の水神、鐘賢木厳之御魂天疎向津姫命、即ち、瀬織津姫である。
日本に於いて、大正期、至聖先天老祖、初の降臨と道院が開設された地は、実に神戸六甲山であった。
老祖妙山より臨む。「予は妙山の妙風に乗りて神島を漫遊し来る。神(日本の神々と)もまた、会す。今日は何な(鳴)る日と云う者や、十二万年まえの神国記念日なり…。」
近年、道ひらきの神人、荒深道斉氏が見つけた巨石、剣磐座とされる磐座が六甲山にあるという。
私はその頃から、磐座の立ちのぼる氣に惹かれて、関西の磐座をあちこち、調べており、剣座を求めて、六甲山へ。
丁度、麁乱神の磐座よりのルートがあり、まず、観音山を登る。結構急勾配であるが、少年時代の探検を思い出し、楽しい。
観音山を登りゴロゴロ岳に向かう道は、楽な道なのだが、脇道に入り何故か急勾配な道を降り登りのルートを選んでしまう。余談だが、この道は何故か後日消えてしまい、不思議な磐座との邂逅もあり、身体を鍛えられた感がするルートであった。
観音山からゴロゴロ岳に行く途中に不思議で柔らかい穏やかな神氣を感じ、至ると、私が命名した松ヶ姫の磐座があり。

癒やしの氣が満載。椅子の形をした、不思議な磐座もあり。
ゴロゴロ岳付近は、かなり、開拓され、登山せんでも、車で来れるやん。と。しかし、苦労して、登拝な大いなる意味もあるのである。
ゴロゴロ岳を抜けると、強い龍氣とも神氣とも感じる場所を感じる。藪をすり抜けると。剣座。

出会った瞬間から、氣が私の頭脳に入り、夜は夢にも出て来た。
邪気を嫌う者は邪気が寄り添う。
悪魔を恐れる者は悪魔が喜ぶ。
毒龍の時も私は全てを受け入れた。
剣座の神は、会うたびに、氣を化され、正に六甲大神。瀬織津姫とは、違う働きをされる六甲の守護者。
一天地六の如く、大六合主。国祖、国常立之尊のごとく。
まあ、六甲大神でよかろうと、考えます。
剣とは、鶴亀。弦(つる)義であり、言霊(九十八)でもある。
諸刃の剣は、世を治める象徴なり。