昨年の今頃は、フリクションボールペンの替え芯について語っていたのでした。
最初は赤・黒・青の基本の3色だったのを、インク切れになるたびに違う色に付け替えていきました。
今では、ワイン色・茶色・黄緑色です。
手帳に記入するとき、自分の中でなんとなくカテゴリー別に色を決めておいて、それに関すること、例えば時間などをちょこっとメモしておくようにしています。
絶対に外せない大事な用事は黒の太めのボールペンでガッチリ記入。変更になったら赤のボールペンで線を引いて直します。時間があれば修正ペンで消したりもしますが、変更のお知らせを受けてその場ですぐ直すことが多いので、とにかくわかればいいという感じです。
ところで、ロシアでは一般的に青のボールペンを使うことが多いです。駅や郵便局の窓口においてあるボールペンは青だし、何かのノベルティーでもらうボールペンも青、です。
実際に学生たちも青のボールペンでノートしています。
小学生(シュコールニキ)のうちから青ペンで勉強するのだそうです。
間違えたら斜線を引いて書き直します。
鉛筆と消しゴムはあまり使わないようですね。
鉛筆と消しゴムは文房具売り場と言うより、どちらかというと、画材売り場に売っているイメージです。
試験の時は、ペンで書くので間違えないようにものすごく神経を使うのだとか。
小論文形式だと、間違えたら紙を改めて最初から書き直し。3枚の用紙に仕上げるために書き直しを含めて10枚も紙を使ったと話してくれた人もいました。
日本は受験の時も鉛筆と消しゴムなのでうらやましい・・と。
間違えないように気を配りながら、時間内に仕上げなくてはならない。ということは、事前にかなり内容を練っておかなくては納得のいく文章は書けないでしょうね。
ロシアの試験ってかなり厳しいです。
そう、ロシアの試験のお話を聞いていると、日本はまだまだゆるいなぁ~と思います。
習ったことを覚えているかどうかの試験ではなくて、習ったことを土台にして自分の考えを組み立てて論理的に話すことができるかどうかを問う試験でなくては。
その人のオリジナルの考えが分かった時、さらにはその考えが自分の感覚と共鳴した時、より深い友情が芽生えることもある。そんな瞬間こそが宝物になるのです☆
(そしてもっと言えば、そのオリジナルの考えに低通しているものがその分野においてかなり精通しているとわかったときに沸き起こる尊敬の念といったら!)
自分の曖昧模糊とした感覚が、しっかりとした考えに変わるまでには紆余曲折があるでしょう。
その紆余曲折の過程を残すことが、いつか自分自身を振り返った時に何か役立つ手掛かりになるかもしれません。きれいさっぱり消してしまうのではなく、あっちこっち引っ掛かりを残しておくのもいいかな。
最初は赤・黒・青の基本の3色だったのを、インク切れになるたびに違う色に付け替えていきました。
今では、ワイン色・茶色・黄緑色です。
手帳に記入するとき、自分の中でなんとなくカテゴリー別に色を決めておいて、それに関すること、例えば時間などをちょこっとメモしておくようにしています。
絶対に外せない大事な用事は黒の太めのボールペンでガッチリ記入。変更になったら赤のボールペンで線を引いて直します。時間があれば修正ペンで消したりもしますが、変更のお知らせを受けてその場ですぐ直すことが多いので、とにかくわかればいいという感じです。
ところで、ロシアでは一般的に青のボールペンを使うことが多いです。駅や郵便局の窓口においてあるボールペンは青だし、何かのノベルティーでもらうボールペンも青、です。
実際に学生たちも青のボールペンでノートしています。
小学生(シュコールニキ)のうちから青ペンで勉強するのだそうです。
間違えたら斜線を引いて書き直します。
鉛筆と消しゴムはあまり使わないようですね。
鉛筆と消しゴムは文房具売り場と言うより、どちらかというと、画材売り場に売っているイメージです。
試験の時は、ペンで書くので間違えないようにものすごく神経を使うのだとか。
小論文形式だと、間違えたら紙を改めて最初から書き直し。3枚の用紙に仕上げるために書き直しを含めて10枚も紙を使ったと話してくれた人もいました。
日本は受験の時も鉛筆と消しゴムなのでうらやましい・・と。
間違えないように気を配りながら、時間内に仕上げなくてはならない。ということは、事前にかなり内容を練っておかなくては納得のいく文章は書けないでしょうね。
ロシアの試験ってかなり厳しいです。
そう、ロシアの試験のお話を聞いていると、日本はまだまだゆるいなぁ~と思います。
習ったことを覚えているかどうかの試験ではなくて、習ったことを土台にして自分の考えを組み立てて論理的に話すことができるかどうかを問う試験でなくては。
その人のオリジナルの考えが分かった時、さらにはその考えが自分の感覚と共鳴した時、より深い友情が芽生えることもある。そんな瞬間こそが宝物になるのです☆
(そしてもっと言えば、そのオリジナルの考えに低通しているものがその分野においてかなり精通しているとわかったときに沸き起こる尊敬の念といったら!)
自分の曖昧模糊とした感覚が、しっかりとした考えに変わるまでには紆余曲折があるでしょう。
その紆余曲折の過程を残すことが、いつか自分自身を振り返った時に何か役立つ手掛かりになるかもしれません。きれいさっぱり消してしまうのではなく、あっちこっち引っ掛かりを残しておくのもいいかな。